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2023年12月28日 12:21
一気に読んでしまい、何度かリピートしました。脱走兵の逃避行から始まるなんて、最初から面白くなる予感しかありませんでした。地の文はきわめて冷静かつ厳格で、この青年を突き放しているようにも感じられました。彼が逃げた理由を「統計的類型」「独創的なものではない」「弱さ」と切り捨て、「分不相応の悲劇を纏いたがる」と容赦なく追い討ちをかけています。ちょっと可哀想になるほどです。でも、村に着いてからの青年の行動は、地の文の正しさを証明していますね。寄り添って亡くなっている夫妻を埋めてあげたのが、決して優しさからではないことが分かります。彼はもしかして、「独創的」なことをしたかったのではないでしょうか。だからこそ、夫妻の寄り添った影を見て苛立ったのではないかと思いました。彼が少女に粋な名をつけたのも、集団倫理に押しつぶされて逃げた彼が、「個」としての美を発見できたからなのかなと、思ったりしました。ハルシオンって、中毒性のある睡眠導入剤なんですね。少女を見つけたとき、彼はすでに、自分にとって彼女がそういう存在になることを予感していたのかもしれません。あるいは、逆に「ハルシオン」と命名したことで、自身にある種の呪いをかけたのかもしれない、とかも思いました。そういえば、ハルシオンという商品名は伝説の鳥に由来するそうですね。彼女の服の色にも「カワセミ色」という鳥の名がついていて、素敵だなぁと思いました。彼は、ハルシオンと名付けた少女を人格としては見做していません。彼にとってのハルシオンは、崇拝すべき偶像みたいなものでしょうか。彼女の存在は、彼の穏やかな日々の象徴のようです。彼のハルシオンへの感情は、軍隊に入った当初に隊へ抱いていた感情と、もしかしたら似ているかもしれません。過剰な期待です。だから、それが裏切られるシーンが描かれずに物語が終わったのは、ある意味では救いだったのかもしれません。私はこの小説に、3人称神視点の神髄を見たと思いました。青年自身の口から切実な思いが語られるシーンが非常に印象的でしたが、じつはそれは、最初に地の文で切り捨てられたものでした。神視点で客観的に語られていた彼の印象が、主観によって覆される瞬間です。「爆弾を投げ合うことも、花を投げ合うことも、そのどちらにも大きな違いはない」ショッキングな台詞ですが、本当にその通りだと思います。人間の長い歴史の中で、愛も戦争も、神の存在を必要としてきました。人々はそこに「美」を見出すのです。そういう点においては、確かに両者は似ています。「真っ当な倫理観と言うものは、美でしか説明ができないものだ」美を「愛する人のために戦う」ことに見出す人もいれば、集団心理の中に見出せる人もいるでしょう。でも、彼は違ったのです。彼にとっての美は、きわめて身勝手なものであると同時に、不可侵で神聖な自己の世界でした。その安らぎの世界の素晴らしさが、私にはよくわかります。これは、生活に疲れたすべての人が理解する感覚だと思います。神視点で切り捨てられた彼の人格が、このシーンでは蘇ったように輝いていました。きっとそれは、読者が神ではなく、彼と同質の弱さを抱えた人間だからです。神の厳格な視点から彼を描くことで、かえって読者を彼の味方につけてしまいました。計算され尽くしていて凄すぎます。そして、だからこそでしょうか。私がこの物語の最大の救済だと感じたのは、最後の「それでも彼は生きたいと思った」の部分です。これは読者によっては絶望と捉える人もいるかもしれませんが、私は希望と感じました。青年を狙った人達は、彼と同じ脱走兵という立場にありながら、独創者ではなく、軍とはまた違った集団倫理に染まった人々のようです。青年は、彼を蝕んだ軍隊と同種の、さらに毒性の強い劇物に侵害されたと言ってよいのではないでしょうか。穏やかな生活の象徴だったハルシオンが侵害され、生活そのものが破壊されてしまうことは、目に見えています。そんな辛い目に遭ってなお、生きようとする彼に、逃れられない生への執着と、生命の力強さを感じました。このラストは、作者である坂本さんから読者への問いかけのように感じられました。彼の生への執着を肯定することは、読者自身が自分の生き方を肯定することに繋がっていますから。私は、彼の生きたいという気持ちを肯定したいです。きっと坂本さんもそうなんじゃないかなと(勝手に)思っています。(貴重なスペースにもお邪魔できなかったし、ここまですべて頓珍漢なことを書いている可能性が無限大ですが、平にご容赦ください)ともあれ、この物語は、一見すると絶望で終わりますが、実は読者に大きな救いをもたらしてくれていると、私は感じました。素晴らしい小説を作ってくださり、ありがとうございます。また、次の小説も楽しみにしております。
作者からの返信
釣舟草さまいつも拙作をご高覧いただき、まことにありがとうございます。釣舟草さんの鋭い洞察には作者ながら毎回驚かされていますが、今回は特に舌を巻きました。私の意図したさまざまなことをくみ取っていただき、これ以上に嬉しいことはありません。とりわけ、作中での集団と個に関する言及を、美の観念と結びつけて論じている箇所に至っては、お話の本文それ自体よりも、それへのご感想の方がよっぽど優れているのではないかと感じてしまうほどでした。作者として不甲斐なく思いながらも、このような優れた鑑賞者に出会えたという、作者としての最大の喜びも同時に感じております。最後の一文についても触れていただき、まことにありがとうございます。釣舟草さんもお気づきの通り、本作は文体の具体性(即物性、厳格性)と、物語の筋の抽象性(解釈の曖昧さ)を、別の次元で対立させております(作内で感嘆符や疑問符を一切排したのもそのためです)。その性質が最も顕著なのがあの最後の一文でしょう。私は本作を書くにあたり、文体についての自分ルールをいくつか設けていたのですが、最後の一文は言わばそれらルールの破壊で、物語の全体が閉じる結実点でありながら、もう一度そこから何かが始まるような、解釈上のある種のスクラップアンドビルドを読者の内に起こそうと企図したのでした。ハルシオンを媒介にして語られた主人公の独白のシーンへのご解釈も、大変感動しながら拝読しました。地の文で“看過しない語り”を徹底する一方で、その間隙(というには今回の場合は広過ぎますが)にうかがわれるある種の人間的な部分は、確かにどこかギャップを生じさせるものであり、そのことを見事に看破した釣舟草さんには、さすがと言うほかありません。私はあまり感想を書く(というより、お手紙を書く)ということが得意ではなく、少し気を遣ってしまうことがあるのですが、釣舟草さんのご感想を拝読しながら、このままではいけないなと奮起を促されるような心持ちでおります。釣舟草さんのご感想にはいつも励まされております。これからもご厚誼のほどよろしくお願い申し上げます。心より感謝を込めて。坂本忠恒
一気に読んでしまい、何度かリピートしました。
脱走兵の逃避行から始まるなんて、最初から面白くなる予感しかありませんでした。
地の文はきわめて冷静かつ厳格で、この青年を突き放しているようにも感じられました。彼が逃げた理由を「統計的類型」「独創的なものではない」「弱さ」と切り捨て、「分不相応の悲劇を纏いたがる」と容赦なく追い討ちをかけています。ちょっと可哀想になるほどです。
でも、村に着いてからの青年の行動は、地の文の正しさを証明していますね。
寄り添って亡くなっている夫妻を埋めてあげたのが、決して優しさからではないことが分かります。彼はもしかして、「独創的」なことをしたかったのではないでしょうか。だからこそ、夫妻の寄り添った影を見て苛立ったのではないかと思いました。
彼が少女に粋な名をつけたのも、集団倫理に押しつぶされて逃げた彼が、「個」としての美を発見できたからなのかなと、思ったりしました。
ハルシオンって、中毒性のある睡眠導入剤なんですね。少女を見つけたとき、彼はすでに、自分にとって彼女がそういう存在になることを予感していたのかもしれません。あるいは、逆に「ハルシオン」と命名したことで、自身にある種の呪いをかけたのかもしれない、とかも思いました。
そういえば、ハルシオンという商品名は伝説の鳥に由来するそうですね。彼女の服の色にも「カワセミ色」という鳥の名がついていて、素敵だなぁと思いました。
彼は、ハルシオンと名付けた少女を人格としては見做していません。彼にとってのハルシオンは、崇拝すべき偶像みたいなものでしょうか。彼女の存在は、彼の穏やかな日々の象徴のようです。
彼のハルシオンへの感情は、軍隊に入った当初に隊へ抱いていた感情と、もしかしたら似ているかもしれません。過剰な期待です。だから、それが裏切られるシーンが描かれずに物語が終わったのは、ある意味では救いだったのかもしれません。
私はこの小説に、3人称神視点の神髄を見たと思いました。
青年自身の口から切実な思いが語られるシーンが非常に印象的でしたが、じつはそれは、最初に地の文で切り捨てられたものでした。神視点で客観的に語られていた彼の印象が、主観によって覆される瞬間です。
「爆弾を投げ合うことも、花を投げ合うことも、そのどちらにも大きな違いはない」
ショッキングな台詞ですが、本当にその通りだと思います。
人間の長い歴史の中で、愛も戦争も、神の存在を必要としてきました。人々はそこに「美」を見出すのです。そういう点においては、確かに両者は似ています。
「真っ当な倫理観と言うものは、美でしか説明ができないものだ」
美を「愛する人のために戦う」ことに見出す人もいれば、集団心理の中に見出せる人もいるでしょう。でも、彼は違ったのです。彼にとっての美は、きわめて身勝手なものであると同時に、不可侵で神聖な自己の世界でした。その安らぎの世界の素晴らしさが、私にはよくわかります。これは、生活に疲れたすべての人が理解する感覚だと思います。
神視点で切り捨てられた彼の人格が、このシーンでは蘇ったように輝いていました。きっとそれは、読者が神ではなく、彼と同質の弱さを抱えた人間だからです。神の厳格な視点から彼を描くことで、かえって読者を彼の味方につけてしまいました。計算され尽くしていて凄すぎます。
そして、だからこそでしょうか。私がこの物語の最大の救済だと感じたのは、最後の「それでも彼は生きたいと思った」の部分です。これは読者によっては絶望と捉える人もいるかもしれませんが、私は希望と感じました。
青年を狙った人達は、彼と同じ脱走兵という立場にありながら、独創者ではなく、軍とはまた違った集団倫理に染まった人々のようです。
青年は、彼を蝕んだ軍隊と同種の、さらに毒性の強い劇物に侵害されたと言ってよいのではないでしょうか。穏やかな生活の象徴だったハルシオンが侵害され、生活そのものが破壊されてしまうことは、目に見えています。
そんな辛い目に遭ってなお、生きようとする彼に、逃れられない生への執着と、生命の力強さを感じました。
このラストは、作者である坂本さんから読者への問いかけのように感じられました。彼の生への執着を肯定することは、読者自身が自分の生き方を肯定することに繋がっていますから。
私は、彼の生きたいという気持ちを肯定したいです。きっと坂本さんもそうなんじゃないかなと(勝手に)思っています。
(貴重なスペースにもお邪魔できなかったし、ここまですべて頓珍漢なことを書いている可能性が無限大ですが、平にご容赦ください)
ともあれ、この物語は、一見すると絶望で終わりますが、実は読者に大きな救いをもたらしてくれていると、私は感じました。
素晴らしい小説を作ってくださり、ありがとうございます。また、次の小説も楽しみにしております。
作者からの返信
釣舟草さま
いつも拙作をご高覧いただき、まことにありがとうございます。
釣舟草さんの鋭い洞察には作者ながら毎回驚かされていますが、今回は特に舌を巻きました。私の意図したさまざまなことをくみ取っていただき、これ以上に嬉しいことはありません。
とりわけ、作中での集団と個に関する言及を、美の観念と結びつけて論じている箇所に至っては、お話の本文それ自体よりも、それへのご感想の方がよっぽど優れているのではないかと感じてしまうほどでした。作者として不甲斐なく思いながらも、このような優れた鑑賞者に出会えたという、作者としての最大の喜びも同時に感じております。
最後の一文についても触れていただき、まことにありがとうございます。
釣舟草さんもお気づきの通り、本作は文体の具体性(即物性、厳格性)と、物語の筋の抽象性(解釈の曖昧さ)を、別の次元で対立させております(作内で感嘆符や疑問符を一切排したのもそのためです)。その性質が最も顕著なのがあの最後の一文でしょう。私は本作を書くにあたり、文体についての自分ルールをいくつか設けていたのですが、最後の一文は言わばそれらルールの破壊で、物語の全体が閉じる結実点でありながら、もう一度そこから何かが始まるような、解釈上のある種のスクラップアンドビルドを読者の内に起こそうと企図したのでした。
ハルシオンを媒介にして語られた主人公の独白のシーンへのご解釈も、大変感動しながら拝読しました。
地の文で“看過しない語り”を徹底する一方で、その間隙(というには今回の場合は広過ぎますが)にうかがわれるある種の人間的な部分は、確かにどこかギャップを生じさせるものであり、そのことを見事に看破した釣舟草さんには、さすがと言うほかありません。
私はあまり感想を書く(というより、お手紙を書く)ということが得意ではなく、少し気を遣ってしまうことがあるのですが、釣舟草さんのご感想を拝読しながら、このままではいけないなと奮起を促されるような心持ちでおります。
釣舟草さんのご感想にはいつも励まされております。
これからもご厚誼のほどよろしくお願い申し上げます。
心より感謝を込めて。
坂本忠恒