21

 玄関の扉を開けると、棚に飾られた両親の写真に「ただいま」を言った。

 冷蔵庫から『ぐんぐん育て!』のラベルが貼られた牛乳瓶を取り、栓を開けて一気に飲み干した。


「あー、うっま」


 牛乳髭を生やしたココロは豪快なゲップをして、空き瓶を洗面台に置いた。

 ふとエミリの育った胸を思い出し、自分の胸へ視線を落とした。チューブトップの口を軽く引っ張って比べてみたが、自分のそれは彼女に遠く及ばない。なくて困ったことはないが、ことあるごとに比べられると意識もする。


「何食ったらあんなでかくなるんだろ。ま、牛じゃあるまいし、どうでもいいけど」


 口を拭い、銀皿に鳥の餌を盛り付けた。小さな尻尾をフリフリするミートが、ちょうだいちょうだいと翼をばたつかせて跳ねた。ほれ、と置いた皿に、ミートは嘴を突っ込んだ。食事中の彼のお腹を触ると、ぽちゃぽちゃとしてとても気持ちがいい。ミートも気持ちがいいのか、食べながら目がうっとりさせている。


「……今度運動しようね」

「ッグエ!?」ミートは嘴から餌をこぼした。


 ココロはバスケットのパンを咥えると、二階へ上がってお尻のポケットから取り出した鍵で部屋の扉を開けた。

 家具はベッドとスカスカのクローゼット、アルバムや写真集、冒険小説や子供の頃に読んだ絵本が並んだ本棚、作業机に工具箱と、年頃の女の子の部屋にしては質素だと自分でも思う。

 だから、部屋に鍵が欲しいと言った時、ココロの性格を知った上でマリオは驚いた。

 性格的にはドアに鍵が必要なんて思いもしなかったのだろうし、実際そうだ。

 しかし、隠したいものができるとそうもいかない。


「ココロも年頃になったってことか」


 と、当時のマリオは感慨深そうに髭を撫でたが、事実はそんな生易しいものではなかった。


「ただいまアリソン、ごめんね今朝落としちゃって」


 床に落ちたウサギのぬいぐるみ、アリソンを拾い上げて枕の脇へ置き、リュックをおろした。

 ベッドの下へ両腕を差し込み、銀色のアタッシュケースを引っ張り出した。

 使い込まれたそれは廃品屋の『バトン』で手に入れたものでかなり古く、ぺたぺたと貼られたシールには模様や数字が擦れて見えるが、どういう類のものかはわからなかった。錆び付いて動きの悪くなったダイヤル式のロックを『0556』に合わせて開錠する。ケースを開くと、そこには無数の『いけない写真』と、古い硬貨や装飾の施された空の煙草ケース、指輪やネックレス、空薬莢、そして『秘密のノート』があった。

 それらは幼馴染の兄弟、エルマーとテム、ココロの秘密の活動の証拠品だ。

 『マイダイアリー』とマジックで書かれたノートは、『年頃乙女の恥ずかしい日記』とカムフラージュするにはぴったりだが、中身は違う意味で人に見せられるものではなかった。

 友人はもちろんのこと、家族にはなおさら見せられない。

 ページを開くと、そこには何枚もの感染者の写真が貼り付けられ、個体それぞれがもつ習性や個性に関する記録が記してある。


 これは誰にも見せられない。


 マリオになんて特に見つかるわけにはいかないし、写真館のリガーにだって見せられない。

 手に入れたフィルムの大半は、この感染者の記録に使われている。


「今日はこれと、カメラでしょ、新しいフィルムにペンとワッペンに裁縫道具と、あとなんだっけ、水汲み用のポンプ、とタオル、マスクと、ゴム手袋は……キッチンだな」


 ココロは持ち運び用の水汲みポンプ以外をリュックへ詰め込み、チャックを閉めた。

 アタッシュケースを閉じてダイヤルを適当に回し、ベッドの下へ押し込んだ。

 ミートがやってきて、ベッドの上にぎこちなく飛び乗り、大きなお尻を下ろして枕に頭を乗せた。鳥らしからぬ寝相もミートの可愛いところである。ココロはタオルケットを被せて、ぽんぽんと叩いた。


「じゃ、エルマー達もそろそろ来る頃だと思うから、あたしは行くね」

「ッグエ」


 返事をしたミートを置いて、ココロはリュックを背負って部屋を出た。

 ミートが出られるように扉に少し隙間を作った。階段を降り、台所の下の棚からゴム手袋を探していると、ちょうど聞きなれたモペッドの音が聞こえてきた。

 パタパタと一生懸命に坂を登ってくる音だ。

 手袋をリュックに詰めて外へ出ると、エルマーとテムがちょうど到着したところだった。


「エルマー、テム!」


 ココロが手を振ると、二人はモペッドのエンジンを止め、スタンドを立てた。

 兄のエルマーが同じ歳で、弟のテムは三つ下の十二歳だ。

 エルマーは昔よりやんちゃっぽさは抜けたが、活き活きした目や表情、エネルギーが有り余っている感じは変わらない。体中にやんちゃしていた頃に作った傷が残っていて、「男の勲章」と本人は誇っている。昔は短パンとティーシャツ姿が常だったが、今はカーゴパンツに襟付きのシャツと、少しだけお兄さんっぽくグレードアップした。弟のテムは兄の格好を真似ているが、雰囲気や表情が兄とは真逆で、性格は温和で優しく、臆病だった。が、少年相応の好奇心を持ち合わせていて、怖いもの見たさで本当に怖い思いをすることも多かった。


「待たせたか?」エルマーが言った。

「今帰ってきたところだから、そんなに待ってないよ。ご飯も食べたし、準備もばっちり」

「ミートは?」テムが訊いた。

「部屋で寝てる」

「そっか、残念」


 テムが落とした肩を、エルマーがぽんと叩いた。


「それより、カメラは」

「修理終わってこの通り。新しいフィルムもゲットしたよ」


 ココロがカメラを持ち上げると、エルマーはにっと笑った。


「テムが罠にかかった感染者を見つけたってずっと騒いでてさ」

「実験用の道具も沢山持ってきたんだ」


 テムがパンパンに膨らんだリュックを振って見せた。


「いつ見つけたの?」

「一ヶ月くらい前」

「今もいるの?」

「わからんから、急ごう」


 三人はモペッドに跨り、エンジンを始動してペダルで初速をつけて走り出した。

 丘の坂を下る速度がぐんぐん上がり、ちょっとした段差で車体が跳ねた。


「なあココロ、もうちょっとモペッドのエンジンでかくできないか? 坂きつくてさ」

「それ以上大きいの欲しいなら二輪車バイクでもゲットするしかないよ」

「チケットはともかく、車体がな」エルマーは渋い表情で言った。

「まあ簡単には手に入らないよね」


 コロニー内を走る車輌全般は、欲しいから手に入るというものではない。

 車輌を動かすには燃料が必要で、その燃料は無尽蔵にあるわけではなく、別のコロニーで精製され、コロニーでの平均消費量に合わせて送られてくる。配備されている車輌や重機、発電機の数によって、その量は変動する。そういった機材や車輌も、コロニーを運用する上で必要最低限に抑える必要があり、車輌に関しては娯楽品扱いにはならない。

 個人所有できるかは運次第で、古くなった車輌を手に入れてレストアするという方法もあるが、仮に手に入って動くように出来たとしても、燃料が自由にならないので、勝手が利き難い。よって、個人所有の内燃機関を積んだ車輌は、モペッドが限界なのだ。


「坂、登りやすくする方法もなくはないけど」

「ほんとか?」

「スプロケット変えればね……でも最高速度が落ちるかも」

「これ以上落ちたらエンジン載せてる意味ねえよ」

「一般家庭で手に入る楽ちん最高速度は二十キロがいいとこってことよ」


 三人は『東の森』を目指す為、東門イーストゲートへと向った。

 そこは昔、ココロが守衛を護衛につけて初めて壁の外へ出た場所で、両親を探し回った場所でもある。あれから何度も外へ出た。ある日からエルマーとテムもそこに加わり、その目的は両親を探す為ではなく、冒険ごっこが中心となったが、ひょんなことから『感染者の研究』が始まった。

 あの時護衛をしてくれたガンツとリッキーは今も守衛を続けている。


「そういえば兄ちゃんさ、仕事やめたんだよ」


 テムが言うと、ココロはぎょっとした。


「え!? っていうか何やってたんだっけ、エルマー仕事コロコロ変えるからわかんなくなるんだよね」

「鍵屋だ鍵屋」


 またなんで鍵屋、と疑問に思った。このコロニーではかなり需要の低い仕事なので、滅多に仕事なんてないはずで、エルマーが好むような派手さもない。


「なんでやめたの? っていうかなんで働いてたの?」

「必要だったから働いて、必要なくなったから辞めたんだよ」


 エルマーが意味深な笑みを浮かべると、相変わらずちゃらんぽらんだなとココロも笑った。

 なんだか、ふらふらしてる幼馴染を見ると安心する自分に、ちょっと自己嫌悪した。

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