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 ココロは使った工具を丁寧に磨いてから工具箱へ戻し、手袋を取り、腕時計を確認した。


「約束まで一時間半か、ちょっと余ったし、練習するか」

「ようやく念願のわたくしだけのモペッドが! ありがとう! ココロちゃ――」


 エミリは感極まり、ココロに抱きついた。


「今、ちゃんって言いかけた?」とココロが目をむくと、エミリはココロを突き飛ばし、咳払いして、「練習に付き合いなさい?」と偉そうに胸を張った。

「……じゃ、エンジンかけてみ」ココロはエンジンを止めた。

「……なんで止めたんですの?」

「かけられるようになんないと意味ないでしょ」


 ココロはエミリが齧っていたラズベリーパイを一切れ拾い、ワシッと噛み付いた。

 余った時間を使って、モペッドの取り扱い方法と、乗る練習をした。

 モペッドの扱いはそれほど難しくない。

 それこそ、幼かったココロやエルマーが運転できて、現にテムも上手に操っている。

 自転車に乗れれば、エンジンが乗っていようがそれほど難しくはないはずで、運動神経が高いエミリならすぐに乗りこなせるようになるはずだった。


「――はずだったんだけどなあ、センスないな」


 エミリときたら、エンジンの始動と、停止手順は覚えたものの、走り出すと転ぶ転ぶ。


「あーあー、せっかくの綺麗なフレームが」


 もったいないなあ、とココロは肩を落としたが、エミリは楽しそうだった。

 何度転んでも、何度も起き上がり、挑戦した。


「ココロさん見てください! なかなか乗れてきたのではありませんか!?」

「十メートルも進んでないって! 前見ろ前! わき見するから真っ直ぐ進まないんだよ! 遠く見るの! ハンドルじゃなくて目線で操るの! 足は要らない!」


 指導してるココロまで身振り手振りが大きくなった。


「見てくださいまし! どうです!」

「だからわき見するなって! 坂、突っ込むぞ!」

「やあああああああああぁぁぁ―――っ!」


 言った先から、エミリは悲鳴を上げて視界から消えた。丘から落ちなかっただけマシだ。

 やがて、モペッドのエンジン音とエミリの悲鳴、ココロの「しっかりしろへなちょこ!」という罵声にマリオとリチャードが起きて来た。二人とも玄関先の階段に腰を降ろし、笑いながらエミリに声援を送った。


「見てくださいましココロさん! 乗れましてよ! どうです!」


 ブラボー、と老人二人が賞賛の声を送った。


「ったくもう、どんだけ付き合せるのよ」


 呆れたが、その根性はたいしたものだ。

 エミリは既に泥だらけの傷だらけで、長袖も一部擦り切れてしまっていた。

 汗だくになって自転車を押してきたエミリに、ココロは心配そうな目を向けた。


「あんたモデルなのに、その傷平気なの?」

「構いませんわ! 傷が似合うモデルの仕事もあるでしょうし」

「前向きだね」

「わたくしほどの美貌であれば、傷も輝いて見えるものです。それに、無傷なものが美しいとは限らないでしょう?」


 たしかに、エミリのモペッドはさっきよりずっと傷だらけだが、こっちの方が輝いて見える。

 満足そうな笑顔を浮かべるエミリに、ココロもなんだか嬉しい気持ちになった。


「傷の手当するよ。これから会うのは、一応感染者だからね」

「ええ、心得ておりますわ」

「ココロ、そろそろ飯にせんか、エミリちゃんも一緒に」


 マリオに呼ばれ、「そういえばお腹空きましたわね」とエミリがのんきに言った。


「……今何時?」ココロが訊いた。

「……十一時!?」エミリが時計を指して言った。


 気づけば、エルマー達との約束の時間を二時間も過ぎていた。

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