9
「もーいーかい」ココロが呼ぶ。
「まーだだよ」マリオが答える。
「もーいーかい」もう一度、ココロが呼ぶ。
「まーだだよ」もう一度、マリオが答える。
カモミールの花畑で、マリオはグレイスに教わった花冠の作り方をココロに伝授した。
女の子らしい遊びなんてあまりわからないマリオでも、手先を使う遊びや工作なら、ココロに沢山のことを教えてあげられた。最初は苦戦するが、ココロも指先が器用なのですぐに要領を掴んだ。小さなその手は、いつの間にかマリオよりも早く冠を編めるようになっていた。
マリオが花の茎を口に挟んでせっせと冠を編んでいる向かい側で、ココロが出来上がった冠を膝に置いてポツリと言った。
「もーいーよ」
待ちくたびれちゃった。
そんな風に聞こえて、マリオは目線だけ上げると、小さく笑った。
「ココロがもういいって言っちゃだめだろ」
「だって、できちゃったんだもん」
「うん。上手にできたな」
マリオは褒めると、旅に出た両親が事実上の『行方不明』になったことを、隠さずに伝えた。
それを聞いても、ココロに動揺した様子は見られなかった。マリオは続けた。
「でもな、大丈夫だ。迷子になったから、探してもらってる。必ず見つかるから、それまで爺ちゃんと一緒に待とう」
「もう飽きちゃった」
その言葉に、マリオは声を詰まらせた。
「飽きちゃったって――」
お父さんとお母さんに会いたくないのか、とマリオは悲しんだ。
しかし違った。
「だから、一緒にさがしに行こう? 迎えに行こうよ」
ココロの言葉に心底ほっとして頷きかけたが、マリオは首を振った。
「いやいや、そりゃダメだ」
「どうして?」
「危ないからだ」
「あぶないところにお父さんとお母さんはいるの? だったら、なおさら迎えに行かないとダメだよ。お父さんとお母さん、お爺ちゃんと私が迎えに来るの、待ってるかもしれない」
「そうだな……本当にそうだ。でもそれは、もう少し大きくなったら、わかる」
力なく言ったマリオに、ココロはむっとして、「なにそれ」と、アリソンを投げつけた。
顔に当たって落ちたアリソンをココロは拾い、先に家に帰ってしまった。
そりゃ怒るわな、とマリオは溜息を吐き、肩を落とした。
「約束を破ったんだ、無理もない」
それでも、待つ以外の選択肢はなかった。
もしも二人が本当に帰らぬ人となったなら、ココロを立派に育てるのは自分の役目だ。
覚悟を決めておく必要がある。
しかしその覚悟を決める為には、まず自分が現実を受け止める必要があった。
けれどそれは、自分で思っている以上に時間がかかった。
それからと言うもの、マリオは仕事に身が入らなくなった。普段するはずのないミスをしたり、道具の扱いを間違えて怪我をしたり、修理した機械の受け渡し日を忘れたりすることもあった。
同僚に昼間の酒を誘われ、引っ張られるままついていき、出された酒をちびちびと飲んだ。
「ひどい顔だ。ここ最近で、ぐっと老けた」ショットグラスをカウンターに置いた同僚が言った。
「わしは爺だからな。それも役立たず」マリオはビールで泡髭を作り、鼻を鳴らした。
「そう卑屈になるなよ、らしくない」
「お前にわしの複雑な心境が理解できてたまるか」
「ココロちゃんには難しい事情だとは思うが、いつかわかってくれる」
ナッツを口に放り込んだ同僚の言葉に、マリオは素直に頷けなかった。
いつもなら一息に飲み干す酒も、いつもより苦く感じて進まない。
「あの子には親が必要だ。あの子が褒めてほしいのは、叱って欲しいのは、喧嘩をしたいのは、構ってほしいのは、わしじゃない」
「そうは言っても、いないものは、いない」
同僚は噛み締めるように言った。
「あの歳で両親がいないってのは、あまりにもかわいそうだと思わないか」
「そりゃ思うよ。甘えたい盛りだろうしな」
「わしでは埋められない」
「お前ほど溺愛しても、埋められないものがあるのか」同僚が不思議そうに言った。
「ある」マリオは断言した。
「例えば?」同僚はショットグラスに酒を注ぎ、マリオに体を向けた。
「母性をわしに感じるか? ちょっと走れば息が切れるし、近頃は足腰も痛くなってきて、頼りがいのある父親にも程遠い老いぼれだ。こういう時、せめて妻が生きていてくれりゃ心強かったんだが」
「いないものは、いないか」
「ああ、この歳になっても、悩みは尽きない。ガキの頃に出会った爺さん共は、みんな何でも知ってるように見えたもんだが、なってみると案外そうでもない」
同僚はなるほどと頷いて、「それでも、お前の愛情はちゃんと伝わってる」と励ました。
「墓に入ったって愛は不滅だ」
「それは大人の理屈だ」マリオは席を立ち、上着を取った。
「行くのか?」
「ああ、あの子が一人で待ってるからな。ありがとう、ごちそうさん」
「奢ると言った覚えはないぞ」同僚は笑んだ。
「そのビールやるよ」
マリオが笑って言うと、同僚も小さく笑った。
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