第16話 数字の定義
五週間という期間を、長いと取るか短いと取るか――それは人によるとしか言い様がない。難しい話だよな、全く……。しかしながら、普通に考えれば五週間は長いとも短いとも言い切れない。大抵は、何かやることを設定しなければそれの長さなんて測りようがないからだ。
今の文字数は、約二万文字。
はっきり言って、遅い。
一週間で二万文字という数字をどう捉えるかという話だけれど、これが全く文章を書いたことのない人間であれば優秀と言って差し支えないだろう。
「でも、簡単に言うが」
それから先が大変だ。
二万文字という数字に変えてしまうとこいつは凄いことだと思われてしまうのだろうけれど、しかしこれを一冊の文庫本に換算するとどうなるか。
二万文字と言うのは、一冊の文庫本で言うところの五分の一。
二百ページの文庫本が一冊だと仮定しても、未だ四十ページしか進んでいない。
冷静に考えてほしいが、四十ページでとてつもなく展開が進行することはあまりない。冷静に考えて、それぐらいスピードやテンポよく進んでいたら、寧ろ後半の展開が心配だ。前半のスピードが失速するのもダメだし、変に加速して読者を置いてけぼりにしてもダメだ。
では、二万文字でどこまで進んだのか? と言う話に翻ることにすると、
「……プロットは予定通り、か」
そう。
まさか自分でもここまで想定通り進むとは思いもしなかった。途中止まっていたことはあったとしても、全体的な展開から考えれば瑣末なことであったことは、火を見るよりも明らかだ。
「出来たのかい? そりゃあ良いことじゃないか」
昼食のタイミングで進捗を報告したところ、歩からそう言われた。
「良いこと……なのだろうけれど」
「なんだ、不満なのかい? 進捗をあけっぴろげに言えるのは良いことだよ。作家とて、一から十まで完璧に同じペースで書き続けられる訳ではないのだからね。やはりムラもあるだろう」
「……そういう歩も、やはりそうなのか?」
「人間だからね、そういうことだってあるよ」
あっさりと言い放つと、切ったハンバーグを口に放り込んだ。
大抵、歩と家で食事をするときは出前だ。出かけて外で食べても良いのだろうけれど、歩はプライベートな空間での食事を好むことが最近になって分かってきた。
即ち、同窓会みたいな場所にやってくること自体が、そう当たり前ではないということだ。
物珍しい、と言って差し支えないだろう。
「……ぼくからしてみれば、羨ましいけれどね? リフレッシュをしてもなかなか文字が出てこないことだってある。一日かけて一行書ければ御の字って日もあるぐらいだ」
それは……。
なかなかにハードな一日ではないだろうか?
産む苦しみと言うのは、分かっているつもりだ。
だからこそ——歩のその発言は、重くのしかかってくる。
「作家によっては、映像をノベライズするだけっていうのも居るだろう? ……別に肇くんがそうであるとは言わないさ。誰しもそういった経験は持ち合わせているだろうからね。そういう作家は、ある種の特異的な存在であるとも言えると、ぼくは考える訳だ。やはり文章は文章でしか生み出せないって人も居るだろうし、頭の中に常に流れている映像をひたすら文章化するだけで小説が出来上がる、っていうのも居る。作家は、作家の数だけ違いがあるってことだよね」
「……なあ、歩」
おまえは、ずっと凄い存在だとばかり思っていた。
思い込んでいた、というのが正解かもしれないな。いずれにせよ、おれの考えだ。誰かが否定してくれるだろうし、勝手に否定してくれたって構わない。それぐらいの吹けば飛ぶ程の凝り固まっていない概念だ。別に、それをじっくりと固めていこうだなんて考えちゃいないし、考えることもしない。
さりとて、翻って考えると、ただの人間である以上、おれはただ凡人の域を出ないのだと考える。
当たり前といえば、当たり前だ。目の前に居る歩は作家として順風満帆な人生を送ってきて、こちらは崖っぷちの人生になっているのだから。
拾った者と、拾われた者。
ある種の対比が出来ているとでも言えば良いだろうか。
「ぼくは、凄い人間でもなんでもない。確かに、自分が紡ぎたいと思った物語を世に出して、多くの読者に見てもらえている時点で、普通の人間とは違うのだろうね。そこは否定しないし蔑むつもりもない。それをしてしまえば、今までぼくの作品を読んできてくれた読者のみんなを裏切ることになりかねないからね」
けれども。
「けれども……、未熟であることには変わりない。偉大なる先人と比べれば、ぼくはまだまだだ。作家としては発展途上とでも言えば良いか。まだ発展するのか、と言われるとイエスと言い切れないところはあるけれど。しかし、そうだ。天才とは違う、努力しても掴めないものは、ある。努力——血の滲むような努力をしたとて、天才との差は埋まらない。天才は、生まれてからその才能を得て、享受して、それを得られたことを苦にも思わない存在だ。……別に天才が悪いとは言わない。それは、運なのだからね。運も才能のうち、とは誰かが言っていたような気がするけれど」
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