6
ココロの暮らす家は居住区から離れた小高い丘の上に建っている。
周りをカモミールの花畑に囲まれ、切り立つ丘にはほぼ一年中花をつける桜の木が一本生えていた。温暖な気候に恵まれた土地ゆえに年間を通してあたたかく、冬になっても零℃を下回ることは滅多にない。
ココロはマリオが仕事に出て暫くは家の中で大人しく遊んでいる。
アリソンとおままごとをしたり、本棚によじ登ったり、マリオの部屋にある工具や機械を玩具にしてガラクタでお城を作ったり、父のジョンが撮りためたアルバムを眺めたりするが、それに飽きると用意された昼食のパンと、冷蔵庫のチョコレート、水筒を小さな鞄に押し込み、アリソンを背負って、コロニーの
目指すのは、壁の向こうだ。
広大な畑の畦道を三輪車で進んだ先には、十メートルほどの高さの灰色にくすんだ白い壁があり、大きな門が口を開いて待っている。門の上部には、『0056-EAST』と錆び付いた大きな銀のプレートが打ち込まれていた。入出管理を担当する守衛は常時二名で、ピカピカの自動小銃を肩に提げ、煙草を吹かし、パイプ椅子に腰掛けて日向ぼっこを楽しんでいるのが常だった。
ただ大きい壁というだけでワクワクが止まらないココロは、門へ向ってペダルをキコキコと漕ぎ、談笑する守衛の前を当たり前のように素通りした。
あまりにも自然に通過するものだから、二人の守衛は反応に遅れた。
「ちょ、ちょっと待った! ココロちゃん、何処行くんだ!」
ココロの行く手を遮った強面の男は腰を屈めると、咥えていた煙草を消し、ココロと目線の高さを合わせた。口元はきゅっと結ばれ、目つきは怖いが優しそうな深みがある。被ったカーキの帽子には『0056』と刺繍が入っていた。
ブレーキをかけたココロは、「きゅうに飛び出してこないで、あぶないから」と注意した。
「あれ? でもなんでおじさん、ココロのこと知ってるの?」と訊いた。
「あぶないって……まあいいか。俺はガンツだ。ここの門番で、君のお爺ちゃんとはたまに飲む仲なんだよ。よろしくな」
「わたしはココロ、よろしく」
ココロはガンツが差し出した大きくてごつごつした手を握って、握手を交わした。
「ココロちゃんの話は聞いてる。丘の上の子だろ。どこへお出かけするんだ? お爺ちゃんには、留守番をしているように、言われてるんじゃないのかな」
優しい口調だった。
ココロは口を半開きにして、舌先で前歯を舐め、答えを探すように首を小さく傾げた。
「お父さんとお母さんのかえりがおそいから、きっとどこかで迷子になってるとおもうの。だから、ココロが探しに行くの」
ガンツは眉を上げ、壁に寄りかかっていた相方のリッキーを見たが、彼は肩を竦めるだけだった。
ただの好奇心や遊びの延長でやってきたならいくらでも追い返せるが、旅立った両親を迎えに行くという動機そのものは健気なだけで、叱るようなことでもない。何より、情に流されやすいガンツはこの手の話には弱い。かといって、このまま素通りさせるわけにもいかなかった。
ガンツは腕を組んで首を傾げ、言葉を探し、小さく顎を引いた。
「ココロちゃんよ、外は広いんだ。お父さんとお母さんの前に、ココロちゃんが迷子になっちまう。一人じゃ危ないから、家に帰りな。お爺ちゃんも心配する。なんなら、家まで送るよ」
「じゃあ、おじさんが一緒についてきて。ほら、行くよ」ココロは三輪車を漕ぎ出した。
「お、ちょちょ、そうじゃなくてだな――」
ガンツは三輪車の小さな荷台を掴んで止めた。
しかし、それでもなお、ココロはペダルを漕ぐのをやめなかった。
「離して! なにしてるの! せくはらでしょ!」
「セクハラじゃないっての! だからダメだって!」
「ダメじゃない!」
「あの人に似て強情な子だな」
強情な上に、力も強い。けれどそれは、三歳児にしては、という話だ。
ガンツは三輪車ごとココロを持ち上げ、勝ち誇ったように高笑いした。
「これならどうだ、動けまい!」
「降ろして!」
「なら帰るか?」
「帰らない!」
ガンツとココロが仕方の無い規模の小さな争いを繰り広げていると、見かねたリッキーが腰を上げた。
「行ってきたらいいじゃないですか、どうせ仕事なんてないし、俺がここに残りますよ」
「お前な、無責任なこと言うんじゃないよ。俺達だって暇じゃないんだぞ」
「いやいや、暇っしょ、どう見ても」
リッキーは肩越しに振り返り、散らかった守衛室に目を向けた。
守衛室ではラジオが流れ、灰皿には潰した時間の分だけ吸殻が山盛りにされている。飲み散らかした炭酸水の空き瓶、稀に酒瓶、雑誌、本など、おおよそ仕事に関係の無いモノがゴロゴロと転がっている。全部が全部、ガンツとリッキーのものではないにしても散らかりすぎだ。
「掃除も仕事だ」
「やっときますよ。それに、このまま帰しちゃかわいそうじゃないですか」
リッキーの言葉にガンツは溜息を漏らしたが、結局ココロに付き合うことを決めた。
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