輪廻の黒騎士と記憶のないロイヤー

たかつじ楓@LINEマンガ連載中!

第1話

 降り積もる真っ白な雪は、男が歩いた後、足跡と真紅の血で染まる。


 屈強な体躯に似合う漆黒の甲冑を着込んだ男は、まるで闇に溶けるかのようだ。


 彼の背中には敵から放たれた無数の矢が刺さっており、足元には血が滴っていた。


 視界が白に染まる吹雪の中、己の主の姿を探していた。


 男は自身の腕に刺さっていた矢を引き抜き、両腕で叩き折る。


「はあ……はあ……ぐっ……」


 くぐもり声が出るが、もはや痛みの感覚はなかった。


 急いで、戻らねば。


 どこから情報が漏れたのだろう。


 主力の兵たちが遠征に行っているたった一日の間に、留守を狙われ城に火を放たれるなど大失態だ。


 謀られた、と気が付いた時には、大勢の敵兵たちを薙ぎ払い、無数の矢を受けながらもその足で戻ってきた。


 仲間の屍を踏み越え、自らも傷を負いながら。



 敵襲を受けた血まみれの姿で、自分の国の城に戻ろうとどれほど歩いただろうか。


 辿り着いた故郷は黒い煙をあげ、一帯は焦げた絶望の香りで埋め尽くされていた。

 聞こえるのは、自分の荒い息遣いと風の音だけだ。


 吹雪で視界が奪われるが、暗闇に目を凝らし、目的の人物だけを必死で探す。


 自分の命より大切だと思えた、唯一無二の人。

 無惨に燃え落ちた城の瓦礫を眺め、血の唾を飲み込む。



 焼け落ちた城の周りを歩き、どのくらい経ったのだろう。


 そこに、倒れ込む人影を見つけ、息を呑んだ。



「レナス王……!」



 力無く雪の地面に横たわる主を見つけ、男は急いで駆け寄る。


 腹に力を入れたら、激痛が身体中に走ったが、気にしている暇はない。



 レナス王と呼ばれたその人物は、茶色の髪と翡翠色の瞳をし、王だけが着ることを許される双頭の鷲の紋章の描かれた服を着ていた。


 薄い唇からは苦しそうな吐息が漏れるが、覗き込んできたのが敵兵ではなく自分の臣下だと気がつき、ほっと表情を和らげた。



「ハロルド……戻ってきたのか…」


「はっ……!」



 ハロルドと呼ばれた黒い甲冑の男は大きく頷き、主が生きていたことに心底安堵したようだった。


「追手は全員倒しました。

 すぐ、教会まで運びます」


隣町からは火の手は上がっていない。町人たちもきっとそこに避難したに違いない。


しかし、不意に咳き込んだハロルドの口から鮮血が溢れた。

 咄嗟に手のひらで覆うも、雪よりも白いレナスの頬に、真紅のそれが飛び散る。



「……ひどい怪我だ、私を背負うことなどできないだろう。一人で行きなさい」


「その命令は、聞けません……っ」



 奥歯を食いしばり、ハロルドはレナスに覆い被さり抱き起こそうとする。


 しかし体に力を入れると、敵から受け背中に刺さった無数の矢が軋み、想像を絶する痛みが身体中に走る。


戦場を駆け回り、大剣を振り回し敵を一掃すると恐れられた黒騎士が、主の一人も守れないのかと、悔しさで心が埋め尽くされる。


吹雪が否応なく体温を奪っていく。


「もういい、ハロルド」


 満身創痍の臣下を前に、レナス王は優しく声をかけた。


 無理はするな、と労るかのように。


「戻ってきてくれてありがとう」


 その主の言葉に首を横に振り、ハロルドは乱暴に自らの血に濡れた唇を拭う。


 レナス王の命が助かるのが何よりも先決だ。


 その後俺は死んだって一向に構わない。



 しかし冷静に、横たわった王は臣下に命じる。



「……私の体は、焼けた城の近くに埋めてくれ。残党に探されて晒し首にされるのだけは、士気が下がるので兵や市民の為にも避けたい」



 王の淡々とした声は、自らの死ももはや享受していた。


 急襲を受け、焼け落ちた城や死んだ仲間たちはもう戻らない。

 ならば、生き残った者たちの今後を考えねばという、強い意志を感じる。



 気が付いていたのだ。

 だけれど、見ないふりをしていた。


 雪に横たわったレナス王の胸に、大きな穴が空いているのを。


 紅い外套で隠れてはいたが、周囲は血で染まっている。



「嫌だ、嫌です、俺が必ず助けます」



一握りでも可能性があるのなら諦めたくはないと、首を横に振る。


「ハロルド」


凛とした声が、ハロルドの行動を静止する。


「顔を見せておくれ」


レナスは震える腕を伸ばし、そっとハロルドの頬に触れた。


 泥と血で汚れたハロルドの黒髪を分け、大きな黒い瞳から流れる涙を細い指で撫でる。


 氷のように冷たい指先。


「……強くて誰もが恐れる黒騎士の君が、私の前ではいつも泣き虫だね」


 レナスは優しく微笑む。幼い子供に向けるような、慈愛に満ちた瞳。


 その美しさに、ハロルドは息を呑み見つめ返す。


 宿命を背負った男装の王は、側近の黒騎士に微笑みかけると、そっと目を閉じた。



「ありがとう。……君に会えて楽しかったよ」



 それは一国を担う王ではなく、レナスという一人の人間としての、温度のある言葉だった。


性別を隠し、女なのに王として振る舞っていた、聡明で気高い若き王。



「…っ嫌だ……っ!

 俺を、ひとりにしないでくれ……!」



 俺に生きる意味と価値を与えてくれたのはあなただ。


 どうか死なないでくれ。


 しかし微笑んだ顔のまま、その声に主は永遠に応えなかった。



「ああ、なんであなたが死ぬんだ……っ! 俺が、俺が……っ」



 男の叫び声は、吹雪の夜に虚しく響き渡る。

 涙がとめどなく流れ落ちる。


 次生まれ変わったら必ずあなたを守る。


 俺の命に変えてでも、絶対に守る。


 あなたが好きだった。心の底から。


 身分違いだとわかっていた。


 この気持ちは一生口にするまいと決めていた。


 番犬として拾われたあの日から、あなたのためなら死んでもいいと何百回だって想っていたのに。



「……置いて行かないでくれ……」



 雪の上に横たわった美しい王の髪を撫で、喉の奥から掠れた声が出る。


 何回生まれ変わっても、次は必ずあなたを守る。


 全世界を敵に回しても。


 俺の命を賭けて。


 熱い涙が頬を濡らし、焼け野原の吹雪の中。

 最愛の人を失った男の絶望の咆哮が響き渡った。



* * *



 ピピピ、ピピピ。


 スマホが無機質な音を立て、朝の訪れを告げる。


 どうやら昨晩はテレビをつけっぱなしで寝てしまったらしい。


 東京は朝晩の寒暖差がありますので、一枚羽織るものを持っていくのがよいでしょう、と画面の中のお天気キャスターが告げている。

 男は自分の心臓が早く鼓動し、寝汗でシャツがびっしょりと濡れていることに気がつく。


 何度も何度も繰り返す、途方もない絶望の情景。


 どれだけうなされても、結末を変えることができない悪夢。


「……またあの夢か」


 そして俺は、戦も剣も血も見ることのない、平和な世界に生まれ変わった。

 あの人の記憶を鮮明に残したまま。




  輪廻の黒騎士と記憶のないロイヤー

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