第18話 評価

 六枚目。

 七枚目。

 無言で、歩は原稿用紙を捲り続ける。

 それがあまりにも恐ろしくて。

 それがあまりにも辛くて。

 ただ、ただ——永遠にも長い時間を感じたような、気がした。


「……良いんじゃない」


 そして、読み終わり——歩は言い放った。


「良い、とは」

「言葉通りの意味だよ。少しはまともに受け取るべきだと思うけれどね? さりとて、それを擁護するつもりもない。肇くん、きみの書く物語は——その才能は、枯れちゃいなかった。それは間違いない」

「……そうか」


 それを聞いて、おれはほっとしていた。

 溜息を吐いたと——そう言い換えれば良いかもしれない。

 しかしながら、それでも油断は出来ないし安心も出来ないと言って良い。

 安心したのは束の間、である。


「——ただ、粗が目立つね。アマチュアだから致し方ないのかもしれないけれど、それでも光る物があると分かってもらえるのならば、それは商業のルートへ続く可能性が、少しばかりは出来てくるのかもしれない」

「つまり、未だそれに程遠いと?」

「……直ぐ根暗になる。あんまりそういうマイナス思考で居るの、辞めた方が良いと思うけれど?」


 全てを持っている人間に言われたところで、それは僻みでしかない。


「……まあ、いいや。とにかく、読み終えたけれど……。まだまだ、磨く要素はあると思うよ。どんなくすんだ石だって磨き続ければダイヤモンドのように輝き続ける——ってのは、わりかし有名な話だからね」


 聞いたことはあるけれど。

 しかし、それを光り輝く側から言われてしまっては、おれは何も言えなかった。

 それは、勝者の発言だったから。

 敗者からしてみれば、それは勝者の余裕にしか見えないから。


「……なあ、歩」


 おれは、気付けば歩に問いかけていた。


「何だい?」


 歩は、いつも通りの表情で、おれに答えた。


「作家になるってさ——難しいことなのかもしれないよな」

「聞かせてもらおうか」


 歩がそう姿勢を正すけれど、別に勿体振って言う話でもないと思う。

 おれがおれであり続けるために、歩が歩であり続けるために——人間それぞれ考え方は違うし、当然それは人生にもアプローチし始める。

 だから、簡単に言ってしまえば。

 別に作家にならない人生の選択だって——十二分に有り得るのではないだろうか?


「人生は無限に広がる選択だって、何処かの誰かが言っていたような気がするけれど……。それって存外間違いでもないんだろうな、って最近思えてきてさ」

「成る程?」

「例えば、『塾に通うかどうか』という選択肢があるとして、それをイエスかノーで選択することが出来るはずだろう? そして、その選択によって人生が大きく左右されることだって、当然あると思うんだよ」

「バタフライエフェクトって奴だね」


 何だっけそれ?


「つまりは、一匹の蝶の羽ばたきが大きな竜巻を巻き起こすことが出来るか? といった命題だね。簡単に言えば、それは有り得ないと切り捨てることが出来るかもしれない。しかしながら、現実はどうだろうか? それこそ、風が吹けば桶屋が儲かるというレベルのバタフライエフェクトが起きているのではないだろうか? 常々、思うよ」

「そんなこと、考えているのかよ……」


 やっぱり、歩とおれでは頭の構造が違う。

 何を考えていて、何を好んでいるのか。

 そりゃあ、作家になるよ。成功もするよ。

 天才なのだから、こいつは。


「……難しい話をするつもりはなかったんだけれどね?」


 嘘を吐くな。

 まあ、話を切り出したのはこちらだから、強ち間違っちゃいないのか?


「つまり、肇くん、きみの人生だって選択の連続だった——そう言いたいのかな?」

「ああ」


 つまりは、そういうことだ。

 一万にも百万にも十億にも——無限大に広がっている選択から、一つの選択を選び続けた結果——これが今の人生だ。

 後ろには二度と戻れない数々の選択があり、前にも二度とやり直せない選択の数々がある。

 人生は、ロールプレイングだ。

 人々は、それぞれの役割を自覚し、行動する。

 簡単に言えばそれまでだけれど、それを考えてそう行動する人間が果たしてどれだけ居るだろうか?


「……生き方を否定するつもりはないよ。だって、それはその人間そのものを否定することに繋がるのだからね」


 歩は、溜息を吐いてそう言った。

 何処か諦めたような口調にも思えた。


「けれどね」


 歩は話を続ける。


「それでもやっぱり——人間というのは、常に評価し続け、常に否定し続け、常に肯定し続け、常に試行錯誤し続ける生き物であると思うのだよね」

「……何か、学生時代を思い出したよ」


 歩は、確か大学の時もそんな高尚な考えだったような——そんな気がする。部室でああだこうだと議論になることもあれば、歩の話に誰もついて行けずに歩の独壇場になってしまったことだってあった。

 今思えば懐かしい思い出。

 しかし、二度と戻ることのない出来事でもあった。


「はっきり言えば、世知辛いものだよ。人生というのは」


 歩はさらに続けた。


「成功した人間だと思うのだろう? ぼくのことを。けれども——けれども、それは傍から見れば正解なのかもしれないけれど、ある種間違っているようなそんな感覚に陥ってしまうような、気がするとぼくは思うよ」

「……つまり?」

「成功した人間という評価は、あくまで世間の評価に過ぎない——ってことさ」


 相変わらず、相変わらず——。

 難しいことを言う奴だ。

 大学時代から変わっていないのは、おまえぐらいじゃないか?


「さあ、話はこれでお終い。修正してほしいことは沢山あるよ。さりとて、光る物もある。それをさらに磨き上げるような——そんな感じにするんだ。分かったかな?」


 立ち上がり、歩は言う。

 強引に話を切り上げられ、少しばかり消化不良感も否めなかったが——しかし、歩の言っていることが正しく、おれはそれに従うべく、一つ溜息を吐いたのち、その言葉に同意するのだった。

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