39
罠にかかった少女に、三人は戸惑いを隠せなかった。
彼女は他の感染者とは明らかに違う。
右手に持つブリキの人形には趣向、左手で罠を外そうとする姿には思考力が見てとれる。
自分達の声に一度は反応したそんな彼女も、すぐに興味をトラバサミへ戻した。やがてそれを外すのを諦め、ブリキの人形を手前に持ってきて、腕を動かしたり、足を動かしたりと、ゆっくりした動作で人形遊びを始めた。
「……兄ちゃん、どうしよう」
テムが訊くと、エルマーは少女から目を離さずに声だけをココロに向けた。
「ココロ、ノートって」
「一応持って来てるよ、昨日のやつ見るかと思って」
「カメラは」
「あるに決まってんじゃん」
エルマーはそれを聞いて表情を険しくすると、頭をがりがりと掻いた。
記録をつける為の最低限の道具はここにある。
彼女を調べたいが、実験をやめようと決めた矢先にこれだ。
それに、女の子の感染者というのは、実は相当やりにくい。
以前、子供の感染者を調べたことはあったが、その時は二人の少年だったので、エルマーやテムもそれほど抵抗感なく実験することができたのだが、感染者とはいえ性別が異なる子のことをあれこれ調べるのには抵抗がある。
「ひとまず罠をはずして、それから考えよう」エルマーは結論を出した。
「それならさ、あたしにやらせてくんない?」
「そりゃ構わないけど、カメラどうすんだよ」
「エルマーがカメラマンやってよ。使い方は知ってるでしょ?」
「一応はな」
「じゃあよろしく、落とさないでね」
エルマーはカメラを渡されると、ココロにしては珍しいな、と眉を上げた。
「目隠しと耳栓、マスクとかゴーグルもないの忘れんなよ。捕まったら簡単に振りほどけないかもしれないから、マジで気をつけろ」
「わかってるって」
ココロは捲った袖と裾を整え、後ろ髪をゴムで留めると、ゆっくりと近づいた。
靴が割れたガラス片を踏んでぱきっと音を立てた。
物音への反応はなかった。ココロは息を整え、いつもより静かに呼吸しながら少女の正面へ回り込み、片膝をついた。
手を伸ばせば届く距離に、トラバサミに挟まった細い足がある。
跳ねた泥が太陽に乾かされ、薄い土の皮を張るように素足を覆っている。トラバサミに括られた縄を軽く引いてみたが、こちらへの関心は示さなかった。
ココロはなぜかその少女に惹き付けられた。
手を差し伸べて、助けてあげたくなるような衝動にかられた。
「エルマー、この子、大人しいよ」
「今のところはな」
エルマーはカメラを構えたまま距離をつめた。「テム、回り込んでいざって時は」
「わかってる」
テムは少女の側面へ回り込んだ。手に縄をかけられればそんな乱暴な方法をとらなくて済むのだが、少女の両手は人形いじりを止める気配がない。万が一ココロが襲われそうになったら、蹴り飛ばす必要も出てくる。
「慎重にいけよ」
ココロは頷いて、まずは縄を引いて、できるだけ手前にトラバサミを引き寄せた。ワンピースの裾から伸びた足と彼女の動向に注意を払いながら、ゆっくりとトラバサミに手を差し込んだ。
「外すよ」
「おう」
エルマーはシャッターを切った。
「もうちょっとだけ我慢してね」
ココロは慎重に板バネからハサミを抜いた。
不思議なことに、彼女から襲われるだろうという恐怖は感じなかった。
トラバサミの挟む力が緩んでも、彼女は反応を示さなかった。足を挟まれている感覚には鈍感なようだ。ココロは慎重にトラバサミを足から外した。
「おい」
エルマーの声に、ココロは反射的に素早く体を起こし、後ろへ下がった。
少女の目はトラバサミを挟んだ足首を見つめていた。その後、片手で足首を擦る素振りを見せて、ゆっくりと立ち上がった。太陽の光りを浴びた少女は、真っ白に輝き、とても美しい存在に映って見えた。三人は距離をとり、じっと様子を見守った。
「なんか少し、雰囲気が違うな」
「見えてるはずだし、聞こえてるはずなんだけどね」
自分たちへの興味の示し方が他の感染者とは明らかに異なる。
通常の感染者のそれは反射に近いが、この少女はそれすら弱い。
「テム」
エルマーが促すと、テムは手を叩いた。
「お、鬼さんこちら手の鳴る方へ」
この歌に反応しなかった感染者はいない。
テムが眼前で手を叩いて誘うが、少女の反応はやはりなく、それは無視に近い。
手を前に出して、呻きながら追いかけるということもしないし、素振りも見せない。テムも無視されているような気がして、少し大きめに手を叩いたり、変な顔をしてみたりしてリアクションを求めたが、まったく釣れない。
テムをじっと見つめた少女の目は、ものすごく冷たかった。
鼻を下から指で押し上げ、両目の瞼を引っ張り上げて固まったテムが、泣きそうな声で言った。
「……兄ちゃんこれ、けっこう辛い」
「すっげえ興味なさそうだな、しかし」
排出されたフィルムに浮かび上がった画を見ると、『少年が少女の気を引こうと変顔をしているが、冷たい眼差しを向けられている』という構図にしか見えなかった。
「テム、もういいぞ」とエルマーが言うと、テムは溜息を漏らして肩を落とした。
「……この子が手に持ってる人形って、ここに置いてあったやつ、だよね」
ココロが言うと、エルマーは頷いた。「そうだな、見覚えある」
ランセットがここを遊び場にしていた頃の置土産だ。人形に限らず、ここにはブルーシートで作ったテントや湿気た花火、空いた魚の缶詰や、焚火をした跡などが残っている。すべてガラクタだが、その中で彼女が手にしたのがブリキの人形というのは、実に興味深い。
「っていうことはさ、ここに来て、あれを手に取ったってこと? 選んで?」
「……ってことになるだろうな」
これはかなりのレアケースだ。
「ねえエルマー、この子さ」
「ああ、ちょっと勝手は変わるかもしれないけど、研究……続けるか」
エルマーの決定に、テムが「うっし!」とガッツポーズで喜んだ。
「でも、縄で繋ぐの?」
「その方がいいんじゃないか? さすがにうろうろされても困るしな」
「でも、クマ出るって言ってたよね、こんなところ繋いでて、襲われたりしないかな」
少女はその場からまったく動かず、話し合う三人にちらと目線を向けたが、近寄る素振りも見せなかった。それどころか、ゆっくりとした動作で地面に座り、無表情でただ虚空を見つめた。
その仕草に、三人は口をぽかんと開けて思わず見惚れてしまった。
日向ぼっこをするように瞼を閉じるその姿は、既に他の感染者の共通点から外れている。
「そうだ。鈴」
ココロは腰に着けていた鈴を外した。これを付けてあげればとも思ったが、「動かないと鈴なんて鳴らないだろ」とエルマーに指摘された。「けど、ないよりマシだな」
ココロは鈴を軽く振って音を出した。少女の瞼が微かに開いたが、またすぐに閉じた。ちりん、ちりんと音を出して近づいても反応は無い。鈴の音に耳を澄ませているようにも見える。
ココロは少女の傍まで近づいてはたと、どこに鈴つければいいんだ、と固まった。
「どこにつけよう」
「どっか適当に――」
「――追いつきましたわよ!」
その声に、三人はびっくりして大声を上げ、バタバタと慌てふためいた。
エミリだとすぐに気づいても、このタイミングは心臓に悪い。
「ちょ、そんなに驚かなくてもいいではありませんの! わたくしが――あらエルマーくん、ごきげんよう」
草の根を掻き分けて進んできたエミリは、エルマーの視線に表情をコロッと変え、にこやかに微笑み、スカートをお姫様のように広げて挨拶した。
エルマーは止まりそうになった心臓を掴むように胸に手を当てた。
「お、おう。エミリ、どうしたこんなところに」
エミリは髪を指に巻きつけ、もじもじと爪先で土を突いた。
「ココロさんに置いていかれてしまったので、追いかけましたの。お陰でせっかくのお洋服がボロボロで、ごめんなさい、こんなはしたない格好で」
「はしたない? いやべつに、よく似合ってるじゃん?」
咄嗟に出た言葉に、エミリは機嫌をよくして笑った。
「よかった。嫌われてしまったらどうしようかと」
「そんなことで嫌いになるやつなんていないだろ」
それもそうですわね、とエミリは髪についた葉っぱを払うと、くっと胸を張った。
「そんなことより、ここで何をなさってましたの? 三人で、コソコソと、わたくしを仲間はずれにして……誰ですの、その子」
エミリの覗き込むような視線を追うと、エルマーとテムはぎょっとした。
ココロは少女を庇うように抱きついていた。咄嗟のことで、エミリから隠そうとしたのだ。
「うわ! ココロお前!」
「――え? あ、うわっやっ!」
ココロははっとして、思わず少女を突き飛ばし、自分も後ろへひっくり返った。尻餅をついたココロはしまったと表情を曇らせ、「ごめ――」と思わず謝りそうになったが、少女を見て声が詰まった。
少女は突き飛ばされて地面に倒れたが、そんなことに構ってはいなかった。手から放れた人形を探して、拾い、それを大切そうに胸に抱き、視線をココロへ送った。急に突き飛ばすなんて、びっくりしたじゃない、とでも言いたげな目だ。
そんな少女の姿を目にしたエミリは、目を吊り上げ、ぴっと指をさし、険しい顔で叫んだ。
「その子まさか、感染者ですの!?」
頭の整理が追いつかない戸惑いをぶった切るような声に、三人は現実に引き戻され、冷や汗をかいた。
――終わった。
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