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 土産の酒はマリオに発見されないように、キッチンの上の棚の奥へしまった。

 ヘアバンドで前髪を上げて顔を洗い、水滴をタオルで丁寧に拭き取った。

 荷物をぎゅうぎゅうに詰め込んではちきれそうなウサギのリュックを担ぎ、自室に置いてある工具箱を持って外へ出た。

 昇り始めた太陽へ目を向けると、両親の墓に花束が供えてあるのに気づいた。


『ブランシュ・アヴ・グラント』という品種の、大きく美しい白い花弁を持つ花で、『希望』や『奇跡』という花言葉がある。エミリが供えたものだ。そういうことに限って、いちいち言ってこないのだから、ちょっぴりムカつく。


「余計なことして」


 ココロは溜息混じりに言って、ガレージへ向った。

 ドアも取り付けられていないレストア中の車の運転席にエミリが腰掛けていた。水筒の紅茶をコップに注いですっかりくつろいでいる。膝の上に敷いた布には、焼きたてでサクサクのラズベリーパイを乗せていた。


「ちょっと、勝手に車に触んないでよ」

「このわたくしに地べたに座れと?」


 エミリはパイを齧り、口の端についたカスを薬指で上品に拭った。


「それお爺ちゃんのなんだよ、座るならほか座れ」

「どうりで、いい座り心地ですこと。動きますの? これ」

「まだ動かせない」

「いつ動きますの?」

「いつか動くよ。それより、その辺のもの触らないでよね」


 ココロは工具箱を置くと、並んだ自転車をずらして、エミリから預かっていた赤いフレームの自転車を引っ張り出し、茶色い革のサドルの埃を払った。

 多少埃かぶってはいるものの、錆もないほぼ新品だ。フレームにはスターターロープ付きの小さなエンジンを乗せたラックと、アクセルワイヤー、卵形のガソリンタンクが組みつけられている。ほぼ改造済みで、形だけなら既にモペッドだ。


「それ、わたくしの自転車ですの?」

「そ、あんたの自転車」

「あなたも人が悪いですわね。造っていてくれたのなら、おっしゃってくださればよかったのに」

「これまだ完成してないよ」

「……でもそれ」

「未完成っつってんの、座って、お茶飲んでろ――パイのカスをシートにこぼすなよ!」


 ココロが強く要求すると、エミリは浮かしかけた腰を降ろし、どこが未完成なのかと眉を寄せた。

 借り組み状態のモペッドは、エミリには完成しているように見えていても、それは形だけだ。

 とはいえ、難しい作業は殆どない。仮留めされたボルトを適正なトルクで締め直し、ワイヤーの張りをチェックして、エンジンを始動し、その力がしっかり伝わるかテストすれば、概ね完成だ。ただ、それぞれのパーツが馴染むまで、試乗と調整を繰り返す必要がある。


 トラブルがあればその都度、手を加える。


 時間を有するのは、製作よりむしろその調整だ。

 ほぼハンドメイドということもあり、耐久性にも若干不安がある。

 しかしこればかりは乗ってみないとわからない。

 ココロは後ろ髪をゴムで留めると工具箱を開き、手袋をはめ、メガネレンチを握った。


 エンジンラック、エンジン、タンクの固定、がたつきの確認、ワイヤーの注油、燃料コックのチェック、各部の動作のチェック、スターターロープのチェック、モペッド用に付け替えたブレーキの利きを確かめる。


「あなた、すっかりその姿が板につきましたわね」

「そりゃ二年も工場で働いてたらイヤでも板につくよ」

「昔はうさぎのぬいぐるみを抱えて歩き回っているような、普通の女の子でしたのに」


 普通の女の子ね、とココロはモペッドに跨り、前後に車輌を動かした。


「あんたこそ、普段のお嬢様気取りのカッコより、そっちのがしっくりくるよ」

「素敵でしょう? お父様とお揃いで、町の仕立て屋でつくろっていただいたんです」

「エミパパは、元気?」

「ええ、とっても。ですけど、最近は仕事が減って、トレーニングばかりしてますわ」

「そ」


 エミリの父親のラウルは『親方』の愛称で親しまれる大工で、小さい頃はよくその大きな肩に乗せてもらった。豪快な性格で、細かいことを気にしない男らしい性質だ。熊のような見た目とは裏腹な繊細な仕事は見事なもので、ココロも尊敬している。


 父のジョンとも友人関係で、聞いた話では、ジョンも一時は大工だったそうだ。

 マリオとも飲み友達で、息子の友達、友達の親父さんという関係で、時折昔話に花を咲かせ、酒を酌み交わすそうだ。

 犬小屋から家畜小屋、厩舎、石造や木造を問わず家屋かおくまで何でも作るが、新築する機会でもない限りその能力を発揮することは殆どない。そうして暇を持て余すと筋トレに励んだり、廃材を使って子供達の遊び道具を作ったりする。強面ではあるが、近所では子供から大人気のちょっとしたヒーローだ。

 強くて優しいお父さん、エミリの自慢の父だ。

 正直、ココロも小さい頃は、そんな父を持つエミリが羨ましかった。


「そういや、エミパパにはモペッドのことは言ったの?」

「……お父様に?」

「ちゃんと言いなよ、ただでさえ心配かけてんだから」


 ココロがサドルから降りて軽く睨むと、エミリは肩を竦めて紅茶を啜った。


「お父様がモペッドを許してくれなかったのは昔の話です。だからあなたにお願いしたのに、あなたときたら、モタモタと、トロトロと、ムジムジと、いつまで経っても造ってくれないんですもの。お陰で、すっかり大きくなってしまいました」

「そりゃお爺ちゃんが断ってんのに、あたしが勝手にやるわけにはいかなかったからね」

「もしかして、止められていたんですの?」エミリはきょとんとした。

「じゃなきゃとっくに造ってるよ、邪魔になるし。ここらにある自転車も、預かってはいるけど半分くらいはまだ親の許可が取れてないのばっかよ」

「そういうことでしたの。いつになっても考えることは同じですのね、子供も、親も」

「親の許可もらってから持って来いって言ってんのに聞きやしない」

「造ってもらえばこっちのものと、子供なら思いますよ」


 ほんと困ったよ、とココロは嘆息した。

 ガソリンタンクのキャップを取り、棚に備蓄されていた携行缶からボトルへ燃料をゆっくり移した。


「そういえば、馬はどうしたの?」

「無知ですわね。馬というのは、そう簡単に乗れるようになるものではなくってよ? それに、家の敷地には置いておけませんもの、厩舎に預けてあります」

「結局、世話は人任せか」

「人任せということはありません。ブラッシングにも通って、少しずつ絆も深まっていますわ。わたくしが優雅に馬を駆る日も近いです。その時は、わたくしがココロさんに教えて差し上げますわ」

「その前に、モペッド乗れるようになってよね」

「心配には及びません。自転車に小さなエンジンがついただけではありませんか。それにわたくし、運動神経は高い方ですから」


 自信満々な笑みを浮かべたエミリに、ココロは肩を竦めた。

 馬はともかく、エミリがやってきたのはいいタイミングだったかもしれない。

 元はレストア中の車一台しかなかったガレージが、モペッド造りを請け負うようになってから一気に狭くなった。一台でも減ってくれれば助かる。

 そもそもこのモペッド造りは、ココロが六歳になってブラウニーで働くようになった時、居住区までの距離を考慮したマリオが、補助輪付きの自転車をモペッドに改造したのが始まりだ。

 それに乗って『ブラウニー』へ通うと、ココロはあっという間に注目を集め、人気者になった。


 マリオにしてみれば狙い通りで、してやったりとほくそ笑んだことだろう。


 居住区から家が離れているせいで友達が出来ず、遊ぶ機会も少なかったココロが、沢山の子に囲まれて孤立してしまうのではないかと心配しての作戦だった。実際それは、マリオの予想以上に効果的面だった。

 自転車ならともかく、モペッドは持ちたくて持てるものじゃない為、主に男の子たちの間で羨ましがられ、それがきっかけで友達も沢山出来た。その時、ココロの家までしつこく追って来たのがエルマーだった。


 はじめてココロが連れて来た友達にと、マリオがエルマーの自転車をモペッドに改造した。

 それで一気に噂が広がり、「俺もつくって」という子が沢山現れた。

 けれど、そこはやはり小さいとはいえエンジンを積んだ乗り物だ。


 当然、親が心配する。


 エミリの父、ラウルも同じだった。

 マリオはラウルから、エミリがモペッドを欲しがっても断ってくれと頼まれていた。

 マリオは約束どおり、エミリが自転車に乗って意気揚々と現れると、「悪いがエミリちゃん、わしは力になれないよ」と断った。その時のエミリは、「なんで、エミリはお姫様なのに!」と意味不明な事を口走り、ぎゃんぎゃんと泣いた。なだめるのに困ったマリオは、ココロのおやつをエミリに持たせ、車で家まで送り届けた。


 そういやあの時、あたしのおやつ全部持ってかれたんだ、とココロは思い出した。


 エミリはその後暫く大人しくしていたが、ココロが機械いじりを覚えてエルマーやテムのモペッドを整備している姿を見ると、しめしめとやってきて、「ねえココロちゃん、お父様とお爺様には内緒で、わたくしにモペッド作ってくださらない? お友達でしょ?」と言ってきた。


 その時の恐ろしいほど可愛らしいエミリの笑顔を、ココロは今でも忘れない。


 友達としては造ってあげてもいい。


 当時のココロはそう思っていたが、自力で全てを組むほどの知識や腕はなく、できるようになってもマリオに止められていたし、ラウルの心配も理解できるようになっていた。

 ここで自分が手を貸してしまっては、エミリを大事にしているラウルに申し訳が立たない。

 そう思ってうまく煙に巻き続けた。

 次第に大人になって、付き合いも減っていき、催促もされなくなった。


 しかし、ココロが整備工場で働き始めると、エミリが預けていた自転車を回収しに現れ、代わりに新しい自転車を置いていった。ラウルの許しを得られた時には渡せるようにと、いつでも完成させられるように、少しずつ仮組みだけして置いておいた。


 それが、もう十五歳だ。


 流石にもう、そんな気をまわす必要もないのかもしれない。

 ココロは携行缶から移し終えたガソリンを、モペッドのガソリンタンクへ静かに注いだ。


「一応言っとくけど、これ乗ってエミパパに叱られても知らないからね」

「あなたも心配性ですわね、わたくし達、もう十五ですよ? お父様もわたくしには敵いませんわ。お母様ともども、お父様を尻に敷く日も近いかと」

「そりゃどうかね」


 奥さんに尻に敷かれ、娘に弱くとも、ラウルは立派な父親に見える。

 優しくはあっても、それは愛ゆえだ。

 ともすれば、愛ゆえに厳しい一面だってあるはずだ、とココロは思った。


「そんなことより、どうです?」

「見てわかんない? 今、飯食わせてんの」

「なら、腹ごしらえを済ませたら運転ですわね。褒めて差し上げます。これどうぞ。朝食です」


 サンドウィッチを顔の前に出されたが、手が塞がっていた。

 口を開けると、サンドウィッチが乱暴に捻じ込まれた。ココロは器用に顎を使って、トカゲのようにサンドウィッチを口の中へ取り込み、もぐもぐと租借して飲み込んだ。挟まっているレタスがシャキシャキといい食感で、マスタードとマヨネーズの量も絶妙、挟まれた厚いハムといい相性だ。


「レタス、トマト、ハム、マヨネーズにマスタード」


 ココロが言うと、「正解」とエミリは微笑んだ。


「それにしても、あなたとこうして二人で遊ぶのは久しぶりですわね」

「これは仕事」

「わたくしにとっては戯れです」


 エミリはどこか居心地が良さそうな、楽しそうな笑顔を浮かべ、鼻歌を歌い、組んだ足を跳ねさせた。ココロはガソリンを注ぎ終えると、タンクのキャップを閉めて、口の周りについたマヨネーズとケチャップ、トマトの汁を、指で拭った。


「そうだ、言い忘れてたけど改造費、チケット三枚ね」


 言うと、ご機嫌だったエミリの顔が露骨に歪んだ。


「ちょっと! チケットを取るんですの!?」

「あたしは技術を安売りしないの。まさかタダ働きさせるつもりだったわけ?」


 突っぱねると、エミリは悔しそうに歯を食いしばり、そっぽを向いた。


「サンドウィッチを差し入れましたわ!」

「そりゃ早朝から働かせた迷惑料として、あたしの胃袋の中へと消えたのよ」

「お願いしてから今まで待たせた遅延料を要求します!」

「長いことガレージを占拠した場所代として償却しまーす。はい、改造費三枚」

「……ええ、ええ、お支払いしますわよ。ツケでお願いします!」


 偉そうに言ったエミリに、ココロは顔を顰めた。


「ツケって、貯めてないの? 今日日チケット三枚なんてブラウニーの子供でも一瞬で貯めれるのに」

「お洋服で全て消えていますもの。放っていても消えてしまうなら、使うでしょう?」

「だからって、ちょっとはとっときなよ」

「あなただってカメラで散財しているのでしょ?」

「あたしの場合、使わないで紙くずになるチケットばっかりなんだよ」

「だったら負けてくださいよ」

「これからモペッドの扱いを教える教習代、負けたげるよ」


 ココロは言って、燃料コックをオンにし、スターターロープを引いた。

 バルン、と軽やかながらも力強く、エンジンが目を覚ました。

 トットットット、と可愛らしく、エンジンが小気味のいい音を響かせた。

 ぶすっとしたエミリも、モペッドが産声を上げると口角をあげ、「まあ、いいでしょう。今回は負けてあげますわ」と納得した。

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