「もーいーかい」ココロが呼ぶ。

「まーだだよ」マリオが答える。

「もーいーかい」もう一度、ココロが呼ぶ。

「まーだだよ」もう一度、マリオが答える。


 カモミールの花畑で、マリオはグレイスに教わった花冠の作り方をココロに伝授した。

 女の子らしい遊びなんてあまりわからないマリオでも、手先を使う遊びや工作なら、ココロに沢山のことを教えてあげられた。最初は苦戦するが、ココロも指先が器用なのですぐに要領を掴んだ。小さなその手は、いつの間にかマリオよりも早く冠を編めるようになっていた。

 マリオが花の茎を口に挟んでせっせと冠を編んでいる向かい側で、ココロが出来上がった冠を膝に置いてポツリと言った。


「もーいーよ」


 待ちくたびれちゃった。

 そんな風に聞こえて、マリオは目線だけ上げると、小さく笑った。


「ココロがもういいって言っちゃだめだろ」

「だって、できちゃったんだもん」

「うん。上手にできたな」


 マリオは褒めると、旅に出た両親が事実上の『行方不明』になったことを、隠さずに伝えた。

 それを聞いても、ココロに動揺した様子は見られなかった。マリオは続けた。


「でもな、大丈夫だ。迷子になったから、探してもらってる。必ず見つかるから、それまで爺ちゃんと一緒に待とう」

「もう飽きちゃった」


 その言葉に、マリオは声を詰まらせた。


「飽きちゃったって――」


 お父さんとお母さんに会いたくないのか、とマリオは悲しんだ。

 しかし違った。


「だから、一緒にさがしに行こう? 迎えに行こうよ」


 ココロの言葉に心底ほっとして頷きかけたが、マリオは首を振った。


「いやいや、そりゃダメだ」

「どうして?」

「危ないからだ」

「あぶないところにお父さんとお母さんはいるの? だったら、なおさら迎えに行かないとダメだよ。お父さんとお母さん、お爺ちゃんと私が迎えに来るの、待ってるかもしれない」

「そうだな……本当にそうだ。でもそれは、もう少し大きくなったら、わかる」


 力なく言ったマリオに、ココロはむっとして、「なにそれ」と、アリソンを投げつけた。

 顔に当たって落ちたアリソンをココロは拾い、先に家に帰ってしまった。

 そりゃ怒るわな、とマリオは溜息を吐き、肩を落とした。


「約束を破ったんだ、無理もない」


 それでも、待つ以外の選択肢はなかった。

 もしも二人が本当に帰らぬ人となったなら、ココロを立派に育てるのは自分の役目だ。


 覚悟を決めておく必要がある。


 しかしその覚悟を決める為には、まず自分が現実を受け止める必要があった。

 けれどそれは、自分で思っている以上に時間がかかった。

 それからと言うもの、マリオは仕事に身が入らなくなった。普段するはずのないミスをしたり、道具の扱いを間違えて怪我をしたり、修理した機械の受け渡し日を忘れたりすることもあった。

 同僚に昼間の酒を誘われ、引っ張られるままついていき、出された酒をちびちびと飲んだ。


「ひどい顔だ。ここ最近で、ぐっと老けた」ショットグラスをカウンターに置いた同僚が言った。

「わしは爺だからな。それも役立たず」マリオはビールで泡髭を作り、鼻を鳴らした。

「そう卑屈になるなよ、らしくない」

「お前にわしの複雑な心境が理解できてたまるか」

「ココロちゃんには難しい事情だとは思うが、いつかわかってくれる」


 ナッツを口に放り込んだ同僚の言葉に、マリオは素直に頷けなかった。

 いつもなら一息に飲み干す酒も、いつもより苦く感じて進まない。


「あの子には親が必要だ。あの子が褒めてほしいのは、叱って欲しいのは、喧嘩をしたいのは、構ってほしいのは、わしじゃない」

「そうは言っても、いないものは、いない」


 同僚は噛み締めるように言った。


「あの歳で両親がいないってのは、あまりにもかわいそうだと思わないか」

「そりゃ思うよ。甘えたい盛りだろうしな」

「わしでは埋められない」

「お前ほど溺愛しても、埋められないものがあるのか」同僚が不思議そうに言った。

「ある」マリオは断言した。

「例えば?」同僚はショットグラスに酒を注ぎ、マリオに体を向けた。

「母性をわしに感じるか? ちょっと走れば息が切れるし、近頃は足腰も痛くなってきて、頼りがいのある父親にも程遠い老いぼれだ。こういう時、せめて妻が生きていてくれりゃ心強かったんだが」

「いないものは、いないか」

「ああ、この歳になっても、悩みは尽きない。ガキの頃に出会った爺さん共は、みんな何でも知ってるように見えたもんだが、なってみると案外そうでもない」


 同僚はなるほどと頷いて、「それでも、お前の愛情はちゃんと伝わってる」と励ました。


「墓に入ったって愛は不滅だ」

「それは大人の理屈だ」マリオは席を立ち、上着を取った。

「行くのか?」

「ああ、あの子が一人で待ってるからな。ありがとう、ごちそうさん」

「奢ると言った覚えはないぞ」同僚は笑んだ。

「そのビールやるよ」


 マリオが笑って言うと、同僚も小さく笑った。

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