第17話 時間の価値

「運も実力のうち、じゃないのか? それを言うなら」


 歩の言葉を、おれは一部否定する。


「ああ、そうだったっけ? ……ってか、ぼく、何て言った?」

「運も才能のうち、って言ったぞ。才能なのかもしれないけれど、世間一般に広まっている言葉とするならば運も実力のうち、だろ」

「……何だか小難しくなったね。少し原稿が詰まってきているかな?」

「詰まっているのは前からだが……読むか? 一応、第一章は書き上げたんだ。これから第二章に取りかかるから、全然序盤の話ではあるのだけれど」


 そう言って、おれは印刷していた原稿を手渡す。

 決して歩のために持ってきたのではなく、これは校正用だ。iPadとかにPDFを映し出しても良いのだけれど、やっぱり見直すのは紙に限る。紙であれば目が滑ることもないし、そのまま直接書き込むことだって出来る。まあ、目が滑るか滑らないかは人それぞれだし、PDFだってスタイラスペンを使えば書き込みは出来るのだけれど。


「これは?」

「言わないと分からないのか? 原稿を読んでくれる、って言ったよな。確か。もしかしたら言われたのが何だか随分昔のような気がして、違った解釈をしていたのかもしれないけれど」

「……いや、言ったよ。確かにね。意地悪をするようで悪いね。確かにその通りだ」


 乾いた笑いを浮かべながら、歩は原稿を受け取った。


「ふむふむ……。ファンタジーにしたんだね。魔法の才能がない主人公が、魔法の才能がピカイチで今世紀最高の魔法使いになれると噂される幼馴染みと冒険をする、と……。良いねえ、在り来たりだけれど」

「駄目か?」

「別に?」


 歩はそう言って、一枚だけ原稿用紙を摘まむと、読み始めた。


「別に、在り来たりだって構わないと思うからね。例えば異世界転生と一つ取っても、どの作品もオリジナリティを発揮している作品が殆どだろう? お約束を踏まえる必要もないし、敢えてそのお約束を踏み外してしまったって構わない。全ては読者に如何に刺さるか。読者がこれを読んでどう感想を抱き、どう面白いと思ってくれるか——それに尽きると思うよ」


 二枚目を取り出す歩。


「作者——即ちぼくや肇くんのような存在は、その作品の完成度を持ってモチベーションを高めると思う。完成度が高いイコール面白い訳でもないしね。無論、概ねイコールになるケースはあると思うけれど、面白い作品の中には文法が間違っていたり言葉の意味が間違っていたりすることもあることはある。要は欠点があったとしてもそれを無視出来るぐらいの面白さがあれば、きっと物語は売れる。多くの人に、物語を届けることが出来る」

「……成る程な」


 つまり、幾ら作者の方で完成度を高めたとしても、それはエゴだと。

 読者がどう受け取るか、作品はそれに尽きる、ということか。


「漸く分かってきたみたいだね。そう、例えばこれが趣味の領域だったら構わないんだよ? 所謂商業作品には絶対出てこないような作品を書いてきたって、別に良いんだ。文句を言われる筋合いもないからね。本人が、作者が、どれだけ楽しく書けているか——趣味に関しては、それだけで良い。評価する人間が居るとしても、それは作者がどう受け取るかだから。……でも、商業になってしまうとそれは違う。読者の意見や評価は無視出来ない、寧ろ第一に優先すべきものとして扱われる訳だ」

「……ううむ」


 分かってはいるけれど、こうも明言されてしまうと、反応に困ってしまうな。

 そりゃあ、作家としては歩の方が先輩だし、間違っていないと思う。

 けれど、読者の顔色ばかり伺っていても、それは如何なのだろうか? 自分がほんとうに書きたい作品は、絶対に書いてはならないということになってしまうのだろうか?


「……色々と、悩んでいるようだね」

「ああ。だって、やっぱり気になるじゃないか。如何しても自分が書きたい作品を世に出したい。それが作家であり創作をする人間全ての夢や希望じゃないのか?」

「肇くん、きみは随分明るい言葉ばかり使うね」


 くすくすと笑みを浮かべて、歩は言った。

 原稿用紙は四枚目を終えて、五枚目に差し掛かっている。

 時間はどんな時であっても進む速度は変わらないはずなのに、今はとっても遅く感じる。

 何だろう。全身からひどい汗が出ているような、そんな錯覚にさえ陥ってしまう。

 早く終わらないか——と思ってしまうが、しかしそれは同時に歩にとっても面白くない作品だったという評価を下すことになるのとイコールだ。

 歩の——現役作家の貴重な時間を奪ってまで、執筆中の作品を読んでくれているのだ。

 ただの、アマチュアの。

 作家志望の、ただの人間の。

 その作品を、今、一人の作家が読んでくれているのだ。

 そんな状況であるのに、相手を慮らない訳にはいかない。


「……現実は、時に残酷だよ」


 歩は、低い声で冷たく言い放った。


「残酷、か」

「そう。確かに、作家、いや創作者は誰も自分が描きたい作品を書きたくない訳じゃない。当たり前だよ、自分の空想や妄想や想像を、世の中の多くの人間に届けたいだろう? 承認欲求と言うと言い方が悪いかもしれないけれど、そんなイメージだよ」

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