怪盗ジュエルキャット

杉野みくや

怪盗ジュエルキャット

 クリスマスを間近に控えた週末の昼下がり。

 警察署内ではとある事件に頭を悩まされていた。


「警部!これでもう20件目ですよ!?」

「鑑識からの情報はこれ以上ないんですか!?」

「そういわれてもなあ……」


 机の上に散らばる資料の山を一瞥しながら、笹山は深くため息をつく。


 昨今、世間を密かに騒がせている連続盗難事件。盗まれるのは決まって、指輪やネックレスなどの宝飾品ばかりだ。

 被害者らの証言を聞くに、犯行は深夜、被害者の自宅で毎回行われているということが判明している。だが、そこからは全くと言っていいほど進展が見られなかった。

 何せ、犯行現場には人の侵入した形跡が一切残されていないのだ。窓や扉に鍵をかけ、人が通れるほどの通気口を完全に塞いだとしても、翌日には綺麗さっぱり盗まれていたほどだ。


 さらに奇妙なことに、犯人は毎回、肉球型の朱印が押されたメッセージカードを残してもいた。

 それを鑑識に回したところ、肉球の形や何者かに咥えられた痕跡を分析した結果から、これらはネコのものである可能性が高いとのことだった。しかも、その痕跡は犯行が行われた深夜に咥えられた可能性が高いという。しかし、犯人の特定につながるような情報はこれ以上あがってくることは無かった。


 摩訶不思議で神出鬼没なその犯人はいつしか、"ジュエルキャット"と呼ばれるようになっていた。


「警部。"ジュエルキャット"の件についてですが」

「何か進展はあったのか?」

「いえ、警察犬を出動させたのですが、芳しい成果は得られず……」

「はあ、分かった。後で報告書を提出しておいてくれ」


 げんなり声でそう返し、再びため息をつく。部下は「分かりました」と定型的に答え、その場を離れていった。

 頭の中でいくら情報を整理しても、解決の糸口すら見いだせない。こんなにも迷宮入りしそうな事件に出くわしたのは、笹山の長い警察人生の中でも初めてだった。


「警察犬でもダメとはな……。全く、クリスマス前にとんだ仕事をくれたもんだ」


 天井を仰ぎ見る笹山の机に、何かがコトンと置かれる音がした。姿勢を戻すと、部下の村上が自販機のココアを置いてくれていた。


「こういうときこそ、甘いもんでリフレッシュした方がいいっすよ」

「さんきゅ、気が利くよほんとに」

「いやいや、たいしたことしてないっすよ。あ、犬といえばで思い出したんすけど、夏ぐらいにニュースになってましたよね。なんでも近くの大学で、動物の五感やIQを底上げするのに成功したとかっていう」

「あ~、そういやそんなのあったな」

「警察犬にその処置を施したら、嗅覚とかめっちゃ強くなるんすかね?」

「さあな。でも、どのみち実用化なんてまだ先の話だろ?そんなん待ってらんねえよ」


 つい言葉遣いが悪くなる。だが、事件が起きてからのここひと月はまともに休めていないのだ。無理もない。

 結局、今日も足取りひとつ掴めないまま、終業時間が訪れた。


 家に帰宅すると、シチューの甘い香りが鼻腔をくすぐった。


「ただいまー」

「おかえりなさい。ほら2人とも、パパが帰ってきたよ」

「あ、おかえりー!」

「ねえねえ!いっしょにあれみよー!」

「分かった分かった。今着替えてくるから、それまでおりこうさんにしてるんだよ」

「「はーい!」」


 元気よく返事をした娘たちはソファへと戻っていく。難事件に追われていても頑張れるのは、妻と2人のかわいい天使がいるおかげだった。

 手洗いうがいを済まし、急いで部屋着に着替える。リビングに姿を現すとすぐに、娘たちがソファへと引っ張っていった。


 去年購入した薄型テレビには1本のアニメが流れている。1匹のネズミとネコが織りなす、有名なドタバタコメディだ。ネズミを捕まえようとするネコの身体があり得ない形に変形する度に娘たちはゲラゲラ笑っていた。

 そうして、ずる賢いネコがネズミから痛快なしっぺ返しを食らったところで、アニメは幕を閉じた。


「あーおもしろかった」

「あんなネコとネズミがいたらいいのにねー」

「ねー。どっかにいないのかな?」


 2人の会話を微笑ましく聞いていた笹山の頭に、一筋の光がピカッと差し込んだ。

 署内での村上の言動が脳裏をよぎる。続いて、これまでに上がってきた情報が数珠つなぎに思い起こされ、つじつまが合うように並び変わっていく。

 そうして、笹山の頭の中でひとつの仮説が出来上がった。


「ありがとう、2人とも!さすが、自慢の娘たちだ!」


 小さな身体をぎゅっと抱きしめる。

 娘たちは不思議そうに首をかしげていた。



 翌日、この日は休日だったが、急遽オンライン会議を開くことにした。笹山の仮説を聞くと、皆の口から戸惑いの声が漏れ出した。


「あの、笹山さん。ちゃんと休めてます?」

「一度、病院に行った方がいいのでは……?」


 こういった反応が返ってくることは既に想定済みだった。なんせ――、


って、本気ですか?」

「ああ、本気だ」


 笹山の立てた仮説はこうだ。


 五感やIQの上がったネコがメッセージカードを咥えながら夜な夜な家に忍び込む。足音一つ立てずに侵入した後は、宝飾品と引き換えにメッセージカードを置いて静かに立ち去る。

 これなら、メッセージカードに咥えられた跡が比較的新しいという鑑識の結果にも一致する。その上、防犯カメラの死角にもおそらく入りやすいことだろう。さらに、村上の話していた実験の対象の中にはネコもしっかり入っていた。


「警部。たしかにつじつまは合うっちゃ合うっすけど、さすがに無理矢理すぎる気が……」

「なに、ものは試しさ。常識を疑いでもしなけりゃ、この事件はきっと解けない。そんな気がするんだ」


 そうして強引に話を進めていった結果、犯人、もといを捕まえるチームと、実験を行った大学を調査するチームに分かれて行動することになった。


 笹山は村上を含む部下を3人連れて前者のチームを率いる。いわゆる少数精鋭というやつだ。

 実は以前に何度か大編成を組んだことがあったのだが、なぜかその日は決まってジュエルキャットが現れなかった。そこで今回は、なくなく人数を絞ったというわけだ。


 捕獲作戦を練った後、笹山はさっそく宝飾店でネックレスを、ホームセンターでマタタビと大網を購入してきた。笹山のなけなしのお小遣いから出した金額は決して安くはなかった。

 だが、これも"ジュエルキャット"を捕らえるため。

 そう自身に言い聞かせながら、寂しくなった財布をカバンにしまった。懐が妙に寒く感じるのは冬の寒さのせいに違いない。


 日付が変わる頃、確保場所に選んだアパートへとむかう。ここは連続盗難事件の中でもよく被害に遭っている場所だ。

 その中の一室の前に立ち、インターホンを鳴らす。すると、ドアがガチャリと開き、見知った住人が顔を現した。


「お、ようやく来たんすね」

「なかなか子どもたちが寝付いてくれなくてな」


 村上の部屋に上がると、他の部下たちが談笑していた。「お疲れ様です」と軽く挨拶を交わした後、机の引き出しをおもむろに開く。その中にネックレスとマタタビを置けば、準備は完了だ。笹山は部下たちに捕獲用の大網やマタタビを渡すと、近くのベッドや物置に身を潜める。


 時刻は深夜0時。この町では珍しく、気温は氷点下に入っていた。

 暖房の駆動音だけが静かに響く。明かりを全て落とした部屋の中には、道路に立っている電灯の明かりだけが淡く差し込んでいた。


 ほどなくして、開け放していた窓から一つの小さな影が飛び出してきた。

 現れたのは、白いメッセージカードを咥えた黒ネコだった。


(来たか"ジュエルキャット"。まだ俺たちには気づいてないみたいだな)


 黒ネコは軽い身のこなしで机の上に乗ると、引き出しを器用に開ける。そこにメッセージカードを置くと、続けてネックレスを口に挟んだ。

 そうしたところで、黒ネコの動きがピクッと固まる。暗くてよく見えないが、隣に置いてあるマタタビにそっと顔を近づけているように見えた。それと共に、黒ネコの背中がだんだんふにゃりと曲がっていく。


(今だ!)


 物陰から勢いよく飛び出し、黒ネコめがけて大網を振り下ろす。捕らえた!、と思ったその矢先、机と網の間の僅かな隙間からするりと抜け出してしまった。

 だが、窓はもう部下が封鎖している。逃げ場を失った黒ネコは玄関へと走って行く。

 その前方に颯爽と部下たちが立ちはだかった。


「逃がすな!取り押さえろ!」


 村上たちが腕を広げて飛びついたり、大網を振ったりするも、それらを華麗に躱していく。

 そうして玄関にたどり着いた黒ネコを笹山がじりじりと追い詰める。黒ネコは心底怯えたようにブルブルと身体を震わせ、そのつぶらな瞳でこちらを見つめてくる。さきほどまでの威勢はどこ吹く風といったところだ。


「そうだ、おとなしくしてくれ。よーし、いい子だ!」


 射程圏内に入った笹山は再び大網を振り下ろした。おとなしく捕まってくれるかと思ったその刹那、黒ネコは不敵な笑みを浮かべると同時に、真横へと飛んでそれを躱す。


 そこからは一瞬の出来事だった。ドアの横の壁にはめられている郵便受けの扉を器用に開けると、その中にするりと身体を滑り込ませる。不意を突かれた笹山がその背中めがけて手を伸ばすも、あっという間に外へと飛び出してしまった。

 慌ててドアを開くも、既に黒ネコの姿は見当たらなかった。


「くそっ!あと少しだったのに……!」


 とどかなかった黒い背中が何度も頭をよぎる。

 真冬の冷たい風が赤らむ耳を痛めつけていった。


 

 翌朝になると、大学を調査していたチームから報告が上がってきた。どうやら研究を主導した人物との連絡が付かないとのことだった。

 これからはその捜査に本腰を入れることになるだろう。


 そんなことを考えていると、娘たちから「こっちきてー」と呼ぶ声が聞こえてきた。

 今日は家族と久々のショッピングモールに来ている。あまり休めなかった分、今日は家族水入らずの楽しい時間に浸ることにした。


 明日は年に一度のクリスマス。夢を運ぶサンタクロースに混じって、奴もきっとどこかに姿を現すはずだ。



 今度こそ捕らえてやる。

 怪盗ジュエルキャット!



(おわり)

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怪盗ジュエルキャット 杉野みくや @yakumi_maru

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