20

 コロニーの中心に位置する居住区を離れ、川を跨ぐ橋を渡り、丘へ続く道へ入り、緩やかな坂を登った。モペッドの馬力では速度を維持することができず、ココロもペダルを踏んで力を注ぎ足した。丘を登りきると、風にそよぐカモミール畑と、二つのお墓、鼻をつけた桜の木に囲まれた我が家が迎えてくれる。

 ココロはエンジンを止めたモペッドをガレージまで押し、壁に立てかけた。

 エンジンの鼓動で痺れた手を振りながら、ちらっと辺りに目をやった。


「ミート、帰ったよお」


 そう呼んで、返事がないことに眉を上げた。

 『ミート』はココロが八歳の時、マリオが農家からもらってきた『七面ダック』という食用に品種改良された鳥であり、今はココニ家の家族として一緒に暮らしている。いつも家の周りで土を掘り返して虫を食べていて、ココロが帰ってくると翼をバサバサと羽ばたきながら駆け寄ってくるのだが、今日は姿も見せない。

 ココロは両耳に手を当て、目線を持ち上げながら辺りの音に集中した。


「ミート! ミートォ!」

 もう一度呼ぶと、ガレージの中でなにかが崩れ落ちる音が響き、「っぐえ」という声が聞こえた。

 覗き込むと、舞い上がる埃のなかで、ミートの翼がばさばさと暴れる影が見えた。レストア中の車の脇には、モペッドに改造予定の自転車が十台ほど並んでいて、それらが全て倒れていた。

 目を凝らすと、ひっくり返ったミートが自転車の下敷きになっていた。


「なにやってんだか、もう」


 ココロは自転車をどかして、ミートを引きずり出した。

 頭だけアヒルのその鳥は、体がぽちゃっと大きくふくよかだ。胴体から首筋にかけて緑がかった光沢のある黒い羽毛で覆われ、首から頭にかけて白く、頬はチークをしたようにほんのりと桃色が差している。

 足には水かきもついているが、だからと言って泳ぎが得意という訳ではない。

 先祖がそうでも、ミートは違う。

 昔風呂に放り込んでみたのだが、ミートは泳ぐどころか浮かぶこともできずに沈んでいった。

 っぐあ、と鳴いたミートは、「おかえり」と「ありがとう」を伝えるように翼を広げ、片方の翼を前に持ってきて敬礼して見せた。


「ガレージは危ないからあれほど入るなって言ったで――しょっと」


 持ち上げたミートの体重は十キロを越えている。

 ココロはがに股で運び出したミートを地面に降ろし、「また重くなった?」と眉を顰めた。


「あんまり太るとおじいちゃんに食べられちゃうよ?」


 ミートは「そいつは困るね」とでも言うように、困り顔で首を捻った。

 この芸達者で感情表現豊かな家畜は、もともとココロの胃袋に入る為にもらわれてきた。

 七面ダックはコロニーの人たちにとって、ちょっとしたパーティーでは丸焼きにされてご馳走として振舞われるお肉で、コラーゲンたっぷりで脂も乗ったそのプリプリの食感が病みつきになる素敵な食材だ。ココロがそれを食べたのはブラウニーでのパーティーで、帰ってからマリオにせがんだのだ。するとマリオが七面ダックの雛鳥をもらってきてくれた。それがミートだ。

 一年もすれば立派に食べられると大事に育てていたのだが、だんだんと情が移っていった。

 食べ頃になったミートがキッチンで首を跳ね飛ばされる直前、ココロが救った。


「食べる為に飼ったのに、食い扶持を増やすのか?」


 もっともなマリオの疑問に困惑しながらも、ココロはなんとかミートを救おうとした。


「ミート、なんとかしないとこうなっちゃうよ?」


 そう言って、丸焼きにされた七面ダッグの写真を見せた。それを見て、ミートは唾を飲むように喉を膨らませると、全身の羽を逆立たせ、生き残る為に自分がいかに食用ではないか、素晴らしい鳥であるかを証明する為、ココロの言うがままに芸を披露した。


「まあ、ココロがいいなら、いいけどな」


 それ以来、ココニ家では七面ダッグを食べなくなった――。

 となればよかったのだが、ココロもマリオも七面ダッグの味を愛しているので、そうはならなかった。ミートが丸焼きにされない代わりに、時折調理済みの七面ダッグが食卓に用意されるが、その度にミートは具合が悪そうにしている。

 ただ、ミートはその辺りはしっかり割り切っているようで、ココロを命の恩人として慕い、懐いていた。


「あたし、支度したらまたでかけるから、留守番お願いね」

「っくあ」


 ミートは敬礼のポーズで『了解』の意思表示をした。


「お、そのポーズは了解しましたココロお嬢様、だね」

「っくあ!」


 そうであります、とでも言うように、ミートは背筋をすくっと伸ばした。

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