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 ココロ達が入った『東の森』は、この季節になると木の実もよく実り、自然の動物も多く姿を見せるようになる。木々の成長は止め処なく、濃い酸素を吸った獣や虫達は旧暦時代より大きく育ち、自然観察にはうってつけだ。

 『第0056コロニー』はおおまかに、北から北東側を広大な山、南東側を背の高い木々に囲まれた森、東の果てには陽光を反射して輝きを放つ湖が待つ、豊かな自然に囲まれている。


 モペッドはガンツ達の追跡を避ける為、目的地と離れた地点でエンジンを止める。

 そこからペダルを漕いで移動し、巨木の陰にモペッドを駐め、『ゾンビホイホイ』が設置してあるポイントまで、さらに歩いて移動する。

 森の木々は壁に近いほど背が低く、外側へ進むに連れて太陽の光りを沢山浴びて育った木々が、空を支える柱のように高くそびえた。太い幹の木々の高さはコロニーの壁をも越え、根っこはタコの足のようにうねって地面に深く根を張り、飛び越えられない高さのものもある。


 深く息を吸えば、味覚を刺激するほどの青い香りがする。


 そんな雄大な自然は、リュックを背負って歩くだけで壮大な冒険をしているような気分にさせてくれる。


「それにしても久しぶりだね、ゾンビが捕まったのなんて」ココロが言った。

「最後はたしか、一昨年の冬の終わりごろか、丸々一年は音沙汰なかった感じだな」


 ここの冬は、冬と言ってもあたたかく、雪も降らない。


「テムもよくかよったよね、遠かったから大変だったでしょ」

「大切な任務だからね。兄ちゃん達が仕事で忙しくなった分、俺が頑張るって決めたから」

「ここ、褒める所か?」エルマーが訊いた。

「お兄ちゃんとして褒めてあげなよ」


 エルマーがお手柄だと褒めると、テムは誇らしげに鼻を高くした。


「足元、気をつけなね、小さい根っこがあるから」ココロはテムの腕を引いた。

「うん、ありがとうココロ」


 素直なテムに、ココロは微笑んだ。

 三人でこうして森の中を歩くようになったのは、ココロが八歳の頃、新聞に載ったとあるコロニーでの感染事件の記事がきっかけだった。新聞なんて滅多に配られることがないので、大人達はざわついていた。


 ココロ達もようやく字の読み書きができるようになった頃で、ゴミ箱に捨てられていた新聞を拾って地面に広げ、一生懸命内容に目を通した。


 それは『トワイライト事件』や『サンセット事件』とも言われていて、どちらにも日の出や日没といった言葉が用いられた。幼い姉妹の感染事故で、とても他人事で済ませられるような話ではなく、痛ましい事故として住民達の記憶に深く刻まれた。


「明日は我が身だな」誰かがそう言ったのを、ココロはよく覚えている。


 感染者そのものに大きな脅威はなくとも、たった一人が感染することで、コロニー全体が感染者で満たされる事故へと繋がる。俗にこれを、『死化デッドアウト』と呼ぶ。


 なぜそんなことが起きてしまうのか。


 感染者と適切な距離を置き、かつ彼等について適度にうとい人々は、こういった事故でもない限り知る機会を得ないが、原因は病気の特性にある。

 主な感染経路は傷口や目や鼻、口などの粘膜から、感染者の唾液や血液が入ることによる粘膜感染だが、問題はその感染経路より、潜伏期間の長さと症状にある。

 感染したことが見てわかる状態になるまで、早いもので一週間、遅いものでは二週間と時間がかかり、しかもその間当事者はまったく自覚症状がなく、発熱や倦怠感、かつくしゃみや堰をするといったわかりやすい症状もなく、ある日突然、人としての自我が狂い始める。


 これが原因で、感染していることに気づかない、或いは感染を隠してコロニーへ菌を持ち帰ってしまうことで、日常生活の食事や入浴、接吻せっぷんや性交渉、医療による傷の手当などといった様々な経路から感染が広がり、気づけば誰が感染者で、誰が非感染者なのかがわからない状態に陥る。結果、そうなったコロニーは対策を打つ暇もなく破棄を余儀なくされる。


 サンセット事件において、被害者となったのは、八歳と六歳の姉妹で、名前を『ソフィア』と『エマ』と言った。絵を描くのが好きな、仲のいい姉妹だったという。

 二人はある日、老朽化していた壁に開いた穴を見つけた。

 そして、朝日や夕日を見る為に、こっそりと抜け出した。

 どちらの景色も、二人の暮らす工業コロニーでは壁の外へ出なければ目にすることが出来ず、かつ外出制限の時間を越えてしまう為、こっそりと抜け出すしかなかったのだ。


「太陽さんがどこから出てきて、どこに帰っていくのか自分の目で見たいの。お婆ちゃんが、とっても綺麗な景色だって言ってたから、いつか二人でその絵を描くの」


 それは二人が度々口にしていた言葉だ。

 コロニーをこっそり抜け出した二人にとって、それは胸躍る冒険だったに違いない。

 二人は念願の朝焼けを目にすることも、夕日が沈んでいく様子を見ることもできた。

 しかしそれが、事故へとつながってしまった。

 スケッチに夢中になる余り、妹のエマが襲われ、感染した。姉のソフィアは妹を助ける為に大人を呼んだが、感染者を元に戻す方法はなく、家族や大人達は断腸の思いでエマを壁の外に置き去りにすることを決め、ソフィアを引き離した。


 ところが、自分を責めたソフィアは妹を一人ぼっちにさせてはおけないと、簡易的な方法で塞がれていた穴から再び外へ抜け出した。


 後日、行方を捜した大人達が楽しそうに追いかけっこをして遊ぶ二人を発見した。


 ソフィアはエマから感染し、症状が表面化するまでのおよそ二週間と二日、妹と一緒に壁の外で自由に駆け回り、絵を沢山描いて、そのうち自我を失って、彷徨うゾンビとなった。

 サンセット事件は、こうした壁の老朽化と、小さな子供の純粋な想いによって生まれた悲劇であり、住民達の認識の甘さや粗末な対処によって、二人の少女を犠牲にしてしまった事故だった。


 感染者の特定ができていた為、コロニーの住民約三万七千人の命は守られ、『死化デッドアウト』は免れた。

 配られた新聞には、二人の遺作としてスケッチブックに残された絵が載せられていた。


 ココロもそれをよく覚えている。


 緑色の草原が続く地平線から登る太陽も、草木も、手を繋ぐ二人の女の子も、皆が笑っている絵だった。


「コロニーの管理人は辛かっただろうが、管理が甘かったんだな」

「子供から目を離した親も悪い。子供達がかわいそうだ」


 それが大人達の感想だった。

 当時、その絵を他の子供達が「ヘタクソだ」と笑った。

 エルマーがそれに怒って、その子達に掴みかかり、乱闘になった。

 ココロもアリソンを振り回し、テムと一緒に加勢した。


 結果は惨敗。ココロも女の子だからと容赦されることはなく、擦り傷に痣、鼻血まで流し、乳歯もへし折れた。


「ただ絵を描きたかったってだけで、なんでこんなことになるんだ。なんか、ゆがんでないか」


 ふらふらになったエルマーが、世の中の不条理に強い憤りを覚えたように、悔しそうに拳を握り締めていた。

 ココロも同じ気持ちだった。

 ソフィアやエマ、その家族や、友人、コロニーの管理人の誰かが悪かったようには思えなかった。


「そうだ、ゾンビがいなければ全部解決するんじゃないか? そうだよ、俺達でやっつければいいんだ」


 思いついたようにエルマーが言い出したのが、ことの始まりだ。

 ところが、『第0056コロニー』の周辺には滅多に感染者は現れず、今までココロ達が確認した数は全部で五体、今回テムが発見したものを含めれば六体と、意外に少ない。どこかのコロニーで事件が起こっても他人事になってしまうのも仕方がないのだ。

 実際、初めて感染者を見つけた時は、想像よりずっと無害そうなその姿に拍子抜けした程だ。


「そういえば、捕まえたゾンビって男の人? 女の人?」


 ココロが訊くと、テムは振り返らずにこたえた。


「男の人だよ。なんか本で見たことあるかっこうしてた」

「本で見たことある格好?」


 ココロはそっとエルマーの耳元に顔を寄せ、「テムって本読むの?」と訊いた。


「絵だけ見るんだよ。図鑑とか特に好きだな」エルマーは声を潜めた。

「あーね」なるほど、とココロは納得した。

「まあでも、軍服……だと思うんだよな、テムの話を聞く限り」


 ココロは眉を顰めた。

 軍人なんてもうこの世には存在しない。もしテムが見た感染者が本当に軍人なのであれば、推定でも二百年から五百年近く前の感染者だ。それが衣服も軍人だとわかる程に形を残しているとなると、かなりのレアケースだ。


「たぶん、どっか死化デッドアウトしたコロニーの守衛だと思うんだよ」

「ちがうよ、あれは絶対に軍人さんだ! 鉄砲も持ってた」

「俺だって持ってるだろ」

「そういうんじゃなくてえさああ」テムは声を震わせた。

「ま、銃持ってんなら、うっかり撃たれないように気をつけようぜ」

「……ねえ、そろそろじゃない?」


 ココロは足を止め、二人を呼び止めた。


「よくわかるな」

「そりゃ、足元見ればね」


 ココロは足元を顎で指した。

 地面から数センチの所を、一本の縄がぴんと張っている。

 エルマーがそれを爪先に引っ掛けて軽く引いた。

 それはここ一帯の木々の幹にかかり、結界のように張り巡らされているが、意図的にこうして縄張りをしたわけではなく、罠にかかった感染者が歩いたルートを示している。


 感染者は程度の差はあっても光を嫌い、こういった深い森の中、特に木漏れ日も届かないような影が多い場所を好んで移動してくる。

 このコロニーの周辺に感染者が少ないのは、ここが年間を通して温暖で、太陽の日差しがよく届く土地だからだと推測している。

 そのなかで影が出来やすいスポットに加工したトラバサミを設置し、繋いだ縄の一端を、杭で地面に打ち付けておくのだ。トラバサミの牙はヤスリで削られ、ゴムをはめ込むことで感染者を傷つけないよう細工してある。製作はココロが担当し、整備工場でこっそり作った。


 感染経路は粘液感染のみで、空気感染や接触による感染はまずないが、血液や唾液などが一滴でも目や鼻、傷口等から入り込んだら危険なので、どんな小さな傷もつけないようにするのが鉄則だった。


「テム、縄、何メートルの仕掛けたんだ?」

「百メートル」

「長っ! よくそんなの見つけたね」ココロは驚いた。

「資材倉庫から古い縄拾ってきたんだ。一応、引っかかるゾンビに配慮したつもりだよ。短いと自由に動き回りにくいと思ってさ。いくら死んじゃってるって言っても、窮屈なのはいやでしょ?」

「そういう話聞くと、棺桶に入るよりよっぽど感染者の方が自由に思えてくるな」

「その自由を奪ってるのはあたし達だけどね」

「それにしても、よく絡まらないな」

「どこにいるかな」

「辿ればわかるさ」


 杭で固定された縄を始点に、感染者の足跡を辿った。

 ようやく終わりが見えて来た頃、エルマーが思案するように頬を内側から舌で押した。

 縄は茂みの向こうに続いていて、姿は確認できない。

 ココロが腰を屈めて縄を軽く引いてみると、草が揺れた。


「どうだ?」

「んー、引っ張り返してくる手応えはないけど、重いね」


 ココロは縄の先から目を逸らさずに、耳を澄ませた。

 微かにだが、感染者の息遣いが聞こえる。

 痰が絡まったような、開ききっていない喉に空気が通る音が、ひゅーひゅーと聞こえる。

 エルマーも聞こえたのか、静かにライフルを手前に持ち替え、ボルトを起こして弾を薬室へ送り込んだ。万が一の為だとしても、物々しい雰囲気に緊張感が増した。


「よし、手順はいつも通り。二人は回り込んで注意を引いてくれ、俺が押さえる」


 エルマーが言うと、テムとココロは腰を屈めてリュックを降ろした。

 テムはひっくり返したリュックから転がり出た溶接用のフェイスガードを被ると、軍手を嵌めて、短い縄を二本取り出し、一本をココロへ渡した。ココロも工場で使っているグローブを嵌め、バイク用のゴーグルとマスクを着けると、ささくれ立った縄をぐるぐると腕に巻きつけた。


「気をつけてね」ココロはエルマーの背中をぽんと叩いた。

「お前らこそ」

「じゃ、テム」


 ココロは指で向こう側へ回ってと伝えると、姿勢を低くして走り出したテムの反対側へ大きく回りこみ、木の陰に体を隠し、そっと頭を出した。

 エルマーの姿はこちらからは見えないが、地面に倒れた感染者ゾンビの姿は見つけた。

 土が剥き出しになった地面にうつ伏せに倒れていて、頭の上を蝶々が飛んでいた。

 あちこち生地が裂け、背中や腕の肌が露出したゾンビは、守衛が着ているような緑色の軍服を着て、足には無骨なブーツを履いていた。その片足を、トラバサミががっちりと噛んでいる。

 ココロは捲っていた袖や裾を伸ばし、縄で手首が通る程度の輪を作った。


「エルマー、寝てるよ! 倒れてる!」


 その声に反応して、頬を地面に着けていたゾンビが頭を持ち上げた。

 茶色い頭髪は泥や埃で固まっていて、顔もひどく汚れていたが、顔立ちは端整だった。


「なかなかイケメンなお兄さんじゃん」ココロはビシッと縄を張った。


 ゾンビが両手を地面に突き、ゆっくりと膝を立てた。


「行くぞ!」


 エルマーが合図し、茂みの影から飛び出して、ゾンビの背中を踏みつけて地面に押さえつけた。

 ゾンビが再び頬を地面に着けると、ココロとテムはタイミングを合わせて飛び出した。

 地面の上を探るゾンビの両手首に縄の輪を通して素早く縛り上げ、引っ張った。


 無警戒、無抵抗、通常の『放浪ゾンビ』の特徴だ。


 二人が腕の自由を奪っている間に、エルマーが布でゾンビの目を覆うようにして縛り、耳栓を二つの耳に突っ込んだ。

 視覚と聴覚を絶たれたゾンビは呻くと、立ち上がることすら諦め、全身から力を抜いた。


「よし、罠外すからもう少し縄張っといてくれ」

「はいよー」


 エルマーはゾンビの背中から足をどかし、そのままトラバサミを外した。

 トラバサミが外れると、ココロとテムは縄を引く力を緩めた。

 ゾンビは暫く地面に突っ伏していたが、やがて体を起こし、ぎこちなく立ち上がった。


 立ったら立ったで、前後にふらつく。


 ゾンビの目は暗闇では利くが、昼間は殆ど使い物にならないようで、代わりに耳で周囲の状況を探る。なので、あらかじめ耳と目を塞いでおくと、暴れるのを予防できる。ただし、不用意に正面に立つと、気配を察知して手を伸ばしてくる。

 試したことはないが、おそらくそれに捕まると振りほどけずに噛まれてしまう。


「兄ちゃん、この人どこに括る?」テムが縄を持ち上げて訊いた。

「あー、そこでいいだろ」エルマーは近くの木を指した。


 ふらふらと頭を揺らしながら立ち尽くすゾンビに注意を払いながら、三人はいつもの手順どおり、ゾンビの右足に縄を結び、近くの木の幹に縛り付けた後、両腕を拘束した縄を解き、目隠しと耳栓を順に外した。

 封じるのは、行動範囲だけで十分だ。


「……よし、捕獲完了だな」


 慣れているとはいえ、一段落するまでは気が抜けない。

 作業を終えると、途端に手汗が滲んだ。


「それにしても、捕まえちまえばなんてことない、ほんと無害な感じだよな」


 エルマーはそう言って、ライフルの安全装置をかけ、木に立てかけた。


「久しぶりで緊張したあ」テムが言った。

「俺もだ」

「掌びちょびちょ」


 ココロは汗ばんだグローブを外して、掌を太ももに擦り付けた。


「兄ちゃん、ココロ、早く始めようよ!」


 テムがリュックの中身を広げて言うと、ココロとエルマーは気を引き締め直した。

そう、本番はここからだ。

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