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 今回のロイズの写真集は、荒廃した町並みや都市が中心で、中には破棄されたと思われるコロニーの写真もあった。高い壁に蔦が這い、天高くまで登って伸びる様は幻想的で、恐ろしさの中にも確かな自然の力強さと美しさが感じられた。他にも感染者が廃屋の傍で集まって、まるで世間話をしているような様子を写したものもあった。和んだり、はっとしたり、時に感慨深く唸ることもあり、ココロは存分にロイズとの冒険を楽しんだ。

 その終わりに、ロイズの投げかけるような一言に、ココロは息を止めた。


『君達には、この世界がどう見えているだろうか、何が見えているだろうか』


 ココロは写真集を静かに閉じると、両手の平で顔を覆い、瞼を揉むように擦ってふうと息を吐いた。


「ロイズさん、あなたって人は」


 ひとりごちたココロに、二杯目のコーヒーを注いだリガーがふっと笑った。


「骨抜きだな」

「だって凄いんだもん、これでもかって人の世界を広げた後に「君達の目線から、この世界がどう見えているだろうか、何が見えているだろうか」だってよ! あたしもこんな写真撮ってみたいよ」


 どう思うよ、と熱のこもったココロの視線に、わかったよ、とリガーは苦笑いした。


「なに、ココロは若いんだ。焦らずじっくり、自分の景色を集めていけばいいさ」


 焦るなと言われても、ココロは落ち着いてはいられなかった。今すぐにでも駆け出し、ロイズの背中を追いかけて、沢山の写真を撮りたかった。しかし、ただ闇雲に撮っても仕方が無い。ロイズのような絶景を写真に収めるには、このコロニーを飛び出す必要があるのだ。

 ココロは脇に置いたカメラを手に取り、真剣な表情で見つめ、気持を落ち着かせるように、猫でも撫でるような手つきでカメラを撫でた。


「いつかあたしも、ロイズさんみたいな写真家になりたい」

「ココロ写真集か。いい夢だ。しかし水を差すようで悪いが、そいつはなかなか難しいぞ」

「写真家って職業はないって話でしょ」

「無いわけじゃないが、ロイズのような写真家は、また別だ」


 ココロはわかってるよ、と嘆息した。

 そもそも、ココロがカメラマンではなく整備士を『職業』に選んだのには訳がある。

 一つは、写真家という職業が存在しないということと、世界中を歩き回る上で適した職業である『ハイリベンジャー』という仕事に就くためには、五十歳以上という年齢制限をクリアする必要があるからだった。

 ハイリベンジャーとは、新たなコロニーを建設する候補地を探す職業であり、年齢制限が設けられているのは、その職業が危険であることを意味している。かくいうロイズもハイリベンジャーが本職であり、写真家の活動と写真集の製本は、本職と平行して行われているのだ。


 うまいやり方だと思った。そして自分には真似することができない方法だ。

 ココロのように若い世代は、そういった危険な職業には就けない『決まり』になっている。

 仮に世界各地に点在するコロニーを拠点に独自で活動しようにも、絶景を望める土地がどこにあるかもわからない。そういった場所を探すには、『ハイリベンジャー』のような名分とサポートが必要になる。自力でのサバイバルは、そういったサポートなしでは非常に危険だ。場合によっては、旅先から一度も帰って来られない可能性もある。


 そういう旅に身を投じてみようと、考えたことはある。


 しかし、そんな危険だとわかっている旅に出ると言って、マリオの許しが得られるはずもない。

 なにより、元気とは言っても年寄りであるマリオに、必要以上の心配をかけたくはなかった。

 そう考えるとココロは自分の意思がたいして強くないんじゃないかと疑いたくなった。


 夢といいつつ、現実的で堅実な道を選んだようなものだ。


「ロイズさんって、今いくつなの?」

「さあ、私もロイズの正体はよく知らない。仮にハイリベンジャーになってから写真家として活動していると考えると、とっくに九十は越えているだろうがな」

「超元気なお爺ちゃんってこと?」

「それか、ハイリベンジャーになる以前から、危険を承知で活動をしていたかのどちらかだ。その場合、当時からロイズに協力者がいたというのは間違いないだろうがな」

「……協力者か」


 ココロは首筋を撫で、むうっと唸った。

 五十を過ぎてハイリベンジャーに立候補するのが一番現実的な方法だ。

 その頃にはマリオもとっくにお墓に入っているだろうし、好きに生きても文句を言う人はいないだろう。仮にマリオの許可を得たとしても、困難な道であることはわかりきっている。

 ココロが瞼を閉じて真剣に悩んでいると、その表情を見つめながらリガーは苦いコーヒーを口に含んだ。


「そういえば、近頃は撮った写真をあまり見せてくれないが、最近は何を撮ってるんだ? 時々壁の外には出てるんだろ?」

「あー、修行中だから秘密」

「小さい頃はよく見せてくれたじゃないか。写真集だって作ったろ?」


 懐かしい話しだな、とココロは瞼を閉じたまま笑んだ。

 ロイズの写真集に影響されて、リガーに協力してもらって写真集を作ってもらったことがあった。写真集とは言っても、ココロが撮った写真をアルバムに纏めてもらっただけの真似っこで、クオリティは高くなかった。それでも当時は満足だったが、今思い返すとちょっぴり恥ずかしい思い出だ。


「恥も失敗も知らない頃の話だね」

「昔ここに飾ってた写真も、全部とってあるぞ? 外してくれって言われたから、外したけど」


 ココロが幼い頃撮った写真は、一時ギャラリーに飾られていたが、いつだったか友達にからかわれたのがきっかけで、自分の撮った写真と人のものを比較することを覚え、外してくれと騒いだ。その時、「捨てといて!」と言ったのを覚えている。


「まだ持ってたんだ」


 それはそれで嬉しい、とココロは思った。


「いらないものなら、私がもらっておこうと思ってな。どれもあどけない、素直ないい写真だった。ああいうのは、その時しか撮れないんだよ。俺みたいに歳食えばなおさらな」

「だいぶ色眼鏡で見てない?」

「失敗ばかりで、うまくできなくて恥ずかしい、それでも理想を追い求めた物は、なんであれ輝いて見えるものだよ」

「ありがとう。でもま、今はまだってことで」


 ココロが言うと、リガーは小さく笑った。


「じゃあ、ココロが納得のいく、いい写真が撮れたら、この店に飾ろう」

「特等席ならいいよ」

「専用のブースを用意するよ。なにせココロはお得意さんだからな」

「ロイズさんに負けないくらいの写真が撮れたら、持って来る」


 ココロが言うと、リガーはコーヒーカップを置いて、両手を組んだ。


「それはそれとして、ひとつ提案があるんだが」

「あたしがロイズさんの二代目を襲名するっていう提案?」


 ココロが冗談っぽく言うと、それは最高だなとリガーは笑い、すぐに真顔に戻って「違う」と否定した。

「うちで働いてみる気はないか?」


 うちってこのお店か? とココロは店内を見回し、リガーの真剣な眼差しを見つめた。

 どうやら、冗談ではないようだった。


「うちって……ここで? あたしが?」


 リガーが固く頷くと、ココロは視線を前に戻し、すっと息を吸い、胸で止めた。

 そういう選択肢があったことに今更気づき、ここで働く自分の姿を想像してみた。

 大好きなカメラ屋写真に囲まれて生きるというのは、それはそれで、とても魅力的に思えた。

 同時に、自分の目線はいつも遠くにあったことに気づかされた。

 こんなに身近な場所にも、世界を広げてくれる人がいた。

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