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 コロニーの北側に位置する山は、普段ココロ達が感染者を探す東側の森よりもずっと緑が深く、感染者を探すにも適した環境だが、そこへ入って行くようになったのはほんの二年前で、ココロとエルマーが十三歳になり、ブラウニーを出てからのことだった。


 小さかった頃は森の存在を知ってすぐに足を運んだが、入口で足が竦んで先へ進むことが出来なかった。大人ですら滅多に入ることはなく、山歩きの知識や経験も豊富な一部の大人が、じゅうぶんな装備と人数を以って、祭事で振舞う御馳走のために狩へ入ることがある程度だ。


 それに、恐怖を知恵や好奇心で克服できるようになっても、山は決して優しくはなかった。

 山の斜面は複雑で、奥へ進むほどきつくなり、昼間でも薄暗く、時間の感覚すら掴み辛くなった。

 ココロとエルマーは沢山擦り傷を作ったし、テムもここで一生分の涙を流したんじゃないかというほど泣いた。熊に限らず毒蛇もいる。とても安全とはいえないそんな環境に、ココロ達は悪戦苦闘した。

 そんな思いをしながら幾度も足を運んだのは、この山には特別な場所があることを知っていたからだ。


 文明に生きる人間を拒絶するような暗くて深い森も、かつては人のテリトリーだった。

 その斜面を一部切り取るように整地された広い土地に、崩れた鉄の建造物が佇んでいる。

 一帯に生い茂った草は腰まで届き、咲いたばかりの花もあちこちで顔を覗かせていた。蝶が舞い、鳥が集うその広場には穏やかな風が吹き、見る者にここが人の暮らさなくなった世界であることを忘れさせてしまいそうなほど静かな景色が広がっていた。


 土に埋まって放置された重機、断線し、空へと反り返ったトロッコの線路、空から差し込む暖かい陽光に照らされた鉄の城にはツタが這い、その殆どが周りの緑と一体化し始めていて、どれだけの期間放置されていたのかはわからなかった。ただ、時間と共に文明が自然に飲み込まれていく様は、ココロ達の目には力強く神秘的に映り、とりこにした。


 ここは昔、ココロ達に感染者の知識を授けたランセットという青年が遊び場にしていた秘密の場所なのだ。彼は今、町の娯楽品や家庭で不要になった配給品等を扱う廃品屋で働いていて、大人になってからここに足を運ばなくなった。

 ココロ達にとってランセットはゾンビの見つけ方、居そうな場所に関しての知識、感染経路、感染者と近づく際の注意点を教えてくれた博士のような存在だ。そういった予備知識があったからこそ、ココロ達は事故らずに実験を続けられた。


 ココロ達が幼い頃、ランセットは巷で変人の烙印を押され、『ゾンビ博士』と呼ばれていた。

 そんなランセットをココロ達は慕い、尊敬していた。

 博識で、幼かった自分達の考えにも理解を示し、秘密を守ってくれた唯一の人だった。


 彼はこの廃工場跡を秘密基地に一人で遊び、きたるゾンビの大群を撃退する英雄ヒーローごっこに没頭していた頃を、楽しそうに笑いながら語り聞かせてくれた。


 それを聞いた時は愉快な人だと思ったが、今ならランセットが自分達と同じ、感染者のなかに何かを見た人なんだとわかる。だからこそ、『サンセット事件』で憤ったエルマーや、自分たちの疑問にも真剣に向き合って答えてくれたのだ。

 自分達に生まれた疑問や探究心、好奇心の芽が大きく育つように見守ってくれたのだ。


「ちょっと見ない間にツタも随分伸びたね」


 ココロは空まで一直線に伸びるツタの這った柱に手を添え、その先を見上げた。

 本来はもっと広く、背の高い建物だったことが残された基礎の範囲を見てもわかる。

 ランセットが秘密基地にしていた部分は建物全体のごく一部に過ぎず、それでも子供一人の遊び場にはじゅうぶんだった。ココロは一本一本の柱を見上げながら伝い歩いていくと、槍のように空へと伸びた鉄骨の天辺にはためくボロボロの旗に目を留めた。汚れた白地のシーツは、太陽の光りを受けてぼんやりと輝き、そこに描かれた文字を浮かびあがらせた。


 旗には『第0056調査隊L』と黒い字で書かれている。


 ランセットが子供の頃に作り、一人掲げた旗だった。


「ここに来るのも久しぶりだね」ココロは懐かしむように言った。

「暫く見ない間に草もボーボーになっちまったな、こりゃ気をつけないと足やられるぞ」

「だね」


 この廃工場にも、トラバサミの罠がいくつも仕掛けてある。

 大昔の住人なら知っている場所だが、いまどきの大人はここに工場があるなんて知らないし、知っていてもいちいち誰かに言うこともなければ、近づきもしない。

 だからそういう意味では、罠を仕掛けるのには適していたし、自分達のしていることをひっそりやるにはいい場所だった。十三歳の頃から足を運んでいるが、ここはランセットの思い出の場所というのもあって、ココロ達にとっても思い入れのある特別な場所だ。


「じゃ、ちゃっちゃと回収しちまうか」

「うん」


 三人は手分けして、覚えている限りのトラバサミの回収に取り掛かった。

 このあたりには全部で八つある。一つ二つと回収は進むものの、その殆どが生い茂った緑に隠れてしまっていて、うっかりしていると足をはさまれてしまいそうだった。

 ひとまず回収したトラバサミから縄を外し、一箇所に集めた。


「回収したのどうする?」


 エルマーが縄を外したトラバサミをひび割れたコンクリートの地面に放り、縄は肘と掌を使って巻き取った。


「バラすかな、刃も削っちゃってるから、こんなん猟にも使えないし」

「なんか再利用できねえかな」

「再利用ねえ」


 屈んでいたココロは足を伸ばし、鞄の中から三本の牛乳瓶を取り出した。

 二本をエルマーに渡して、蓋を開けてぐいっと飲んだ。

 口にできた牛乳髭を拭い、回収したトラバサミを横目に見た。

 本来は狼や猪、狸などの害獣を捕らえる為に使われる道具だが、そういった害獣には簡単に抜け出されてしまう改造を施してしまっているので、再利用には向かない。


「ラン兄ちゃんとこ持ってこっか」

「あそこゴミまでもらってくれんのか?」

「敷地に鉄くずの山あったでしょ」

「そういやあったな、ガキの頃は宝の山に見えたやつ」エルマーは牛乳を飲んだ。

「ラン兄ちゃんにとっては今も宝の山でしょ。それはそうと、リュック足りる?」

「それなら大丈夫だ。テムのリュックの中にはリュックが入ってる。回収した罠、ゴミって言ってもばら撒いた俺達が置いてくわけにはいかないし、ここは大切な場所だ。と思って、丸めたリュックをリュックに入れてあるんだよ」

「準備がいいね」

「お前こそ、飲み物持参じゃないか、しかも牛乳。喉渇いてたからちょうどよかったけどな」

「水分とご飯は必須でしょ。あとでテムにその牛乳あげてね、育ち盛りだからさ」


 牛乳を飲み干したエルマーはなんとなしにビンのラベルを見て、ぎょっとした。


「……おいココロこれ、賞味期限切れてねえか!?」

「ウソ!?」


 ココロも慌ててラベルを確認すると、七日ほど賞味期限が切れていた。

 そうしていると、テムが慌てて戻って来た。


「兄ちゃん、ココロ! 大変だ!」

「こっちもそれどころじゃない!」

「女の子! 女の子が罠にかかってる!」

「……なにっ?」


 ココロとエルマーは顔を見合わせ、手に持っていた牛乳瓶を放って、「こっち」と先を行くテムを追いかけた。

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