第22話 アイディアの数
「天才になろうだなんて思っちゃいないよ……。そもそも、天才ってのは最初から決められていることだろうし、それを決めることなんて全く出来やしない。天才と凡人では、スタートラインが違う。そのスタートラインを変更することは出来ない——けれど、走る速度ぐらいは変えることが出来る。それが努力って奴だ。そうだろう?」
「……何だ。分かっているんじゃないか」
歩は溜息を吐いて、おれにそう言った。
理解しきってはいないけれど、少しずつ歩み寄るべきだな――とは思っているよ。
それぐらいの心情の変化は、ある。
「……ふうん、少しばかりは色々と考えているってことなのかな? まあ、分かるよ。そういう切磋琢磨というのは。別に否定するつもりもないし、寧ろ肯定したいぐらいだからね。やはり何でも競争しないとつまらないものだよ」
「……そういうものかね」
「そういうものだよ、少なくともぼくがずっと過ごしてきた世界では、ね」
過ごしてきた世界、か。
確かに歩はずっとプロ小説家の世界を歩んできていたんだ。素人、もとい作家志望のおれがああだこうだ言ったところで、そんなことは無意味だと言って良いだろう。或いは、嘲笑の対象に入ると言っても差し支えない。
「ぼくだって、スランプの一つや二つぐらいするからね。珍しい話でも何でもない」
「おまえが?」
想像できないな。
「想像したくない、だけじゃないのかい? ぼくは完璧でも何でもない。天才と言われるかもしれない——天才と疎まれるかもしれない。さりとて、ぼくという存在はどちらかと言えば凡人の方だと思っているよ。ただまあ、ここまで辿り着くのに並大抵じゃない努力をし続けてきたのは、間違いないけれどね」
「……おれはどうすれば良い?」
「どうしても良いんじゃないかな」
質問をしているのに、曖昧な回答をもらっても困る。
何か、明確な答えが欲しいのに——。
「そもそも、何か答えを他人から得ようとしていること自体が間違っている——そう思うべきではないのかな? 例えば、自分自身が存在できなくなるぐらい、致命的なエラー……。そんなことが起きてしまったのなら、流石に手を差し伸べることはあるのだろうけれど」
「……、」
「でも、それをしてしまうときみのためにならない。分かるだろう? ここまで書いてきて、プロの力を借りて完成させたとしても、その原稿は果たしてきみが百パーセント頑張って執筆した作品となり得るのだろうか? 答えは、ノーとなるのではないかな。やはり、自分が書いた作品こそが自作であると胸を張って自慢できるのだと思うし。それとも、きみはそんなことを関係なしに言えるのかな? そんな面の皮の厚い人間であるとは思ってもいないけれど、さ」
歩はずっとアドバイスをしてくれる。
それはきっとおれのことを思って——だ。そうに違いないし、それを否定するつもりもなければアドバイスを無碍にするつもりもない。
けれど。
今、かけて欲しい言葉は、そうじゃない気がする。
気がするんだよな……。
「……ぼくも色々と言いすぎた。とにかく、ぼくも色々ともう一度きみの原稿を違ったアプローチで見てみることにするよ」
「…………え?」
いきなり歩がそんなことを言い出したので、おれは思わず顔を上げた。
「言いすぎたよ、流石に。きみの立ち位置的にがむしゃらに行動したくなるのは分かる。アイディアや文章を詰め込みたくなるのも分かる。表現したいことが山ほどあって、それを一つの作品に入れ込みたくなるのも、全て分かるよ。分かるけれどさ」
「……分かるけれど?」
「アイディアってものは、出し惜しみすべきなんだよ。それが良いアイディアであったとしても、ね。会心の出来のアイディアがたくさんあったとしても、それを選択しなければならない。どれを使って、どれを使わないか——。それが、間違いなく作家としての第一歩であるとぼくは思うね」
「無闇矢鱈にアイディアを詰め込みすぎない、ってことか」
成程、言い得て妙だな。確かに様々な作品はあるにせよ、一つのアイディアで攻める作品も少なくない。たくさんアイディアがあるからと言って、それを一つの作品に詰め込んでしまったなら、それは意味がないのかもしれない。アイディア全てが、掛け合わせて良くなるものばかりとも限らないのだろうし。
そういう意味では、歩の言葉はひどく沁みた。今書いている作品は、一応一つの大きなアイディアで物語が成立している。けれども、それの展開が立ち行かなくなってしまったからとて、別のアイディアを持ってくるというのは間違い——ということだろう。
「……成程な。確かに、おまえのいう通りかもしれない。やっぱり、他人のアドバイスってのは大事だよな」
「アドバイスを受けるタイミング、ってのもあるよ。今はちょうど良いタイミングだった、ってだけ。さあ、どう? さっきよりは、先の展開が思いつくようになったかな?」
ああ、少しだけな。
未だ物語の展開の周囲は、暗い闇に包まれているけれど——細い、細い一筋の道がはっきりと伸びているのが分かるよ。
「どうやら、大丈夫なようだね」
歩は幾度か頷いて、おれに言った。
もしかしてこうなることを分かっていたのか——質問しようと思ったが、それも野暮だと思い、何もおれは言わなかった。
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