28

 軍服さんを森の中にある川辺まで誘導し、お礼の準備に取り掛かった。

 テムは特にやる気を漲らせ、リュックから男性用の上着とズボン、靴を取り出した。

 二人の父親の衣服で、今日の為にこっそりくすねてきたものらしい。


「はいココロ、お願い」テムはシャツを差し出した。

「任せれ」


 ココロは渡されたシャツに、『0056』の刺繍がされたワッペンを縫い付ける係りだ。

 裁縫セットを取り出し、作業に取り掛かる。

 その間、二人は感染者の衣服を脱がして素っ裸にし、その汚れた体をごしごしと洗う。

 実はこの作業が最も感染のリスクが高く、特に注意を払う必要がある。

 しかし、これに関してエルマーとテムは慣れたもので、活き活きと楽しんでいる感があった。

 二人はリュックから取り出した長靴を履き、ゴム手袋とマスク、ゴーグルを装着、臆することなく軍服さんに飛び掛り、両手と両足を縛って、身につけている物を全て剥ぎ取った。


「よーし大人しくしてろよ、堆積した全身の垢そぎ落としてやるからな」

「兄ちゃん、この人何年風呂入ってないのかな?」

「さあ、何十年か何百年か、とにかくすっきりさせてやろうぜ」


 二人は気合を入れると、全裸に剥いた軍服さんを浅い川へ押し出し、ココロが持って来た水汲みポンプとホースを使って、汚れた体に水をかけた。透き通った川の水が飛沫を上げ、太陽の光りを反射して銀色に輝いた。


「どうだ、気持ちいいだろ!」エルマーがホースで水をかけた。

「背中向けろ! おケツもキレイにしてやるからな!」


 テムは折りたたみ式のモップを伸ばすと、それで軍服さんの体に堆積した汚れを擦り落とした。

 軍服さんは呻きながら、時に転び、わんわんと何かを訴えかけるような声を上げた。立ち上がる暇もなく頭から水をかけられ、モップで押さえつけるように洗われる様はイジメられているようにも見える。

 それを刺繍しながら眺めるココロは、「おい、この二人をなんとかしてくれ!」と助けを求められている気もしたが、キラキラして楽しそうにも見えるから不思議だ。


「ちょっと二人ともさ、怪我させないでよね」


 そうして全身キレイにシャンプーされた彼は、再び縄で引っ張られ、捕縛され、ズボン、靴、刺繍を終えたシャツを着せられる。


「似合うじゃん、ちょっと丈足りてないけどな!」

「父ちゃん短足だからね!」


 笑う二人を目端に、ココロは軍服さんの衣服を拾い上げ、認識票に目を凝らした。

 コードと名字は擦れてはっきりとはわからなかったが、『ジョン』という名は読めた。


「その人、ジョンっていうみたい」

「なんだ、ジョンって言うのか。感染者で名前がわかったの初めてだな」

「ほんとだね」


 上着のポケットを調べてみると、銀色のケースが入っていた。錆びたケースを開くと、透明のビニールに覆われた写真を見つけた。ちょうど、エルマーやテムと同じ歳くらいの二人の男の子と、汚れ一つない軍服を着た彼が肩を組むように写っていた。


 幸せそうな笑顔だった。


 ココロは服を置いてカメラを構えると、川辺で向かい合わせに立ったジョンとエルマー、テムの三人を、木漏れ日をバックにシャッターを切った。

 排出されたフィルムをノートに挟み、彼が持ち歩いていた写真をケースに戻し、ポケットへ入れた。厚地の布で作られた軍服は、擦り切れた箇所や裂けた部分も多かったが、とても丈夫だった。ズボンやベルト、認識票タグ、ブーツ、懐中時計、ピストルとホルスター、水筒、それらの持ち物は処分せずに、エルマーが別途用意した小さなリュックに整理して納めた。

 これらは全て貴重な資料になりえるが、持ち主に返すことに決めている。


「エルマー、その人の荷物まとめたよ」

「おう、ありがとな」


 エルマーは受け取ったリュックを、ジョンに背負わせた。

 ジョンの髪はさらさらになって、水辺に吹いたそよ風にさらりと揺れ、肌も身形もすっかり綺麗になり、スニーカーもばっちり決まっていた。

 ぱっと見て、彼が感染者だとは誰も気づけないだろう。


「つき合わせて悪かったな。気をつけていけよ、何処行くかは知らんけど」


 エルマーはジョンの足に結んでいた縄を切り、背中を軽く押した。

 ジョンが振り返り、抱き付こうとしてきたのを、エルマーは軽やかにかわした。


「さよならのハグはナシだ」


 ココロ達ははジョンから目を離さずに後ろ向きに歩き、茂みに身を隠して様子を覗った。

 川のせせらぎを聞くように暫く立ち尽くしたジョンは、川面へちらと目をやると、踵を返してどこへともなく、ゆっくりと歩き出した。

 三人は茂みから出ると、その後姿が見えなくなるまで見守った。

 鳥や森の声に抱かれながら川縁を進んでいくその姿は、まるで旅人のようだった。

 その姿が見えなくなると、エルマーは時計を確認した。


「じゃ、俺達も片づけして戻るか」

「そうだね」

「次はいつになるかな」

「また捕まえたら教えるよ」テムが言った。

「つっても、そろそろ試せることも少なくなってきたし、何か考えないとな。ココロ、後でノートまとめといてくれるか?」

「おう、任せれ」


 ココロ達は後片付けを始めた。

 感染者の唾液が付着してしまったライフルの銃口も川で洗い流し、消毒液をぶっかけ、丹念に拭き取った。その他の布や、マスク、手袋は黒いビニール袋に詰めた。これらは全て焼却処分することに決めている。感染者の唾液や血液は、注意して扱えば感染を防ぐことは可能だ。熱処理や消毒で菌を死滅させることが出来ることもわかっている。ただし、そういう状況になることは本来望ましくない。

 三人は来た道を戻り、モペッドに跨った。

 スターターを引いて、エンジンを始動する。


「……あれ?」


 エルマーのスターターが空回りしてエンジンがかからなかった。

 エンジン不動、原因はガス欠で、エルマーは「くそ、漕いで帰るのか」と肩を落とした。


「家に寄ってきなよ、ガソリンあるし」

「よくそんなにガソリン手に入るな」

「試運転用に使ってるガソリンをちょろまかしてんよ」

「悪い奴」

「役得役得」ココロは笑った。

「ねえココロ、俺のもかかんない」テムが言った。

「テムもガス欠? 貸してみ」


 ココロはモペッドを降りると、テムのモペッドを軽く振って、ガソリンが入っているのを確認した。コックがオンになっているかを確かめ、スターターをゆったりと引いた。普段ならこれでかかるが、手応えが弱い。


「プラグかも――っよ!」


 少しだけ力を入れて引くと、途端に人の悲鳴が空に響き、ココロはびっくりした。

 モペッドが悲鳴を上げたのかと思ったが、幻聴じゃなかった。

 断末魔のような叫び声に木に留まっていた鳥が羽ばたき、エルマーやテムも耳を疑った。


「――びっくりしたぁ」

「おい、今のって」

「聞こえた? 人の声だよね」


 声の主はわからないが、今の悲鳴の原因が自分たちにあることはすぐにわかった。

 感染者に遭遇しても、びっくりして声を出すことはあっても、悲鳴なんて上げることはない。


 罠にはまった人がいる。


 ココロは首筋に嫌な感覚が走るのを感じた。


「兄ちゃん、たぶん今の声、他の罠張ったところからだよ」


 やっぱり、とココロはエルマーと目を合わせた。


「テム、場所わかるか?」

「わかる」

「案内しろ。っくそ、誰かの足やっちまったかもしれないぞ!」

「でもなんでこんな森の中に」

「知るかよ! とにかく急ぐぞ!」


 エルマーが急かすと、ココロはスターターを引いてテムのモペッドに火を入れた。アクセルを数回煽ってエンストを防ぎ、テムにモペッドを返した。

 テムが走り出すと、エルマーがその後を追いかけた。ココロもすぐに自分のモペッドに跨り、その後ろを追走した。

 ココロはエルマーを追い越し、テムの後ろにつけた。


「エルマー急いで!」

「っくそ、こっちは目いっぱい漕いでるって!」


 エルマーは顔を真っ赤にして、立ち漕ぎで二人を追いかけた。

 人の悲鳴を聞いて、胸が嫌な音を響かせる。

 自分達以外、こんな場所を歩き回るはずはないと高を括っていた。

 そもそも罠は見えやすい場所に仕掛けてあって、獣だって引っかからないような仕掛けに人がかかるはずはないと思っていた。とはいえ、かかった人がいる。


「っくそ、これで俺達の研究も終わりかもな!」

「あたし達のことより罠にはまった誰かさんが先だよ! 近くに感染者がいたらやばいって!」

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