27
軍服さんに対して、三人は様々なアプローチをかけた。
言葉は覚えているか、理解できるか。反応する単語はあるか。
言葉にしても、物にしても、彼等の記憶を刺激するものを持ってくる必要があった。
テムやエルマーは、男性の感染者を見つけると必ず投げかける言葉がある。その時は決まってココロに耳を塞げと前置きする。ココロは耳を塞ぐが、二人とも感染者に届くようにでかい声を出すから、微かにだが聞こえる。
「おっぱい!」テムが叫ぶ。
「ケツ! 尻!」エルマーが叫ぶ。
「ブロンド美女!」
「ナイスバディ!」
「ピチピチお姉さん!」
「ルーシィィィ!」
ルーシーって誰だよ、とココロは顔を顰める。
二人とも大真面目な顔だが、聞いているココロは恥ずかしくて鼻の先がむずがゆくなった。
もうオッケーだとエルマーが指でわっかを作ると、ココロは耳を塞いでいた両手を降ろす。
「なあ、反応してたっぽくないか?」エルマーが真面目に言う。
「あんだけでかい声で叫べば感染者じゃなくたって反応するって」
「……それもそうだな」
ぱっと見て、軍服姿の彼にとって、最も新しい記憶を刺激すると思える記号は『銃』だ。
腰に拳銃を提げているが、それを抜くように仕向けるのは流石に難しい。
「手ごろなものこれしかないし、試してみっか」
エルマーはライフルから弾を抜き、空の弾倉をはめ込んで、ゾンビが取りに来れる位置にそれを置いた。軍服さんは暫く歩き回った後、爪先に当たったライフルに足を止めた。ココロはカメラを構え、スナイパーのようにじっとシャッターチャンスを待った。
「やっぱり銃は気になるのか」エルマーは顎を触った。
「足ぶつけてイライラしてるだけかもよ」
ココロが言うと、エルマーは小さく笑った。
軍服さんは片足ずつゆっくり膝を突くと、ライフルに手を伸ばした。
「興味、持ったみたいだね」
「さて、それからどうする」
エルマーが真剣な表情で、静かに言った。
ココロはシャッターを切った。
彼は手にしたライフルに顔を近づけ、ライフル全体を満遍なく触った。
指先がボルトに触れると、ぴたりと動きが止まった。
思考の時間に入った。
三人は無意識に息を止めて様子を見守った。
彼は一つ大きく呼吸すると、呻きながらライフルのボルトを乱暴に引き、ぎこちなく弾を装填する動作だけしてみせると、ストックを肩に当てて銃を構えた。が、姿勢は定まらず、銃口も円を描くようにふらついていた。
「スイッチ入ったな」エルマーが言った。
スイッチとは、感染者が過去の記憶や知識を思い出した状態を指す言葉で、ココロ達だけが使っている。
「使い方は知ってるみたいだね」ココロは言った。
「的はないから、構える意味はわからんけど」
反射的にそうしているのか、それとも彼には敵でも見えているのか。
どちらにせよ、軍服さんは中指で引き金を絞った。カチンと音がするも、弾が抜いてあるので銃声は響かない。彼は暫くその体制で固まった後、再びボルトを引いて、銃床を地面に突いて、銃口を口に咥え込んだ。ぐっと顎に力が入り、銃口に立てられた歯が欠けた。銃口をがっちりと固定し、逆手にグリップを握り、引き金に親指をかけた。
「何やってんだ? 弾出なくて怒ったのか?」
「弾入れてなくてよかったね」
「まったく」
エルマーが銃を取り上げに向おうとすると、軍服さんは引き金を引いた。
今度は何度も、執拗に引き金を引いた。
その光景が、なんだかとても恐ろしいものに見えた。
執着しているものが、銃ではない気がした。
「……死のうとしてんのか?」
エルマーの推察にココロはぞっとした。
「怖いこと言わないでよ」言いながらも、同じことを思った。
「悪い。とにかく、これは止めだ。一応、スイッチがあることはわかったし、他にも色々持ってきたから、もうちょっとだけ付き合ってもらおう」
軍服さんは弾が出ないライフルにがっかりしたように、ライフルから手を離した。
エルマーはそれを拾い上げ、唾液がべったりとついた銃口には触れないように注意して扱った。
「……布あるか?」
ココロはリュックからタオルを取り出した。エルマーはそれを銃口に巻きつけ、外れないように縛った。
「それどうすんの?」
「あとで、川で洗う」
「感染しないでよね」
「めっちゃ洗うよ。消毒液もボトルで持って来てるし、唾液くらいなら傷口に触れなきゃ大丈夫だ」
そりゃそうかもしれないけどね、とココロは眉尻を下げた。
その後、本、リンゴ、ナイフとフォーク、フライパン、野球ボール、サッカーボール、人形、スコップ、ビンに入れた水、おおよそ人が生活する上で触れるものを片端から並べてみた。
ところが、どれにも無関心、無反応だった。
これには少し残念だった。
銃の扱い方を覚えたのは彼が軍人になってからのことで間違いない。それまでは人として沢山のものに触れてきたはずだ。それは銃に触れた時間よりも遥かに長いはずだ。自分達が差し出したものがたまたまよくなかったのかもしれないが、それでも、何かを手にして欲しかった。
それからほどなく、これといった収穫もなく、あっけなく実験は終了する。
エルマーは腕時計で時間を確認し、背中をぐっと伸ばした。
「よし、じゃあボチボチ終わりにするか」
「お礼の時間もあるしね」
「お礼の時間だ」テムが繰り返した。
ココロはこの時間が一番好きだね、とほっとした笑顔を浮かべた。
拘束して実験につき合わせるのは、やはりどこか気が重い。
彼等に記憶の片鱗を見る度に興奮を覚える反面、罪悪感のようなものがしっかりとのしかかってくる。
だから、実験に付き合ってくれたお礼として、ちょっとした罪滅ぼしに、ココロ達は彼等の汚れた体を綺麗に洗い、新しい衣服を与えることにしている。
自己満足だが、危険を冒してでもそうする価値があると信じている。
テムが木の幹に結んであった縄を解き、クイッと引っ張った。
「こっちだよ、来て」
そう呼ばれた軍服さんは、呻きながらよたよたと、テムの後を追いかけた。
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