第二章
第6話 目標
プロットを提出してから、心なしか歩の反応が良くなったような気がする。
そう思うのは、おれの気のせいだろうか。
しかしながら、ここに暮らしてから三日が経過していてもなお、未だ良い文章が出来上がってはいない。
原稿用紙にして、十枚。
実に四千文字程度。
順調と言えばそれまでなのだけれど、今まで書いていたペースから比べれば雲泥の差だ。
「……いやはや、ここまで書けないとは思わなかったな」
とはいえ、今まで書けていなかったことを考えていれば、及第点と言っても良いのだけれどね。期限も決められていない以上、だらだらと書き続けてしまうのはどうかと思うが、こればっかりは致し方ない。
「あ、来月の新人賞に出してもらうから」
「……今、何て言った?」
「いや、だから。来月末締め切りの新人賞に出してもらうって言っただろ? やっぱり原稿は締め切りがないとね」
いや、待てよ。
未だ四千文字しか書き上げていないんだぞ?
最低何文字あれば良いんだ、その新人賞って。
「うーん、大体十万文字もあれば良いと思うけれど? テンプレートに流し込んで、枚数によって決められるから、実際は改行が多ければ多い程良いけれど、それはそれで読みづらいしね」
「いや、歩、お前……。自分で何を言っているのか分かっているのか?」
初稿も出来上がっていない段階で、あと一ヶ月半後の新人賞に出せ、って?
流石にそれは出来るという保証がない。
おれは、もう三年近いブランクがあるって言うのに。
「鉄は熱いうちに打て」
「は?」
「ことわざでもあるだろう? やる気があるなら、時間は早ければ早いほうが良い。だったら、直ぐにやって来て、実現可能性の比較的高い締め切りを設けるべきだ。そうだろう。そうでなければ、だらだらと続けてしまう。適当に書いて、適当に区切りを付けて、やる気をなくして、フェードアウトしてしまう。そういったことをしたいのか、きみは?」
「……別にそこまで言わなくても良いだろうよ」
ただ、事実であることは間違いないし、痛い所を突かれる感じではある——それは間違いなかった。
「分かっているつもりなら良いのだけれど、実際の所、きみはノルマを達成しないといけない。というよりかは、その才能をそのまま腐らせておくには勿体ないんだよ。……分かるかな?」
「へいへい、良く分かっていますよ」
「ほんとうかなあ? 面倒臭いから話を適当に終わらせようとしていないか?」
そういうところの勘は良いんだよな。
致し方なく、おれは歩の言うことを聞くことにした。
「……話を戻すけれど、新人賞ってのはどんなものなんだ? 流石に何の出版社がやっているかどうか、ぐらいは教えてほしいものだけれどね」
「雷光社。知っているかな?」
雷光社、聞いたことがあるな。
確かライトノベルも、純文学も、幅広いジャンルの作品を取り扱っている総合出版社じゃなかったっけ? 出版社の中でも一、二を争うシェアだったと記憶しているけれど。
「ご明察。そこまで業界の分析が出来ているのならば、ぼくもあまり言う必要もないかな。……そこは、ぼくもデビューした出版社だ。もう何作品も出してもらっている。恩義を感じていないと言えば、嘘になるぐらいにね」
「で、その雷光社が新人賞を?」
「雷光社小説大賞、というのは知らないかな。確か前回は応募数が八千件を超えたなんて話も聞いたから、少しは耳に入っているのだと思うけれど」
「そりゃあ、名前ぐらいは……。ウェブ小説の小説賞も乗り込んできて、今や小説賞はレッドオーシャンと化しているのに、未だに応募数のトップシェアを走っているんだったか」
幾度か応募したことがあるから、それぐらいは知っている。
まあ、一次選考を一度突破したかしていないかぐらいで、結果としては散々だったのだけれど。
「その小説賞に応募してほしい。まあ、強制とは言わないけれどね。でも、締め切りや目標が生まれると、やる気になるだろう?」
とは言うものの。
未だ四千文字しか書き上げていない人間に、良くそんなことを言えたものだ……。
仮に十万文字ジャストで話を終えるようにしたとしても、九万六千文字が残っている。それを、一ヶ月半で?
それに初稿で出せるほど完璧な原稿を書けるとは到底思えない。
ということは。幾度か書き直しやブラッシュアップを必要とする、ということ。それらを逆算すると——初稿を書き上げるタイムリミットは、恐らく二週間もないだろう。
「なあ、歩——」
おれは、諦めるつもりだった。
だから、歩にそう言葉を投げるつもりだった——間に合わない、とてもじゃないが出来ることではない、と。
けれど、歩は——あいつは、笑っていた。
そんなことも出来ないのか? と嘲笑しているようだった。
それぐらい出来ないと困るぞ、と小馬鹿にしているようだった。
或いは、人を焚き付けるような、そんな感じか。
いずれにせよ——何かしらの挑発行為であったことには、間違いない。
「——いや、何でもない」
「何でもない、って? 別に言ってくれても構わないんだよ。まあ、別に良いんだけれどね。言いたくないのならば、それで」
おれが、こう言い出すのを分かっていて敢えてそういう態度を取ったのであれば——歩は優秀だ。やり方そのものは気に食わないが、結果としては最高だと考えるのだろう。
ああ、やるさ。やってやるさ。
結果がどうなろうと、今更考えることでもない。
やれるだけやって、それでも駄目なら、諦める。
やれるだけやって、失望されたのなら、それ迄。
腹を括る——その言葉は、今、このときのために使うのだろう。そうおれは考えて、
「やるよ。やってやろうじゃねえか。目標があれば、確かにそれを達成するしかないと考える。それが人間だ、間違いない。そして……そいつが高ければ高い程、燃えてくる」
「良いね」
ニヤリ、と笑みを浮かべて歩は幾度と頷いた。
最初から、この結果を望んでいただろうに——役者な男だ。
「それでこそ、村木肇だ。全力でバックアップするよ、だから早く……ここまで辿り着いてくれよ」
「ほざいていろ。いつお前を追い越しても知らないぞ?」
友人であり、仲間であり——好敵手。
こいつとは、こんな関係だったのだ。
それを今思い出し——おれは再びパソコンに向かっていくのだった。
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