第2話

 普通、人は前世の記憶は持ち合わせていないのだと気がついたのは、物心がついたときだ。


日本の東京に生まれ落ちた俺は、前世は「ヴァルナ大陸」の「カーティス王国」にて、敵国からの攻撃に敗れ死んだ「黒騎士ハロルド」という男だということを覚えていた。


幼い俺は学校に通いながら何度も、人を斬る戦いの情景や、絢爛豪華な宮廷の内装、文明機器などない弱肉強食な世界を思い出していた。


 純日本人の親からつけられた、黒川晴樹という名前も、そこはかとなく響きが似ていておあつらえ向きだった。


しかし、どんなに世界地図を見ようがGoogleマップで探そうが、「ヴァルナ大陸」も「カーティス王国」もこの世界には存在しないらしい。


 やけに達観した不気味な子どもだと思われるのも嫌だったため、前世の記憶は誰にも言わずに自分の心の中にそっと封印していた。


 両親は若くして事故死し、施設に預けられた俺は義務教育の後は働きに出て、なんとか一人で暮らしていけるぐらいには稼いでいる。


 大人になった俺は、肉体労働をしていることもあり、前世黒騎士として戦っていた頃と同じく、背も伸び体も鍛えられた。


 どんなに心の奥底にしまい込んでも、自分の意識のない夢の中では、何度も前世の情景を思い出してしまう。


 テレビの電源を消し、俺は洗面台で顔を洗い仕事に向かうべく支度を始める。


* * *


「おはようございます」


 作業着に身を包んだ俺は、あくびを噛み締めながら早朝の工事現場にてタイムカードを通す。


 中卒で働ける職など限られている。俺は工事現場の作業員としてもう何年も働いていた。


 体を動かす仕事は自分の性には合っているようだ。

 

 何台もの重機が置かれ、ブロックやボードなどの機材がむき出しに置かれている現場で、朝のミーティングが終わると、同僚たちも黙々と各々の持ち場についていく。


 他の者は一人ひとつ持つのが限界な土嚢を、一気に三つ肩に持ち上げ、のっしのっしと歩く俺を見ても、警備員のおっさんも慣れたものでもう何も言わない。


 土嚢を地面に置き、額に浮かんだ汗を拭っていたら、奥から怒鳴り声が聞こえた。


「だから、まだだって言ってるだろ!」


声の主はゼネコンから来ている現場監督の中年で、ヘルメットを直しながら目の前の男に対して声を荒げている。


「でもお給料、払われない。故郷の家族も待ってる。みんな困っている」


前にいるのは東南アジアから来た外国人作業員で、身振り手振りを大きく現場監督に訴えている。


そういえば、彼はいつも休憩所でも皆がコンビニ弁当やカップ麺を食べる中、自分で握った小さいおにぎりを食べていた。そんなので足りるのかと聞いたら、お金がない、入らない、と嘆いていたのだ。


給料が少ないということを言っているのかと思ったら、現場監督に詰め寄る様子を見ると、どうやらそういう問題ではないらしい。

数人の外国人に囲まれ、現場監督はイラついたのか、


「金金、うるさいんだよ! お前らの働きじゃ払えないって言ってるんだ!」


と、思いっきり相手の頬をぶん殴った。


呻き声をあげ、地面に転ぶ作業員に、仲間たちが駆け寄る。


「ひどい、なんで殴る」


「おとなしく俺に従っておけばいいんだよ!」


現場監督からの理不尽な暴力を間近で見て、いてもいられなくなった俺は急いで駆け寄り、倒れた作業員に手を差し伸べる。


「大丈夫か? あんたたち、もしかして給料払われてないのか?」


肩を支えて起こすと、弱々しく頷く。


「……もう二ヶ月、もらえない」


 朝から晩まで働いて、金がもらえないなんてとんでもない話だ。


 現場監督は、彼らに差別的な言葉をいくつか並べ怒鳴り散らし、自分を正当化していた。


 しかし堪忍袋の緒が切れた俺は、現場監督のしわくちゃの作業着の胸ぐらを掴んだ。


 むんずと掴んで持ち上げ、そのまま先ほど積んだ土嚢へとぶん投げる。


 185センチある肉体労働の男と、小柄でひ弱なゼネコンのおっさんだ。


 俺からしたら、「お灸を据える」ぐらいの気持ちだったのだが、側から見たら一方的な暴行である。


 肩を怒らせながら、投げられ気絶している現場監督に歩み寄り一言言ってやろうとした俺を見て、慌てふためいた部下の現場監督が警察に連絡するのも、今思えば致し方ないものだ。

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