第二話 15歳のファインダー
13
【モペッド】自転車のフレームに小型のエンジンを搭載した二輪車。自転車としてもバイクとしても使用でき、最高時速は約18キロ~20キロ。
―――――
十五歳になったココロは、すっかりツナギ姿が板についたメカニック少女に成長していた。
マリオとの暮らしで自然と身に付いた機械いじりを活かし、十三歳になってからの約二年間、マリオが工場長である整備工場『56ファクトリー』で屈強な男達や機械に囲まれて働いた。
最初こそ整備士の面々はココロがメカニックとして働くことに多少の抵抗を感じていたようだが、メカニックも三年目後半となると、もはやココロをただの女の子扱いする者も居なくなった。
工場ではコロニーで使われる小型の発電機にはじまり、自転車、
お陰で知識や経験、技術、年頃の女の子らしさからは程遠い逞しさを身につけたが、代わりに可愛い服や、恋愛、お洒落なお店のお話には疎くなった。同年代の女の子達の話が、まるで宇宙人の言葉のように聞こえてさっぱりわからない。しかしそれは向こうも同じで、「ココロちゃんは仕事の調子はどうなの?」と訊かれると困る。
「この間修理したゼネレーターがね、もう二十年落ちの古い子でさぁ――」
そう口を開くと、さっきまで輝いていた皆の瞳が死んだ魚のように光りを失う。
「へえ、そうなんだ。ゼネータ……二十年」
「すごいね、年上……じゃないよね、全然わかんないけど」
「職場の男の子とかで気になる人とか、いないの?」
「あーいる。いるのよこれが」ココロは答える。
「へえ、いるんじゃん! どんな人なの、年上、もしかして年下!? すっごい気になる!」
「年上」
「「上、頂きました!」」女の子達は興奮して声を揃えた。
「それがそいつってば使った後の工具をさ」
「うんうん、工具をどうするの?」
「ちゃんと拭かないで工具箱に戻すのよ、あたしそういうの気になってダメなんだよね」
「あー、気になるってそっちね」
「そっちってどっちよ」
友達の会話に合わせる能力に長けた彼女達でも、ココロの世界観には合わせられなかった。
無理に一緒にいるとかえって仲がぎくしゃくしそうな空気はココロも感じていて、時々そうしてお茶を飲んでも、「なんかあったら呼んでね」と女の子達の輪から離れていった。
それでも、今の生活や自分に不満はなかった。
オイルやガソリンの匂いも嫌いではなかったし、お気に入りの工具を手入れしたり機械をいじっている時は、不思議と気分が落ち着いた。
なにより、一度故障してダメになったかもしれないと肩を落としてやって来たお客さんが、蘇った機械を前に喜ぶ姿を見るのは好きだった。
遣り甲斐もじゅうぶん。
「始動性よし、運転も好調、ばっちり。元気いっぱいだわねえ、おーよしよし」
ココロは担当した発電機の修理を終えると、最後に一度だけ試運転をして修理完了のラベルを貼り付け、修理が完了した機械を置くスペースに運んだ。
重量二十キロを越える発電機を降ろし、ふっと息を吐く。
「ワンズさん家の発電機あがったよー」
そう声を張ると、工場内に居る男達全員が「あいよー」と声を揃えた。
ココロは手を叩くと、傍にいたオタクっぽい線の細い眼鏡の若い整備士の肩を叩いた。
「ちょい、メカオ(あだ名)くん」
「あ、ココロちゃん。ぼ、ボクに何か用?」メカオは鼻の下を擦り、黒いオイルで髭を作った。
「あたしの次の仕事は?」
訊くと、メカオは傍にあったデスクのバインダーを取って、リストに急いで目を通した。
「えっと、ココロちゃんはもう上がって大丈夫、今日の分は終わりだから」
「そ、じゃあ上がるよ。メカオは?」
「ボクは不器用だから、まだ仕事が残ってるんだ」
「そうなんだ……何もじもじしてるの? トイレなら行ってきなよ」
「いやあの、よかったら今度ボクと――」
メカオが言い終わる前に、「おいメカオ!
「は、はい今すぐ! ごめんココロちゃん」
「うん、話はまた今度聞くよ。頑張ってね」
ココロはメカオの鼻の下についたオイルを親指で拭ってやると、ぽんと肩を叩いた。
メカオは露骨に鼻の下を伸ばすと、「メカオ!」と呼ばれてダッシュで走り出した。
「……メカオ、あたしになんか嘘ついてたのかな」
まあいっか、とココロは自分の作業スペースへ戻り、使った工具を拭いて片付けた。
同僚達が仕事をする脇を抜けてロッカールームへ行き、ウサギをモチーフにした長い耳と短い手足が付いたリュックを背負った。ロッカールームを出て、ピットでトラックの下に潜り込んでいたマリオの両足を引っ張り、「お爺ちゃん、先あがるね」と声をかけた。
「おうお疲れ、夕飯は!?」車の下でマリオが叫んだ。
「トウモロコシ!」ココロも叫び返した。
「っつぁ、またか! また歯の隙間に挟まったモロコシと格闘せにゃいかんとは」
「沢山もらったから消費しないとでしょ」
ココロは舌を打ったマリオの足を
「三ヶ月以内に使いなよ? 貯めこんでも紙切れになるだけだからね」
顔を寄せてきたグレイスにココロも顔を近づけた。
「大丈夫、今日中に使う予定だから」
「おや珍しい、服でも買うのかい?」
「カメラの修理代」
「っは、何に使ったって構いやしないけどさ、もう少し色気出してもいい年頃じゃないかい? 私なんて若い頃はそりゃもう」
「モテモテだったんだよね、二百回くらい聞いた」
薄緑色のチケットには、各業種のモチーフとなるマークが印字されている。『56ファクトリー』整備工場は、工場を背景に交差するレンチとスパナがマークになっている。ココロはそれを受け取り、平財布の中にしまった。
「それじゃお先でーす」
「馬に気をつけなね」
「ほーい」
ココロは返事をしながら、後ろ手に扉を閉じた。
人が往来する通りに出ると、周りの音や往来する人の声がフィルターを通したようにぼんやりと聞こえる。
「あー、あー」ココロは耳に小指を突っ込んだ。
仕事を終えてすぐはいつもこうだ。
耳の奥でぼーんと重たい音が響いているような、耳栓でもしているような感覚が続き、全ての音が遠く感じる。お陰で、耳の遠くなった老人のように、大きな声で話すクセまでついてしまった。
鼻を摘んで、口を閉じてふっと耳抜きをしたり、喉を鳴らしてみたりして具合を確かめる。
「テステス――よし」
耳の調子が戻った。ココロは首を回して骨を鳴らすと、肩の力をふっと抜いた。
往来するトラックの運転手や馬車の御者に手を振って速度を緩めてもらい、その隙間を縫って向かいの歩道に
自転車に乗る要領でペダルを漕ぎ出した後、スロットルを開ける。
加速したモペッドを駆ったココロは、すれ違う人と挨拶を交わしながら、石畳の古風な町並みの居住区を駆け抜け、工場から十分ちょっとの距離にある『56写真館』の店先にモペッドを
店頭のガラスケースを覗き込み、骨董品クラスの古いものから新型のカメラにうっとりと表情を緩ませた。
「みんなキラキラして可愛いなあ」
ココロは半開きの口から涎を垂らした。
幼い頃にマリオからカメラをプレゼントされて以来、カメラに夢中だ。
あの日から今日この日まで、本棚が埋まるほど写真を撮った。
それでも足りない、満たされない、撮れば撮るほど、もっともっとと心が求める。
「うっわイヤだあたしったら、
ココロははっとして、垂れた涎を啜り店の扉を開けた。
来客を知らせるベルが、ちりんと小気味のいい音を響かせた。
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