第五話 廃工場のお姫様

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 朝、ココニ家にセミが感電したようなベルの音が、けたたましく鳴り響いた。

 昨日、トイレにこもっている間に二日酔いから復活したマリオが再びリチャードを誘ってドンちゃん騒ぎを始めるのを阻止しきれ無かったココロは、リチャードと少し仲良くなれた気がして油断していたのもあって、監視していたつもりが水と間違えてちょっぴり酒を口にしてしまった。


 たった一滴で完全に出来上がったココロは、調子の外れた声で歌って千鳥足で踊り、カメラでフィルムを無駄に消費し、カードゲームをして、ジョーカーを引いた辺りで気を失った。


 腹痛は治ったものの、頭に針を刺したような痛みが走った。

 体も肩の辺りから重く、腰から下に力が入らない。

 ココロは不快そうに眉間に皺を寄せると、手探りで掴んだ枕もとの時計を顔の前に持ってきた。

 コチコチと秒針を刻む時計は六時を回ったばかりで、傍で眠るミートも翼を広げて仰向けになり、ぐっすりだった。


「こんな時間に誰よ、もう」


 ココロは時計を放り、ブランケットを頭まで被って丸まった。

 無視していれば非常識な客も諦めて帰るか、マリオが出るだろうと思った。

 ところがベルは一向に止む気配はない。

 ジジジジ、ジジジジジと、なおも鳴り続け、その音を掻き消すようにココロは唸り声を上げた。

 そして、ついに我慢の限界を迎えた。


「あーもう、なんで誰も出ないのよっ!」


 ココロはブランケットを蹴り、乱暴にブーツに足を突っ込んだ。

 部屋の扉を開けると、空の酒瓶を抱えたマリオが倒れて鼾をかいていた。一応は部屋まで戻ろうとしたようだが、辿り着けなかったようだ。まさかと思って階段を降りると、今度は手摺に腕をかけた状態で熟睡するリチャードを発見した。


「……リチャードさん、こんなとこで寝てたら風邪引くよ」


 そう言って軽く揺すると、涎を垂らしたリチャードはぷすぅっとすかしっ屁で返事をした。

 もはや助ける気も起きない。

 ジジジ、ジジジジ、と再びベルが鳴った。


「あーはいはいわかったから」


 ココロは目ヤニを掌で擦り落としながらドスドスと階段を降り、玄関の扉を開けた。


 こんな朝早くに、どこのバカだ。


 朝日が顔に直撃し、ココロは目をぎゅっと眇めた。目の前の人影が、小さく揺れる。


「ごきげんようココロさん。酷い顔ですわね」


 そこには爛々と目を輝かせるエミリが立っていた。

 露骨に迷惑な顔で迎えたココロは、迷惑な客の正体にぎょっとし、表情を閉ざした。


「……今何時だと思ってんの?」


 奮えた声に、エミリはふっと不敵な笑みを浮かべた。


「お迎えに来て差し上げましたわ」

「頼んでないっつー」

「そう仰らないでください、これお土産です。お爺様は? まだお休み中ですの?」


 茶色い紙で包装されたビンを受け取ったココロは、その紙を剥いてラベルを確認した。

『56・コロっといく酒』と書かれている。


「お酒?」

「わたくしのお父様が最近飲みすぎで困ってしまって、ここへ来ると伝えたら、お母様が持たせてくれたんですの」

「ようは家にある在庫の処分ね」

「お土産ですわ」エミリは訂正を求める口調で言った。


 マリオは喜ぶだろうが、ココロとしては連日の酒盛りを見ているだけに、有り難くなかった。


「ありがたいけど、ありがたくないね」

「どういう意味です?」エミリは小首を傾げた。

「お爺ちゃんも最近飲みすぎてて、昨日も一昨日も酒盛り三昧、今は二階の廊下で寝てる」

「まあ、風邪を引いてしまいますわよ?」


 いいのいいの、とココロは手をパタパタ振った。


「なんで大人ってこうお酒が好きなんだかね、たいして美味くないのに」

「浮かれて忘れたいことがあるのでしょう」

「そんなに嫌なことある?」

「さあ、わたくしは前向きですから」

「だろうね」

「どこも大変ですわね」

「ホントにね、モペッドの燃料にできればいいんだけど」ココロは嘆息した。

「それで、わたくしのモペッドは完成いたしまして?」


 当然のことのように言うエミリに、ココロは冗談でしょと眉を上げた。


「……昨日の今日だよ、まだに決まってんじゃん」

「はあ、やっぱりわたくしが来てよかったですわ、早速はじめてください」

「今から!?」

「心配には及びませんわ、約束は九時。時間ならたっぷりとあります」


 ココロはたっぷりと酒が詰まったビンを持つ手を振った。


「たっぷりってあんた。こっから待ち合わせ場所までどんなに飛ばしても三十分かかるんだよ? 作業時間二時間半でやれっての? 準備の時間入れたらもっとない。朝ごはんだってまだ食べてないのにさ、まさかその為にこんな時間に来たわけ? 帰れよ」

「タダでとは申しません。あなたが作業に集中できるように、いろいろ持って来ましたから」


 エミリは後ろ手に持ったランチバスケットと水筒を掲げて見せた。

 今日の格好も、よく見れば昨日伝えた通り汚れてもいい服だ。紅色のサロペットと薄手で長袖のタートルネック。珍しくリュックも背負っていて、準備万端といった感じだ。


「あんたはピクニック前の子供かよ」

「今日が楽しみで、ワクワクして眠れませんでした。とにかく早くしてくださいまし。もう待ちくたびれてしまいましたの、なにせ八年も――」

「はいはい、わかったから、あそこで待ってて」


 ココロはエミリの体をくるっと回し、ガレージを指差しながら背中を押した。

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