第2話 旅行先で動けない! 病院へ行こう!

前回までのあらすじ:ベトナム・ダナンで体調を崩してバスルームで嘔吐をつづけたわたしは、夫に海外旅行保険窓口に連絡するようお願いした。


 さて、バスルームで嘔吐をつづけるわたし。そのとき、夫はというと……。


夫も当然、バスルームにこもってわたしがゲエゲエやっていることは知っていた。しかし、下痢もしているかもしれないという気づかいから、部屋で気をもみながら待っていてくれたらしい。


夫の頭の中にあった選択肢は、以下の三つ。


「現地の救急車を呼ぶ」

「旅行会社に連絡する」

「ホテルに助けを求める」


「海外旅行保険の窓口を頼る」は考えになかったと後で聞いた。


 ともあれ、「保険会社に連絡してくれ」とわたしから頼まれた夫は、戸惑いつつも承諾し、ホテルの部屋から保険会社に電話をかけてくれた(SIMカードは買っていなかった)。


やがて、部屋を飛び出していく夫。部屋の電話からは、海外旅行保険の緊急連絡先の「ベトナム滞在中の方はコチラ」と書いてある窓口につながらず、フロントを頼ったらしい。


我々が滞在していたホテルは、日本語対応なし、英語はOK。当時、夫は英会話に堪能というわけでもなかった。夫は、さぞかし苦労しただろう。


結局、フロントでもその番号にはつながらず、渡航先がタイの場合だったか、とにかくベトナム国外の問い合わせ先にフロントから国際電話してもらい、やっと係につながった。この理由はよくわからない。


 そこからの流れはこうだ。


まず、海外旅行保険窓口(日本語対応)に、妻が体調を崩していることと症状を伝える。窓口からは、受け入れ可能な病院を調べるのでお待ちくださいと言われる。部屋に戻って折り返し待ち。


部屋に折り返し連絡が来る。夫は病院名、電話番号をメモる。フロントに行き、その病院へ行きたいと頼み、タクシーを手配する。


時刻は20時。以上を済ませた夫が部屋に戻り、「病院、見つかったから! タクシーで行こう」と声をかけてくれた。しかし、わたしは嘔吐の波が引いたときに、やっと這って動けるぐらい。とにかく胃が痛い。


そうだ、ホテルなんだから車いすくらいあるだろう! とひらめき、気軽な気持ちで夫に手配を頼んだのだが、フロントへ舞い戻った夫は、「ホイールチェア」がなかなか通じず苦労したらしい。


やがてホテルのスタッフが、車いすを直接バスルームまで運び入れてくれ、わたしは夫に助けられ、“車上の人”となった。夫はパスポート、保険の証書、スマホなどを持ってきてくれた。


 このときの私のかっこうは、タンクトップにナイロンのガウチョパンツ、その上にホテルのガウンを羽織るというもの。昼寝のままだが、着替えられるぐらいなら、車いすなんかに乗ってはいない。そして、このときはテンパっていて気づかなかったが、靴を履き忘れた。


そのかっこうのまま、紙のような顔色でゼェハア言いながら車いすに乗り、エレベーターで他の客に囲まれて階下に降りた。もちろん、手には嘔吐対策のため、空のビニール袋を握りしめる。


 フロントまで降りると、欧米人の男性が夫に何かを話しかけ、タクシーまでエスコートしてくれた。保険会社への連絡時や車いす手配時、フロントで右往左往する夫を何かとサポートしてくれたスタッフだそう。おそらくホテルのかなり上の人ではないかと夫は言っていた。


その男性のはからいで、ホテルスタッフの若い女性がひとり、タクシーに同乗してくれた。行き先の病院もその女性が伝えてくれた。たいへんありがたかったのだが、このはからいがのちにトラブルを招くことを、我々は知るよしもない。


 ホテルスタッフの女性は明るいお調子者といった雰囲気で、タクシーの運転手にしきりに話しかけていた。「もうすぐ退勤なのに巻き込まれちゃってさあー」みたいな話をしていたのではと思う。


 病院までは20分ほど。幸い、車内では一度も吐くことなく、病院の救急窓口のようなところについた。出てきた病院スタッフが、どこか迷惑そうな顔をしていたことを覚えている。ホテルスタッフの女性はそこで帰って行った。


 スロープがついた入り口からすぐ、明るい60平米ほどの病室があった。蛍光灯の下、白いシーツが敷かれたそっけない、しかし清潔なベッドが並んでいる。


 ベッドに寝かされ、英語で症状を聞かれたが、嘔吐や下痢にあたる単語がわからない。身振り手振りで説明し、それにストマックエイクを付け足す。スタッフは、「あー、ツーリストがよくなるあれかー」みたいな顔をした。ここへきて安心したのか、また嘔吐が始まる。病院側はとくに何も持ってきてくれなかったので、手持ちのビニール袋にゲエゲエやっていた。嘔吐が終わると、胃痛でダンゴムシのごとく丸くなる。これではスタッフも処置できず、困らせてしまった。


 波がおさまると、スタッフが「吐き気止めだよ」(たぶん)と腕を消毒し、一発注射を打ってくれた。その後、点滴を打とうとするのだが、手の甲に針がなかなか刺さらない。「こぶしを握って」「開いて」と言われているようなのだが、今一つわたしが理解しないため、スタッフはまたまた困り顔。なんとか針をさしてもらい、点滴が始まる。英語での説明をよく理解できなかったが、抗生物質ではないかと思われる。


 病院の時計が目に入る。21時だった。本当だったら、今日はホテルのエステサロンで、夫婦そろってトリートメントを受けるはずだった。夫にとっては、それがはじめてのエステ。それから、海鮮が美味しいレストランで食事をして……。付き添う夫に「ごめんね」と言ったら、情けなくて涙が出た。こういうとき、泣いても何もならないものなのに。


 それにしても、病室が寒い。タオルケットより薄いブランケットを一枚与えられたが、まったく足りない。自分から、また、夫にも頼んでもらって「寒い、ブランケットがほしい」と訴えるも、スタッフは面倒そうにその一枚のブランケットをかけ直すのみ。


寒さをのぞけば、注射と点滴効果で気分が落ち着いてきて、ウトウトする。


 目を覚ますと、夫が難しい顔をして、スタッフに何かをかけあっているのが見えた。やがてスタッフの携帯電話をかりて、どこかへ電話をかけはじめる。保険の話でもしているのかと、またウトウトしようとしたそのとき。ベッドサイドに戻った夫は告げた。


「ここ、間違った病院だから! これから、正しいほうへ移るから」


ええええーーーー!?


 ダナンの夜は、まだまだ長い。

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