第10話 編集の卵

「「……えっ?」」


 おれと歩は、近藤さんの話を聞いて目を丸くした。

 というか、聞き返そうにも何が何だか、さっぱり理解出来なかった——整理しなくてはならないだろうけれど、あまりに突拍子もない発言だ。

 伏線も、予想も、何にもない。

 きっと歩だって——同じ反応をしているから概ね予想通りではあるのだろうけれど——意味が分かっていないはずだ。

 その二人の反応を見て、近藤さんは思わず吹き出した。


「くっ……はははっ! いやー、やっぱり予想通り、いや、それ以上の反応を示してくれたねえ。まあ、そう思ってしまうのも無理はありません」

「そりゃあそうですよ、流石に意味が分からない……。常識的に、有り得ない話でしょう。その、デビュー前の作家に編集をつけるなんて」

「正確には、編集の卵、です。彼女は未だ入社したて。当社の新入社員研修を受け終わって、部署に配属されたばかり、と言って良いでしょう。そういった人間にいきなり編集の仕事を教えられるでしょうか? 答えは、否です」

「そりゃあ、まあ……」


 おれだって、作家になったことないから詳しいことは分からないけれど、今起きようとしている事態が異常事態ってことぐらいは把握している。

 というか、有り得ない。

 未だおれは作家にすらなっていない。

 作家としてのスタートラインにすら、立てていないのだから。


「……一応、訂正しておくと。確かに彼女は編集の仕事はしてもらいます。けれど、それは本格的なものではありません。原稿を読んで、アドバイスをします。アドバイスを受ける受けないは、あなたが決めて頂いて構いません。我々のアドバイスに、強制力はありません」

「……つまり?」

「あなたの作品、その個性を潰すつもりはない。……そう言いたいんです」

「近藤さん、あんた、そこまでして関わりたい理由はなんだ? よもや、ぼくの言った方針に反発するつもり、と?」


 言ったのは歩だった。

 歩には歩なりの考えがあったらしい。

 というか、方針って、具体的には何を決めたのか教えてほしいところではあるけれど……。当の本人が何も知らないで進めていく、というのはあまりにも末恐ろしい話だ。


「いいや、そんなつもりはありません。けれど、放っておけないんですよ、あんな作品のプロットを読まされてしまっては。編集者という仕事をしている人間として、そんな才能の原石を放っておけない。だって、放ってしまったなら、他の会社が掠め取っていくでしょうから。それは、はっきり言って会社の——ひいては、自分自身の損失に繋がります。もしかしたら、遠い未来では一緒に仕事が出来る機会があるかもしれない。けれど、どんな作家先生であろうとも、デビュー作は一度きり。そのデビュー作に携わることが出来れば、こちらとしては、とても嬉しいことはない。編集者冥利に尽きる、とはこのことを言うのでしょうね」


 早口で、随分と長い説明を受けたような気がした……。情報量が多すぎて、若干目眩がする。


「……まあ、細かい話はアトラクションを楽しみながら、とでも参りましょうか」


 急に笑顔になったかと思いきや、そんなことを言い出した。

 そういや取材のために来たって言っていたっけ……。


「まあ、そうだとは思っていましたよ。そちらの取材旅行の規程を、全く読まなかった訳ではありませんから」


 取材旅行?

 そんな文言があるのは聞いているけれど、何でそれが絡んでくるんだ。


「そう。なら嫌がる顔をしないで下さい。こちらもあんまり干渉しないようにします。大の大人が四人で、こんな遊園地で遊んでいる……。仮にあなたの正体が判明しなくとも、SNSでは何かしら言われるに決まっています。SNSはそういうものですから」

「まあ、SNSを悪く言うつもりは毛頭ないけれど……。やるなやるなと厳命されているのは、そういうことが理由だったり?」


 そうなのか。

 まあ、今の時代SNSで何を言われるか分からないし、何からいきなり炎上してしまうか分からないものな……。それをマスコミが焚き付けてさらに火を大きくする事例だって、最近は良くあることだし。


「と、とにかく! 火のない所に煙は立たない、とは言いますが。そもそも火を立てなければ良い訳です。分かりますか? こちらとしても、面倒なことはしたくないのですよ。出版社も不況のあおりをくらって、大した力を持てなくなってしまいましたから。ほら、元々SNSで大量のフォロワーを持っている作家さんが、自分自身でマーケティングをしているでしょう? あれって、そういうことも考えていると思うのですよね。宣伝費というのはなかなかペイ出来ませんから」

「……待て待て。取材旅行の下りからどんどん脱線してはいないか?」

「ああ、そうでした」


 ここいらで修正しておかないと永遠に話し続けそうだったからな……。そろそろ本題に入ってもらった方が良いだろう、と思う。

 というか何時までも入園前でぐだぐだしていたくない。


「話を戻しますけれど、取材旅行の規程がありまして……。当社の場合だと、編集が必ずその日程を把握していないといけない、という決まりがあります。そしてそのためには……」

「……同行するのがベストだ、ってことか?」

「その通り」


 近藤さんは頷いた。

 恐らく近藤さんもそのルールはおかしい点がある——そう思っているのだろう。

 しかしながら、近藤さんは社会人であり、組織に属している。おれも一時期——いや、今も、か。まあ、実際に働いていないから別にノーカンで良いと思うのだけれど——組織に属していたから、分かる。

 ルールを変えるのは、あまりにも大変だ。

 大変だと分かっているからこそ、そう簡単にルールを変えるなど言うことも出来ない。


「まあ、厭かもしれないけれど、諦めて下さいねえ。良い小説のアイディアが出ることを、期待していますから」


 そう言って、近藤さんは踵を返し、歩いて行った。

 少し遅れて冴木さんも頭を下げ、それを追いかけていく。


「……良いのか?」

「何が?」

「何が、って……。さっきの話だよ、編集がついてくるって、それは何というか——」

「何。もしかして肇くんは二人っきりでイチャイチャしながら遊ぶのを期待していた、ってこと?」

「お前……」


 人をおちょくるのもいい加減にしろよ。


「冗談だよ、冗談。別に馬鹿にしたい訳でもないし。でも、仕方ないことだよ。こうして監視はされるけれど、きちんとお金は出してくれるのだし。作家って個人事業主だからね。企業勤めならば、会社が税金なり年金は半分? だっけ、払ってくれるのだろう? それに、税金の計算も会社の経理がやってくれる、って。けれども、ぼくは個人事業主だ。聞いたことはないかな? 個人事業主と企業勤めでは、もらうべき金額が倍になってしまう、と。手取りで同額にしたいと考えるならば、額面を倍にしなければ企業勤めの水準には届かない。それぐらい、生きづらいんだ」

「……作家にならない選択もあったのかよ?」

「ないね。それは」


 直ぐに、否定する。


「第一、ぼくにはそれ以外取り柄がないし」

「取り柄……か」


 おれがそれを言った直後、歩は直ぐに曇っていた表情を明るくさせる。


「さ、行こう。ゆっくりしていると乗れるアトラクションにも乗れなくなってしまう。急がないといけない。出来れば、編集の連中を何処かに追いやってしまいたいところだけれど」

「だったらさっきそう言えば良かったじゃねえか!」


 何は、ともあれ。

 取材旅行、とやら——さっさと終わらせようじゃないか。

 おれはそう思うと、歩と一緒に遊園地の中へ足を踏み入れた。

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