第三話 秘密の研究とくっさい爺

23

 NCE(新共通紀元)554年――。


「壁の外で遊ぶのはかまわないが、彼等ゾンビを見つけても悪戯せず、失礼のないよう敬意を払いなさい」


 子供達は壁の外へ興味を持つ年頃になると、大人達にそう教わる。

 ゾンビと称される感染者は、世界の仕組みと歴史を変えてしまう程に汎流行した謎の疫病の被害者である。にも関わらず、目を覆いたくなるような酷い扱いを受け続けた。当時は感染しようものなら死者と判定され、助けを乞おうが泣き叫ぼうが、怒り狂おうがお構いなしに、災厄を広げる病原菌として淡々と処理された。時には実験体として生きたまま四肢を切断され、心臓を抜き取られ、頭蓋骨を開けられ、全身に通した管で、一滴残らず血を吸いだされた。


 それでも彼等は蘇る。


 何事もなかったかのように再生し、歩き出す。

 文字通り人には成す術がなかったのだ。

 そんな彼等も、今となっては『哀れな隣人』として丁重に扱われている。


 にわかに信じられない話だが、彼等は感染当時の姿をほぼ保っていて、個体によってはここ数百年間、同じ姿だという。男性、女性、老人、子供、稀に赤子、年齢や性別に関わりなく、感染当時の姿で世界中を彷徨っているのだ。


『生ける標本』

『声をなくした証言者』

『死を取り上げられた徘徊者』

『時計を失くしてしまった人たち』


 そんな風に呼ぶ人もいる。

 言葉を忘れ、時間の概念から解き放たれた彼等に老いはなく、人が干渉しない限りほぼ永遠に存在し続ける。そんな話を聞かされたら、子供達はそれがどんなものなのか、一度は確かめてみたい気持ちに駆られる。

 現実に、感染者に引っ掻かれたり噛まれたりしたら、二度と元の生活には戻れない。


 しかし、そういうスリルがたまらないのだ。


 実際そうなれば一巻の終わりだが、彼らは足がとても遅く、歩いてもじゅうぶん逃げ切れた。

 その歩みの遅さと言ったら、足腰を痛めた老人とどっこいだ。


 捕まるなんてこと、万に一つもない。


 だから子供達は彼等を見つけると、「鬼さんこちら、手の鳴るほうへ」と手を叩き、呻くような、唸るような不気味な声で寄ってくる彼等ゾンビをからかって遊ぶ。時には彼らの真似をして、手を前にぶらぶらさせて、涎を垂らしながらよたよたと歩いてみせ、ゲラゲラと笑う。


 子供は無邪気に残酷で、大人の言うことなんて聞きやしない。


 けれどそんな遊びも、楽しいのは最初だけだ。

 危険と隣り合わせのたわむれの日々にも、やがて飽きがくる。


「あいつら、足遅すぎてつまんないな」


 やはり鬼ごっこの相手に相応ふさわしいのは、一緒に遊べる友達だった。

 欲を言えば、自分たちより少し大きなお兄さんやお姉さんが望ましい。

 遊びの上では、捕まったら人生が終わってしまう手応えの無い本物の鬼よりも、捕まってもなんてことはない、足が速いいつわりの鬼に追われるほうが楽しいのだった。


 それに、大きくなると自転車にも乗れるようになるし、男の子は野球やサッカーなんかのスポーツに夢中になり、女の子は裁縫や料理を覚え、恋に忙しい。

 結局のところ、大半の子供は大人の言うことを聞きはしないが、時と共に自然と壁の外への興味を失くし、ゾンビで遊ぶことから卒業する。


 そして子供達は彼らを壁の外へ置き去りにして、安全な暮らしが約束された箱庭で、親兄弟と食卓を囲み、あたたかいベッドで眠り、大人になっていく。

 大人になったかつての子供達は、自分達の子供達に言う。


「壁の外で遊ぶのはかまわないが、彼等ゾンビを見つけても悪戯せず、失礼のないよう敬意を払いなさい」と。

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