12
六歳の誕生日、ココロはマリオの留守を見計らって、ガレージに置いてあった大きなスコップを手に掴み、両親の墓の前に立った。
「何か欲しいものはないか?」
マリオにそう訊かれた時、ココロは「ない」とこたえた。
お人形も、玩具もいらない。この先もずっと、誕生日プレゼントはいらない。
だからその代わりに、お父さんとお母さんに帰ってきて欲しかった。
会いたい。
その想いに
掌は真っ赤になって、マメが潰れて痛かったが、そんなこと気にもならなかった。
怪我なんてツバをつけとけば治るんだ、とココロはわかっていた。
土を花の根ごとひっくり返し、無我夢中で掘ってるうちに、自分でも脱出できない程深い
握力がなくなってスコップが手から滑り落ち、息を切らして我に返った時、ココロは穴の中に何も無いことを知った。
視界の隅でうねうね動くミミズが、ひょっこり頭を出したモグラに咥えられ、穴の中に引きずり込まれた。
「やっぱり、ここにお父さんとお母さんはいない」
ココロは長いこと曇っていた気持ちが晴れた気がして、清々しい気分で穴の底に寝そべった。
太陽を隠していた雲が晴れると、太陽の光が穴へ差し込んだ。
ココロは息を整えながら、真っ青な空を見つめた。
桜の木に咲いた花がそよ風に吹かれて静かに揺れ、家の屋根にとまっていた鳥が翼を大きく広げ、青空高く、羽を散らして飛んでいった。
瞼を閉じて、両親のことを思い出そうとしてみたが、二人の姿がうまく思い出せなかった。
どんな声だっけ。
どんな匂いだっけ。
どんな顔で笑って、怒るんだっけ。
記憶の中に両親を探し続けているうちに、空はオレンジ色に染まっていた。
記憶は磨耗していく。
玄関や家の壁に飾られた写真、本棚のアルバムを開けば、赤ん坊だった頃の自分と両親、少しだけ若い頃のお爺ちゃんに会うこともできるが、目を閉じて両親のことを思い出そうとしても、記憶に白い
いつかは思い出せたはずの声やぬくもりも、既に形を失っていた。
二人が「行ってくるよ」と手を振り返してくれたはずなのに、その時どんな顔をしていて、どんな声だったのかを思い出せない。
空想の中で二人に向けて伸ばされた自分の小さな手は、ただ空を切った。
墓を暴けば会えると思った。思い出せると思った。
どんな声で、どんな匂いで、どんな温かさだったのか。
お墓に眠る二人に触れれば、胸にぽっかりとあいた穴が埋まる気がした。
けれど、墓を暴いてわかったことは、自分の胸どころか庭に穴が空いたことと、二人が今も、壁の外の世界にいるということだ。
そして確かなことはもう一つ。
もう、二人の為に花を供える必要はないということだ。
その日、プレゼントの箱を手に仕事から戻ったマリオは、
「おかえりお爺ちゃん」
ココロのやりきったようなすっきりした表情に、マリオは笑った。
「ただいまココロ、またでかい穴を掘ったな」
「お腹減って抜け出す元気も、もうないよ」
「力尽きたか」
「うん」
ココロが体を起こすと、マリオはプレゼントを持って穴へ降り、胡坐をかいた。
穴の深さは見事なもので、座れば頭の天辺まで隠れてしまった。
「これ、後でちゃんと埋めるんだぞ?」
「お爺ちゃんが埋めてよ」
「自分で掘った穴だろ?」
「私のせいじゃないよ」
そう言ってそっぽを向いたココロの手を、マリオはそっと手に取った。
家の庭に落とし穴を掘った柔らかくて小さな手は、大仕事を終えてボロボロだった。
「手、後で消毒しないとな」
「ツバつけとけば治るよ」
「ダメだ、ちゃんと消毒」
マリオが有無を言わさない口調で言うと、ココロは嘆息した。
「……その箱なに? プレゼント?」
「いらないんじゃなかったのか?」
「あるなら欲しい」
期待に目を輝かせたココロに、マリオは箱を手渡した。
ココロはずっしりと重たい箱を振ると、「開けていい?」と訊いた。
マリオは頷くと、懐から出した煙草に火を点け、紫煙をゆったりとくゆらせた。
茶色い包装紙を破くと、蓋のついた木箱が現れた。その蓋を外して中を覗き込んだココロは眉を顰め、プレゼントを取り出した。
レンズが付いた大きな箱、新品ではなく、なかなかの使用感があった。
「お爺ちゃんこれ、なに?」
「カメラだよ。お前のお父さんが使っていたものと、同じ型だ」
「お父さんのカメラ?」
「ジョンのじゃない。同じのを探してもらってたんだ。中古だがちゃんと動くぞ」
「お父さんと同じカメラ」ココロは秘宝を見つけた探険家のように目を輝かせた。
「気に入ったか?」
「うん、気に入った」
ココロは心底嬉しくて、じっくりとカメラを見回した。
家にあるアルバムの写真は全て、このタイプのカメラで撮られたものだ。
「あんまり乱暴に扱うなよ? 一応精密機械だからな」
「わかってるよ」
マリオが指差しながら、各部位の簡単な説明と、使い方を教えた。
そのカメラはジョンが旅に出る時に持ち出したものと同タイプで、撮った写真がその場で現像される。しっかりとメンテナンスすれば、ずっと使えるそうだ。
「ためしに撮ってみたらどうだ? フィルムももらってきてある。箱の底に入ってるだろ?」
ココロは箱に手を突っ込んで、麻紐が結ばれた包装紙を手に掴んだ。紐を解いて包装紙を広げると、白く縁取られた黒いフィルムが二十枚入っていた。
たったの二十枚か、とココロは複雑な気持ちになった。
「どうした、さっき教えたとおりやってみろ」
「もったいないからとっとく」
「大丈夫だよ。フィルムはもらえる。もらい方も、場所もちゃんと教える」
「嘘つかない?」
「嘘つかない」
それを聞いて安心したココロは、とびきり嬉しそうな表情でカメラにフィルムをセットし、ファインダーを覗き込んだ。マリオがキメ顔をしたので、シャッターを切った。排出されたフィルムは、暫くすると画が浮かび上がってくる。それを待つ時間もまた楽しかった。ココロは次々とフィルムをセットして、目についたものを片端からカメラに収めた。ピンボケしていたり、見切れていたりと、まだまだ練習が必要だが、最高のプレゼントだ。
「小さいカメラマンの誕生だな」
「お爺ちゃん、一緒に写ろう。最後の一枚」
ココロはマリオの膝に飛び乗り、レンズを自分達の方へ向けて「笑って」と言った。
カメラを見下ろす形で、マリオがにっと笑うと、ココロはシャッターを切った。至近距離でフラッシュが光り、ココロとマリオは思わず目をぎゅっと閉じて変な顔になった。
二人は穴の中で、同じ目線で、同じ景色を見た。
夕日が沈む頃、マリオはココロの撮った写真に微笑み、真っ赤な空を見上げて言った。
「わしはなココロ、実を言うと二人は生きていると、信じとる」
ココロが頭をマリオの胸に預けると、固い掌が、優しく頭を撫でてくれた。
「大きくなったら、ココロがお父さんとお母さんを探しに行くよ」
その時、マリオの心臓が強く鼓動した。
その時の胸の鼓動を、ココロは大きくなった後も忘れることはなかった。
やがてそれが落ち着くと、マリオは覚悟を決めるように、
「ココロが大人になって、もっと色んなことがわかるようになったら、秘密の話をしよう」
「いま話してよ。あたしもうオトナだよ?」
六歳の言葉にマリオは笑った。
「まだ、もうちょっと足りないな」
「どれくらい? どれくらい大人になったらいいの?」
「それは爺ちゃんが決める」
「ずるいんだ、オトナって」
「代わりといっちゃなんだが、明日、いいところに連れて行ってやる」
「いいところ? ここ以外にあるの?」
「友達がたくさんできるところだ。きっと毎日が楽しくて、忙しくなる」
「……お爺ちゃんの働いてる工場?」
「それは明日までの秘密だな」
ケチめ、とココロはマリオの頬をぺちぺちと叩いた。
マリオは困った顔で、くすぐったそうに笑った。
「ココロよ」
「ん? 降参?」
「誕生日おめでとう」
「素敵なプレゼントをいつもありがとう、お爺ちゃん」
こうしてココロの六歳の誕生日は、ジョンとステラの、ウソのお墓のなかで祝われた。
その翌日から、ココロは新しく忙しい日々に追い立てられ、アルバムの写真も増えていった。
ふと気づけば本当に、いつの間にこんなに時間が経っていたんだろうと自分でも驚いてしまうほど背丈も伸びて、それと同じだけ目線は高くなり、桜の木のブランコにも座らなくなっていた。
「――よし」
あれから十年の時が経ち、十五歳になったココロも、もうじき十六歳になる。
ココロは庭で編んだ二つの花冠を両親の墓石に供えると、「行ってきます」と声を投げ、モペッド(自転車にエンジンを乗せた乗り物)に跨ってエンジンを始動した。
バルンッ、と元気よくエンジンが唸り、ココロは風を切って走り出す。
そんな大きく成長したココロを送り出すように、カモミールの花達が静かに揺れた。
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