第21話 天才と凡人

 返事が来たのは翌日のことだった。正確に言えば、翌日の午前四時だったか。こんな朝早くといって良いのか分からないぐらいの夜更けに、メールを受信した通知がスマートフォンから鳴り響いていた。

 もう二時間ぐらいは眠っておきたかったが、しかしながら少しでも目覚めてしまったのなら、今から二度寝するのもどうかと思う。締切までそう時間がないと言うのだから、少しぐらい朝活ではないけれど、一ページでも進められるのならば進めた方が良いだろう−−などと思いながら、おれはスマートフォンを手に取った。

 メールの宛先は、最早言わなくても良いだろう——牧場からだった。

 VTuberっていうのはコミュニケーションが大事な職業である、とは確か歩から聞いていたような気がする。いつも配信ばかりしている社会性ゼロなわけではなくって、そういうのはキャラであり、あくまでもきちんと相手のことを考えてコミュニケーションをとっているのが殆どである、と。

 歩からそう力説され、あんまり本気には捉えなかったけれど、確かに言われてみるとその通りなのかもしれない。多少の問題はあろうとも、企業相手にやり取りするケースだってあるそうだし、企業に属している人間だからこそそれなりの研修だってやっているのだろう。内情を知らないから、ああだこうだと仮説を立てるだけに過ぎないのだが。


「どんなメールが送られてきているのやら……」


 スマートフォンでメールを見ると、最初にこんな文章が書かれていた。



◇◇◇



 毎々お世話になっております。

 牧場ひつじです。

 昨日は、会議ありがとうございました。ご配慮の足りない点などなかったでしょうか? もしあればご容赦ください。

 さて、お送りいただいた原稿を拝見いたしました。そして、本日中に全て読み終えることができましたので、ご報告させていただきます−−。



◇◇◇



「て、丁寧過ぎる……」


 昨日出会った、あの自由奔放な姿はどこへ消えてしまったのだろうか? 実はこのメールはゴーストライターによる代筆なのではないだろうか? などと色々思考を張り巡らせてしまう。

 しかしながら、書いている文章は丁寧である。

 社会性がゼロだなんて、そんなのは嘘っぱちだったのかもしれない。


「……にしても、」


 一応、というかこちらも姿勢を整えて、読み始めている。

 書かれているアドバイスはどれも的確だ。正直耳が痛いと思うぐらい痛烈なものだって書かれている。おおかた、歩が辛口で採点してくれみたいなことを言ったのかもしれないが、今のおれにとっては有り難かった。

 何故ならこれから賞レースで戦わなくてはならない原稿だ。

 良いところばかり言って修正点が皆無になってしまうような、完璧な原稿が生まれるわけがない。まあ、無論それが理想ではあるのだけれど。

 閑話休題。

 おれはパソコンを立ち上げていた。

 書くためか? と言われるならば、当然イエスと言うだろう。

 当たり前だ、こんな熱意を持ったアドバイスをもらって、ただ胡座をかくだけになるか?

 だから、おれは書く。

 ただ一歩ずつ、一歩ずつ、着実に——前に。



 ◇◇◇



「……進めば良かったのだけれどなあ」


 昼前、進捗は最悪の一言だった。

 締切まで逆算すると、一日五千文字は書かないと終わらない。当然確認や修正の時間だって必要だ。書いただけではいおしまい、なんてわけじゃない。商業に乗っている作品だって、当然作者が書いた原稿がそのまま掲載されているわけじゃないし、それを一応募者が実行するのも、何らおかしい話ではなかった。

 しかしながら、それはそれ。

 進捗としては最悪の一言。

 つまり、一文字も進んでいない。

 正確には四千文字ぐらいは書いた。概ね中盤の盛り上がるエピソードの一つだ。そこから終盤戦に持っていくにあたる結束点と言っても差し支えない、重要なエピソードだ。

 しかし、書き上げたところで、どうにもそれが気に食わない。

 そのまま先に進めても良かっただろうし、前の自分ならそのまま進めていただろうと思う。

 しかしながら、あのアドバイスを見てしまうと、より完成度の高い作品を目指さなくてはならないという、ある種のプレッシャーを感じていたのかもしれない——多分。

 そういうわけで、おれは今一文字も書けない、大スランプに陥っていたのだった。


「……参ったねえ」


 そうおれの前で言ったのは歩だった。


「うーん、聞いている話だとあんまり変な感じはなかったけれどねえ。もしかして、アドバイスということにかなりプレッシャーを感じてしまった、とか?」

「可能性は——否定しないが、」

「一応言っておくけれど、天才ってのは居ないからね」

「……うん?」


 いきなり何を言い出すかと思ったら。


「頭が良かったり、素直だったり、段取りが良かったり……多くの人間が羨むようなことを出来る人間が居るとするだろう? それを一概に『天才』と呼ぶのだろうけれど、天才は傍から見れば、凡人とは考えが違う。一握りの天才は紛れもなく存在するだろうけれどね。しかしながら、多く居る天才と呼べるような存在ってのは、凡人には考えられないことを為出かすことが多い——別に侮蔑している訳ではないのだけれどね」

「……ええと、つまり?」

「天才になることは、そんなに難しくないってこと。凡人がやろうとも考えないことをやってのけるのが、凡人と天才の違い。圧倒的な差を縮めるためには、奇想天外なアイディアと並大抵じゃない努力を兼ね備える必要がある……。だから、ぼくは今ここに居る、という訳でもあるのだけれど」

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