10

 ジョンとステラが旅立ってから二回目の冬が終わり、春が訪れた頃、報せが届いた。

 ココロが花園で花冠を作っていると、ボロボロの小さな車がやってきて、家の前に停まった。


 運転席と助手席から、スーツ姿の女性が降りた。


 一人は片眼鏡モノクルをかけた老齢の女性で、腰で結んだ長く白い髪は太陽の光りを浴びて金色に染まった。もう一人は大きな眼鏡をかけた長い黒髪のお姉さんだった。同じスーツ姿でも、雰囲気がまるで違う。老齢の女性は堂々とした風格すら感じられるが、若い女性のそれはまだぎこちない。


 マリオが玄関先で二人を出迎え、老齢の女性を家に招き入れた。

 珍しいお客さんに、ココロはじっと目を奪われた。

 若い女性はマリオに軽く会釈だけすると踵を返し、ココロの元へゆっくり歩いた。

 風にそよぐ髪に手を添え、そっと腰を屈めると、「可愛いうさぎさんね、冠は、自分で作ったの?」と優しく語り掛けた。

 透き通るような青い瞳と、耳に心地いい声音に、ココロは少し緊張した。


「この子はアリソン。お花の冠は、お爺ちゃんが教えてくれた」


 女性は「そう、お姉さんも一緒に作っていいかな?」と訊いた。

 ココロが頷くと、女性は口元で微笑み、「私はクリア、よろしくね」と自己紹介して、その場に腰をおろした。細く長い綺麗な指先が選んだ花を摘みとり、冠を編み始めた。

 ココロは最初こそクリアを気にしたが、空気のように静かな人で、そのうち気にならなくなった。

 クリアは何も語らず、舌をぺろっと出しながら、真剣な表情で花冠を編んだ。

 一つ編み上げると、それを膝の上に置き、ほっと息を吐いて辺りの花畑に目をやった。


「とても素敵な場所ね。カモミールの花畑に囲まれてるなんて、まるで御伽話に出てくるお家みたい。私もこんな所に住んでみたかったな」

「……カモミール?」


 クリアは編み上げた冠をココロの頭に乗せると、「とっても似合ってる、お姫様みたい」と微笑んだ。「この白い花の名前よ、色んな花言葉があるの」

「……はなことば?」ココロはきょとんとした。

「お花には、それぞれに言葉があってね、例えば赤い薔薇だと情熱とか愛とか、白い薔薇ならおしとやか、とか」

「色で意味が違うの?」

「そう。面白いでしょ」

「これ、カモミールは?」

「『逆境で生まれる力』とか、『あなたを癒す』なんて意味がある」


 家の周りに咲いた花に意味があることを知って、ココロは感激した。


「お姉さん、お花屋さんなの?」

「お姉さんはね、みんなのお手伝いさん、見習い、かな。今日は先生の付き添いの運転手。まだ車の運転覚えたばっかりで、上手じゃないけどね」


 ココロは首を傾げたが、優しく笑ったクリアというお姉さんに好意を抱いた。


「お姉さんにあげる」


 ココロは編んだ花冠をクリアの頭に乗せた。


「似合う?」

「とっても似合う、お姫様みたい」

「ありがとう。お姉さん、これ大切にするね」


 微笑んだクリアに、ココロも笑顔でこたえた。

 そうしていると玄関の方で声がした。扉が開いて、クリアが言うところの『先生』が出てきた。

 見送りに出たマリオはどこか元気がなく、その様子を見ていたクリアも、表情が微かに曇った。


「ココロちゃん、お姉さん、そろそろ行くね。遊んでくれてありがとう」

「うん、また来てね」

「うん、またね」


 クリアは立ち上がるとお尻についた土を払い、花冠を頭に乗せたまま車へ戻り、車のエンジンをかけた。老齢の女性は助手席のドアを開くと、一度肩越しにココロを見た。その瞳がどこか悲しげで、ココロは不安になった。小さく会釈した女性に、ココロも会釈を返した。

 車は来た道を戻り、途中で何度もエンストしながら、ぎこちなく走っていった。

 ココロは上手にできた花冠とアリソンを抱えて家に戻った。

 玄関に入ると、ココロはいつもと違う家の雰囲気を感じ取った。

 家の中はいつもと同じはずなのに、より薄暗く、空気も妙に重みがあるように感じた。


 見れば、リビングの椅子に腰掛けたマリオが、涙を流さずに泣いているような、怒っているような表情で、家族のアルバムを捲っていた。


「お爺ちゃん」


 声をかけると、マリオがおもむろに顔を上げ、弱弱しく笑った。


「そろそろ飯にするか、腹減っただろ」


 ココロはいらないと首を振り、アリソンを抱えたままマリオの膝の上によじ登った。

 マリオが見ていたアルバムには、まだココロが産まれる前のものや、母が妊娠してお腹が大きくなっていた時の写真もあった。ジョンとステラが旅立つ前に家族で撮った写真を、マリオは長い間見つめ、指先で優しく触れた。


 自分の体より大きなぬいぐるみを抱きしめたココロを抱っこし、歯を見せて笑う父。

 そんな父に寄り添い、左手をお腹に添えて、優しい笑顔を湛えた母。

 カメラに目が向いてないココロに、カメラを見るように指さす祖父。


 ココロはこの時の記憶が曖昧だったが、こうして見ていると、忘れかけていた二人の声や抱かれた温もり、その場の空気の匂いまで蘇ってくるような気がした。


「さっきのおばちゃん誰? お爺ちゃんのお友達?」

「ああ、あの人は、偉い人だ」

「えらい人と、お話してたの?」

「ああ……それよりいい香りの冠だ、上手になった。すっかり抜かされちゃったな」

「お姉さんが作ってくれたの。お爺ちゃんのもあるよ」

「ありがとう」


 マリオは受け取った花冠を頭に乗せると、ココロと一緒にアルバムを捲り、一枚一枚の写真の思い出話を語った。

 ジョンとステラが付き合っていた頃のこと、結婚した頃のこと、ココロが生まれたばかりの頃のこと、家族で町へでかけた時のこと、大切なことを語り聞かせているようなマリオの優しい声音に、ココロはじっと耳を傾けた。

 優しかった母、楽観的で夢見がちな父、やがてマリオは声を詰まらせた。


「お爺ちゃん、元気ない?」


 ココロが訊くと、マリオは目に溜めた涙を指で拭い、ふっと笑った。


「ココロ、爺ちゃん腹減ったみたいだ」

「じゃあご飯にしようよ、いっぱい食べたら、元気が出るよ」

「よし、今日は町に出て、ココロの好きなハンバーグを腹いっぱい食べよう」


 そう言ってマリオはアルバムを閉じ、上着を掴んだ。

 その夜、ココロは町で一番大きなハンバーグを食べた。

 とても美味しかったが、満腹になって眠くなり、帰り道のことはあまり覚えていなかった。

 ただ、おんぶしてくれたお爺ちゃんの背中があたたかかったことや、その肩が小さく震えていたこと、布団に入って一緒に眠ったことだけは、夢を見ても忘れることはなかった。

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