第15話 それでも前に

 普通の物語であれば、これで完結って話になるのだと思う。

 蟠りがなくなったかと言われると微妙だけれど、少なくとも会話は出来るようになった、ってね。

 しかし、これは現実だ。

 現実は、空想ほど甘くはない。

 帰ってから、おれはまた小説を書いていた。

 そして、おれはまたスランプに突入していた。

 いや、正確にはスランプに戻った——と言えば良いのか。書けているタイミングが珍しいぐらいなのだから。

 一分、一時間、一日……経過しても、一文字も書けなかった。

 アイディアが、プロットが、あったはずだ。

 情景が浮かんできていたはずだ。

 だのに、書けない。


「……進捗が良くないみたいだねえ」


 一文字も書けずに、二日が経過した。

 こんなことをしているうちに、コンテストの締め切りは刻一刻と迫っている。

 コンテストの締め切りは、ちょうど五週間後。

 カレンダーの日付の上には、ばつ印が並べられている。

 歩が定期的に進捗を確認しに来るが、おれの状況を見て溜息を吐いてばかりだ。


「……何度来たって状況はそう簡単に進展しねえよ」

「そうかい? それとも、書けなくなってしまった理由でもあるのかな」


 歩の言葉が、鋭く突き刺さる。

 まるで、ナイフだ。

 これ程までに突き刺さるナイフがあったものか。


「……ちょっと気分転換しないかい?」


 三日目の昼、進捗を聞き出した歩は、おれにそう提案した。

 おれはそれを聞いて、目を丸くしていた。

 ただでさえ書けていないのに、気分転換だって? 一文字も全く書けていないんだぞ。流石にそれは——。


「いやいや、気分転換は大事だよー? どんな高名な作家だって、オンオフの切り替えは大事にしている。そうでないと量産出来ないからね、物語を。ぼくだってやっているよ、色々とね」

「ふうん。例えば?」

「お風呂に入ると良いよ。一日三回は入っているし」

「おまえはドラえもんのしずちゃんか」


 風呂に入るのはリフレッシュになる、ってのは昔から言われていることかもしれないが、流石に一日三回は入りすぎではないだろうか?

 まあ、人の生活リズムにああだこうだ文句を言うのもどうかと思うのだけれども。


「風呂って気分ではないな。いや、別に入りたくないって訳ではない」

「そうか。それなら散歩は?」

「散歩……ねえ」


 それぐらいだったら、今から始めても大した時間にはならないか。


「よしきた。それじゃあ、近場に散歩に出掛けようじゃないか。最近出来たアイスクリームショップが気になってね」

「まさかそこに行きたいから、わざわざおれのやる気を引き出したのか?」


 歩は答えなかった。

 飄々とした態度を取っているけれど、大抵は図星だろう。


「準備をするから、少し待っていてくれるかな」


 そう言って足早に歩は立ち去っていった。

 別に散歩なのだから、準備をすることなんてないだろうに。

 おれはそう思いながらも、歩の言うことを忠実に守るべく、寝転がった。



◇◇◇



 十分後、おれと歩は近所の商店街を歩いていた。

 商店街、と言っても閑散とした町並みが広がっている。少し離れたところにショッピングモールが出来てしまったことが遠因だろうが、歩が言うには昼間この辺りで買い物をしようなどと思う人間はあまり居ないのだという。かくいう歩でさえ、ショッピングモールで買い物をするか宅配で済ませてしまうのだとか。

 何でもかんでもスマートフォンで注文が出来るようになったのだから、便利な世の中だ。

 さりとて、便利であるからと言って全て良くなった訳でもない。当然その流れで喪われていったものだってある訳だ。


「……しかし、まあ」


 まさかアイスクリームを食べに来ることになろうとは。

 アイスクリームショップは商店街の入り口から少し離れたところに出来ていた。というか、行列が出来ていて、とても分かりやすかった。まさかと思うが、そこからあの行列に並ぶのか? 等と歩に問いかけたが、


「愚問だね」


 そうばっさり切り捨てられ、おれは泣く泣く行列に並ぶこととするのだった。

 しかし……。


「カップルばっかりだな。それに、高校生ぐらいの学生も多いか」

「ユーチューブやインスタグラムでバズっていたからね。一度気になっていたんだよ。作家たるもの、様々なものにアンテナを張り巡らせておかないといけないからね?」

「と言いつつ、ただ食べに来たかっただけじゃないのか?」


 答えなかった。

 せめてそこは否定してくれ。

 はてさて、時間がもったいない。おれは歩から貸してもらったiPadを取り出した。

 今は便利なものだ。クラウドに原稿を保存しておけば、インターネット環境さえあればどんな場所でだって書くことが出来るんだ。

 今は、少しでも、書かないといけない。

 一文でも、一行でも——一文字でも。

 それでも、前に。

 書き続けないと——書かないと——意味がない。

 おれは、今、そのために生きているんだから。


「……ま、たまには息抜きも大事って訳さ」


 気付けば、列の先頭まで到着していて、歩がアイスクリームを二つ注文していた。

 それを手渡してきて、おれはふと画面を見る。

 画面上の原稿用紙は、昨日から少しだけ文字が増えていた。

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