第3話 病院を間違えていた……だと!?

前回までのあらすじ:ベトナム・ダナンへの旅行中、嘔吐と胃痛で動けなくなったわたし。保険対応の病院で点滴を受けたところで、夫から「ここは間違った病院だ」と衝撃の事実が告げられる。


***


「詳しくはあとで説明する。とにかく正しい病院へ行こう」


 夫にうながされ、わけがわからないまま、タクシーに乗り込む。病室からタクシーまでは、病院スタッフが車椅子に乗せてくれた。


病院入口には、往路で付き添ってくれたホテルのスタッフ女性が来ていた。ドン紙幣(ベトナムの貨幣)何枚か手に、気まずそうな顔をしている。タクシーには女性スタッフも同乗したが、今度ばかりは神妙な顔をしていた。


 あとで聞いた話によると、保険会社から告げられた病院名は、「シティ・ホスピタル・ダナン」。夫はそれを書き留め、メモをホテルスタッフに見せて伝えていた。しかし、同エリアには「ダナン・シティ・ホスピタル」と、極めて似た名前の病院があり、ホテルスタッフの女性はそちらだと思い込んでしまったらしい。


夫は備品に書いてあった病院名を見て、間違えに気づいたのだという。わたしなら絶対に気づかない。賢者なのか⁉ と思った。


 胃痛は残っていたが、気分はだいぶマシになっていた。今度は30分ほど走り、タクシーは繁華街へ。「正しい」病院は、その一角にあった。


しかし、わたしの足には靴下のみ。ホテルから車いすに乗ったとき、あわてて靴を履かなかったことに、そのとき思い至った。いま、タクシーに車いすはない。どうしよう……と戸惑っていたら、夫が意を決し、お姫様抱っこをして入り口へ運んでくれた。それを見たタクシーの運転手が、「男を見せるねェッ!」みたいなことを言って、サムズアップしていた。夫本人は、


――別にいいところを見せようと思ったわけじゃないから! もう結婚してるから! 非常事態なだけだから! 


と思ったとのこと。わたしは夫の腰が心配だった。緊急事態で車いすに乗るときは、忘れず靴を履きましょう。


「正しい」病院は、二階建ての一軒家風。こざっぱりとしてあたたかみのある診療所といった趣だった。


一階の診察室兼処置室のようなところに寝かされ、眼鏡をかけた女性スタッフに、症状をいろいろ聞かれる。女性の手には、前の病院からの申し送り書があった。海外旅行保険会社の窓口では、「日本語が通じる病院」と紹介されたが、ここも日本語はまったく通じなかった。唯一、日本語で「下痢はない」と言ったら通じた。なぜだ。


質問はすべて英語ではあったもののツーリスト慣れしており、かなりわかりやすい。


一つ目の病院でも、ここでも、「何回吐いたか」を聞かれた。たくさん、たくさんとしか答えられない。とりあえず点滴をすることになった。


 ここでも寒さを訴えたところ、


「あなたは今、熱がある。布団を追加した場合、熱が下がったとき、きっと暑くなってはいでしまう。そうすると、かえってからだによくない。だから、追加はできない」


と、丁寧に説明してくれた。そこで、自分は熱があるのだとはじめて知った。


 一時間ほど点滴を打ってもらったところで、女性スタッフに「気分はどうか」と聞かれた。時刻は23時。だいぶ気分がよくなったと答える。


続けて、「ホテルに戻りたいか、ここにとどまりたいか」と尋ねられた。できれば帰りたいが、明日、午前10時半のフライトで日本に帰国する予定だと話す。


「それなら急変しても対応できるこの病院で朝まで様子を見て、帰国できそうならフライトへ。無理そうなら、もう1日ここで過ごしましょう」


とすすめられた。今晩は夫も一緒に泊まれるという。ホテルのチェックアウトは? 荷物は? と心配していたところ、病院側がアドバイスをくれて、早朝、夫がホテルに戻ることとなった。


「正しい」病院の対応は優しく、旅行者のニーズや気持ちをよくわかっている。そして、思いいたる。最初の病院は、いきなりツーリストの病人を送り込まれたわけだから、さぞかし戸惑ったことだろう。


 一夜を過ごすこととなった二階の病室はこれまたこざっぱりした部屋で、ベッドがふたつ並んでいた。このころにはさらに気分は落ち着き、眠ることができた。


 夫は、「妻が治らず、明日のフライトで一緒に帰国できない場合」を考えて悶々と眠れず、スマートフォンで情報収集をしていたらしい。巡回の看護師にそれを見つかり、「明日に備えて寝なきゃだめよ!」と注意されたとか。


なお、ベトナムはWi-Fi環境がかなり充実しており、病院内の壁にはパスワードが書かれた紙がはってあった。


 夜中に目を覚ますと、やや暑く感じた。この病院に来たときは、あんなに部屋が寒いと思っていたのに。自分は案外、高い熱を出していたのだろう。


 早朝、看護師が起こしに来てくれて、夫はいったんホテルへ。


7時ごろ、「食べられそうか。ビーフ粥かトースト、どちらかを食べるか」と聞かれ、ビーフ粥をお願いする。「あなたのためのスペシャルよ」とウィンクする看護師。


この看護師は夜中見回りに来てくれた人で、「Don't worry」と何かにつけて励ましてくれた。夫もわたしも、この人の存在に、大変に救われたのだった。


 出てきたビーフ粥はとても美味しかったが、何しろ器はラーメン丼ほどの大きさで、ボリュームたっぷり。片手に点滴が刺さったままなので、針が外れてしまうのではと不安もあって、食が進まなかった。適当に食べて横になったところ、看護師がやってきて、「そんなことでは帰国できないよ!」とはっぱをかける。「帰国できない……」と青ざめるわたしに、「いや、食べないと力がつかないから言っただけで……」と、フォローしてくれて、やっぱりやさしい。


 8時近くなり、夫がスーツケースふたつを手に帰ってきたが、肝心の医者が着かない。フライトは10時30分。ダナンは空港と市街が近いとはいえ、心配だ。不安を訴える。


「医者は今、スクーターで向かっている。でも、フライトには間に合わせるから心配ない」


と力強い答え。


 待つ間、「クイックシャワーを浴びたら?」と言われ、病室付属のユニットバスで、シャワーで簡単に体を流す。点滴の針が刺さったままの手には、ビニールをかぶせてもらった。至れり尽くせり。12時間ほど前は、翌朝に粥を食べ、シャワーまで浴びられるとは思わなかった。


 医師が到着し、瞳孔をのぞき込んだり、寝転がったわたしの腹をおさえたり、簡単に問診をしたり。その結果、「フライトOK!」とお墨付きをもらい、ひと安心。


5種類ぐらいの薬をわたされ、それぞれどんな薬なのか、いつ飲むのか説明を受ける。卵と乳製品は食べないこと。コーヒー、紅茶はOK、でも牛乳やチーズなんかはダメだと念押しされた。


 いよいよ退院、帰国だ。受付では「もし、飛行機に搭乗するとき何か言われたらこれを見せろ」と、「フライトOKお墨付き証明書」のようなものを渡された。「何も言われなかったら、出さなくてOK」と、スタッフが茶目っ気たっぷりに笑う。伝染病を疑われるのでは、というのも心配のひとつだったから、これはありがたかった。


 タクシーを呼んでもらい、空港に向かう。からだに力は入らないが、問題なく日本へ帰れそうだ。


空港で見かけたトイレの「おむつがえ台あり」のピクトグラムの赤ちゃんを真似たところ(足をガニ股気味に開いている赤ちゃんのシルエットがかわいかった)、夫が「元気になった」と心底うれしそうに笑ったのをよく覚えている。


飛行機のなかでは弱い下痢状症状があり、胃も本調子ではなく、機内食は思うように食べられなかったが、おおむね問題なく帰国。日本の空港ではうどんを完食し、回復を実感した。


 もらった薬は、使い切り目薬のような容器に入った「ちゅーっ」っと吸い出すもの、粉薬2種類、でっかい錠剤がひとつ、中ぐらいの錠剤がひとつ。


粉薬は両方ともにパウチに切り込みがついておらず、はさみを使わないと封を開けられない。水に溶かして飲むという、日本の粉薬では見かけない仕様だった。うちひとつはひどく粉っぽく、コップに入れたとき、水を注いだとき、それぞれに土煙のように舞い上がるので、服用量が半分になっているんじゃないかと思ったほどだった。


服用タイミングは食中食後ではなく、1日5回、6時間ごとなど、薬によって食事関係なく指定されていた。


 帰国し、それを服用しつつ過ごす。帰国して二日目、はじめて炒め物をつくって食べたとき、やっと旅行が終わった気がした。

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