本人の気が済むまで、そのつもりでココロに付き添い、辺りを歩き回った。

 所詮は三歳、その行動範囲にも、体力にも限界がある。

 子供にとっての空はどこまでも高く、眼前に広がる平原は果てしなく続いているように見えるが、大人になればそれも大して珍しいものではなくなるし、先へ進んでも退屈な景色が延々と続くことを知る。とにかく、その小さな足では、本人が思っているほど遠くへは行けない。


 案の定、ココロは三時間もすると疲れて動かなくなった。

 ただ、引き返そうとする素振りも見せなかった。

 まだココロのなかで、帰る理由が見つかっていないのだ。


「ココロちゃん、そろそろ戻ろう。もうじゅうぶんだろ」

「まだ探す」


 言いながら、ココロは地面の草をぶちぶちとむしった。

 ガンツは帽子を脱いで、少し薄くなってきた頭を後ろに撫でると、煙草を咥え、火を点けようとした手を止めた。


「ココロちゃん、おやつ食べるか?」

「食べる!」

「クッキーもジュースもあるぞ」

「すてき!」

「じゃ、一度戻ろう」

「押して!」

「いいぞ、すっごい早いからしっかり掴まってな」


 ガンツは咥えたタバコを耳に挟むと、ココロが漕ぐ三輪車を中腰で後ろから押した。

 餌で釣り、守衛室まで引き返すことは成功した。しかし、おやつ作戦が通用したのはそこまでだった。ココロはジュースで喉を潤し、おやつでお腹をいっぱいにすると、守衛室の傍で土いじりを始めた。


「ココロちゃん、もうそろそろ帰った方がいいんじゃないか?」

「イヤだ。まだお父さんとお母さん見つけてないもん」

「……見つけてないね」

「ちょっと休憩したら、また探しに行く」


 そう言って、ココロは雑草の剥げた地面を両手で掘り始めた。

 ガンツは壁に寄りかかり、煙草を咥えて火を点けた。

 黙々と土を掘るココロの姿には、両親を見つけるまでは帰らないという強い意思を感じて、説得するのに難儀しそうだった。

 ガンツが渋い顔で紫煙をくゆらせていると、リッキーが纏めたゴミ袋を守衛室の外のカゴに放り込み、守衛室へ戻った。受付の窓を開けて、カウンターに身を乗り出した。


「知ってます? ココロちゃん、友達いないって」

「そりゃないだろ。マリオさん、工場のアイドルだって自慢してたぞ。友達くらいいるだろ」

「それがココロちゃん、町で年上の男の子泣かしちゃったらしくて」

「三歳の女の子にか?」

「親も手を焼くやんちゃ坊主だったらしいんですけどね」

「その坊主、メンタルやられてないか心配だな。それで?」

「マリオさん、そのことでグレイスおばさんにめっちゃ怒られて、男の子のとこに頭下げに行ったらしいっす」

「だから家で留守番させられてるのか」

「だと思いますよ。俺も詳しく聞いたわけじゃないんで、実際のいきさつはわかんないですけど、でもあの子、家があそこじゃないですか。工場で可愛がられてたって言ったって、工場長のお孫さんなら誰だって可愛がってくれますよ。だから、同年代の友達がいるってわけじゃないんです」


 ガンツはふうん、と煙草を灰皿に押し付けて火を消した。


「寂しいんだな」

「ま、ご両親帰ってくるまで家で一人っすからね。そりゃ寂しいでしょ」


 それを聞いてガンツは唸った。

 今まではお爺さんが連れ歩いてくれていたから寂しさも紛れていたが、家で留守番させられていては、親が恋しくなるのも仕方が無い。だから探すなんて言い出したのだ。簡単に会えない事はわかっているはずでも、それでも会いたいから、じっとしていられない。

 その衝動を、何かにぶつけていないと気が済まないのだ。


 ガンツは腰を壁から離すと、土いじりをしているココロの傍に腰を屈めた。

 見れば、ココロは掌でミミズを転がしていた。


「なあココロちゃん、お父さんとお母さんを探すの、俺達も協力するよ」

「一緒に探してくれるの?」

「外は危ないからね。でも、今日は一度帰って、お爺ちゃんの帰りを家で待ってあげなさい。俺達もずっとここを開けておくわけにはいかないんだよ」

「ホントに手伝ってくれる?」

「ああ、でも明日からだ」

「守衛は忙しいのでは?」リッキーがにやにやと笑んだ。

「なに、これも仕事だと思えばいいだろ」

「忙しくなりそうっすね」


 リッキーもまんざらではなかった。

 特別な用事でもない限り、朝は九時から、夕方の十八時には持ち場を離れる。一人で留守番をするココロの相手をするにはじゅうぶんだし、何度か付き合えば、そのうち飽きて家に戻るとも考えた。


「お爺ちゃんには秘密にしてくれる?」

「……約束するよ」

「わかった。じゃあ、また明日ね。今日はありがとう」


 ココロはちゃんとお礼を言うと、三輪車をうんうん言いながら一生懸命漕いで家へ帰っていった。そんな健気な幼児の後姿に、大人二人はなんとも言えない気持ちになった。


「ありゃそうとう足腰強い子になりそうだな」

「何日もちますかね」

「ステラさんとジョンが帰ってくるまで続くかもな」ガンツは煙草を咥えた。

「お菓子とジュース、多めに用意しておきますよ」

「絆創膏も頼むぞ」

「怪我させないようにしてくださいよ」

「バカ、俺のだよ」


 ガンツが言うと、リッキーは失笑した。

 それからというもの、ココロは毎日やってきた。

 子供には決して短くない道を三輪車でやってきては、おおまかに三時間前後、壁の外を歩き回った。見守っていた二人は、ココロが早く両親と再会できればいいなと、胸のうちで願った。


「今日はどこを探すんだい?」

「昨日はあっちの森を探したから、今度はこっちよ」

「わかった、こっちの森だな。エスコートしよう」


 すっかりココロの護衛が板についたガンツは小銃を構え、お姫様を守る騎士のように振舞った。

 見つかるあてもない親探しは、土日を除いて殆ど毎日続き、捜索の合間にはごっこ遊びにも付き合うようになって、変な友情が芽生えることもあった。そのうち、ココロよりもガンツ達のほうが両親の行方を真剣に心配するようになった。


「ガンツさん、あの、ココロちゃんのご両親っていつ帰ってくるんでしたっけ」

「予定じゃ長くて二月ふたつきって話しだが、ちょっと遅すぎるな」


 ガンツは煙草の灰を落とし、カレンダーに一瞥をくれると、ジョンとステラが旅立っていった先に目をやった。どこまでも青い空と平原が続く、穏やかな景色が広がっている。その景色の向こうから手を振って帰ってくる二人の姿を、無意識に想像し、探してしまう。

 ココロはきっと、毎日そんな光景を夢見ているに違いなかった。


「気づいてます? 最近ココロちゃん、お父さんとお母さん探す時間も減ってるし、口にもしなくなってるんすよ。俺、近頃ココロちゃんのこと見てるの辛くて」

「俺もだよ」

「そろそろ、マリオさんにこのこと知らせた方がよくないですか」

「……そうだな」


 ココロとの約束を破ることにはなるが、その後二人は折を見てマリオの職場へ連絡し、ココロが外へ出ていることを伝えた。これまでの経緯いきさつや、自分達の考えも伝え、黙っていたことの謝罪と共に、どうか叱らないであげてほしいと言葉を繋げた。

 当日、迎えに来たマリオはガンツ達に今までの礼を言うと、ココロを家に連れ帰った。

 ガンツ達はそんな二人の背中姿を見送ると、壁の外に広がる果てしない景色を、いつまでも見つめた。

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