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 少女の研究、実験は、今までどおりの行程で行う。

 実験とはそういうものだ、とランセットが教えてくれた。

 他の個体とは明らかに違う少女の『違い』をはっきりさせる為にも、まずは感染者として人を襲う習性があるかどうか、その最初からはじめる必要がある。実験がはじめてのエミリにとっても、その方がいい。


「いつも通りカメラはココロが担当、監視と誘導はテムが担当、ノートの記録はエミリが担当してくれ。ココロがつけた記録をお手本に頼む」

「心得ました。ところで質問なんですけれど、よろしいかしら」

「なんだ?」

「あの子の名前です。他の記録を見るとあだ名のようなものがありますし、一人はジョンという名前まであります。まだ決めていないのなら、記録をとる上でも考えた方がよろしいのではなくって?」


 エミリが言うと、たしかに、とココロ達は顔を見合わせた。


「たしかに……いつもは適当だけど、今ちょっと考えるか」

「何かいい名前あるかな」ココロが訊いた。

「……ホワイト、ワンピース」エルマーが言った。

「それあだ名でしょ、見たまんまじゃん」

「じゃあ、アリソンとかどうだ?」

「それあたしの妹の名前じゃん」

「あれまだあんの?」

「あるよ、部屋に置いてある」

「テムは、なんかないか?」


 訊かれると、テムは腕を組んでぐっと首を捻った。


「女の子の名前ってどうやってつけるの?」

「ん? んん」


 エルマーも腕を組んで、テムの質問に首を捻った。


「どうやってつけるんだ?」

「あたしに聞かないでよ」

「おままごとで考えたりしたことあるだろ」

「あたしはそういう遊びはあんまりしなかったしな」


 ココロは言って、どうしたもんかと真剣に考えた。

 名前、名前、と反芻しながらも、これだというのが浮かんでこない。

 今までの感染者とはまるで銘々のアプローチが違う。

 ペットに名前を付けるのとは違うと思うし、だからと言ってぽんと浮かぶものでもない。

 なにより彼女が今までの感染者とは違う人間らしい素振りをするから、余計に色々と考えてしまう。親だって居ただろうし、ちゃんとした名前もあったはずだ。そうであるなら、こんな小さな感染者の子に、いい加減な名前は付けられない。


「ココロ、どうだ? 俺はやっぱ、女の子の名前はさっぱり浮かばない」エルマーが降参した。

「オレも」テムも諦めて、自分の無力さに首を振った。


 真剣に考えてみたが、頭に浮かんでくる名前は人に名付けられるものではなかった。


「ないわけじゃないんだけど、頭に浮かんでくるのが工具とか、機械の名称ばっかりでさ」

「ぬいぐるみに名前付けてたセンスはどこで落としたんだよ」

「さあね、成長とともに失われたんじゃない?」ココロはあっさり答えた。

「じゃあ、その機械とかでいいよ、例えばなんだ?」エルマーが訊いた。

「ユンボ(ショベルカー)」ココロは即答した。

「っつあ、ダメだそりゃ」


 エルマーは舌を打って、顔の前で手を振った。

 やっぱダメだよね、とココロも思った。

 ずっと黙っているエミリはというと、不思議そうな顔でこちらを見ていた。


「エミリは? なんかある?」

「そんなに悩むことですの? 可愛い名前を付けてあげるだけじゃありませんの」

「じゃあなんだよ、言ってみ?」ココロは訊いた。

「女の子ですし、イヴなんていかがですか?」


 この案に、感銘を受けたように三人ははっとした。


「てっきりエリザベスとかジョセフィーヌとか言うと思ったけど、イヴは覚えやすくていいね」

「ああ、わかりやすくていい」エルマーも納得した。

「綺麗な名前でしょう?」

「どんな意味があるの?」テムが訊いた。

「意味……人類最初の、女性の名前だった気がします」

「これまた、壮大」ココロは小さく笑った。

「人類最初ってなんだよ、宗教か?」

「さあ、わたくしも本で見た覚えがあった程度で、詳しくは」

「でもさ、ほんとうはなんて名前だったんだろうね、イヴ」

「イヴで決定か」

「他にないじゃん」ココロはカメラを取り出し、構えた。

「さんせー」


 山の中腹に残された遺跡、廃工場に住むお姫様の名は、人類最初の女性だという、『イヴ』に決定した。

 試しに四人で声を揃えて呼んでみると、イヴは金髪の髪を揺らし、翠色の美しい瞳を、こちらに向けた。薄汚れ、擦り切れた白いワンピースが風に靡く。

 ココロは静かにシャッターを切り、排出されたフィルムに、タイトルをつけた。


 廃工場のお姫様――。

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