第一話 親の墓を暴き、旅に出る幼児、そういう子だった
3
【コロニー】世界中に点在する人が自給自足するのにじゅうぶんな安全が確保された土地で、暮らしの拠点となっており、例外なく一定の高さの壁に覆われている。
――――
「お父さんとお母さん、いつかえってくるの?」
ココロが三歳になって間もなく、両親は旅立った。
それはココロの始まったばかりの人生で、両親と最も長く離れ離れになり、祖父であるマリオとの二人きりの生活が始まることを意味していた。マリオはパイプに葉っぱを詰めてぷかりと煙でわっかを作ると、なんてことはないと笑って見せた。
「
「ふたりじゃないよ。妹のアリソンもいるから、さんにんだよ」
「そうだな、じゃあ三人で遊ぼう」
ココロは二歳の誕生日に両親からプレゼントしてもらった大きなウサギのぬいぐるみに『アリソン』と名付け、妹として大事にしていた。
マリオはジョンとステラの留守中、ココロに寂しい想いはさせまいと果てしなく甘やかした。
欲しがるものは何でも与え、行きたい所には何処へでも連れて行き、絵本の読み聞かせも、おままごとにも気が済むまで付き合い、外へ出る時は常にココロを連れ歩いた。
職場、買い物、友人との食事、酒場、太陽が昇ってから夜眠るまで、常に一緒だ。
ココロにとってそんなマリオとの暮らしは、両親のいない寂しさを紛らわすにはじゅうぶんだった。『ココニ家のお姫様と下僕の爺』と町では評判で、仕事場に連れて行けばちやほやされる孫娘の姿を見て、マリオも満足だった。
マリオの仕事場である機械整備工場は男ばかりというのもあって、ココロはあっという間にアイドルになった。
「孫がちやほやされるのを眺めるのは実に気分がいい」
「孫を甘やかすのは爺さんの特権ってか」
「そういうことだ」
「理解できるが、甘やかしすぎじゃないか? 少なくとも、仕事場で行使するもんじゃない」
「これは工場長の特権だ」マリオは腕を組み、堂々と胸を張った。
「ならせめて、工場長としてみんなに仕事の手本を見せろ」
工具を渡されたマリオは、任せろ、と自信たっぷりに笑み、肩を回した。
孫にいいところを見せる為に、次々とピットに並んだ車両の整備をこなした。故障して動かなくなった機械たちが、たちまち蘇ってエンジンを唸らせる。するとココロは両手を叩いて喜んだ。
「お爺ちゃんすごい! 魔法使いみたい!」
「ふふ、まあよ」
孫の声に調子を上げたマリオの仕事ぶりは見事と言う他なく、若い整備士達も脱帽ものだった。
ココロの声は『孫ニトロターボ』と名付けられ、「忙しい時はココロちゃんを呼ぼう」と同僚達の間で密かに囁かれた。ところが、最初こそマリオの仕事を観察していたココロも、やがて見ていることに飽き、「ココロにもやらせて」と言い出すようになった。
さすがにこれは、職場の男達も難色を示した。
「どうすんだよ工場長。積み木でも持ってくるか?」
「子供は大人の真似をしたがるもんだろ。大人を真似て、大人になるんだ。いいか、ココロが将来立派な大人になれるかどうかはわしらの行動にかかっていると言っても過言じゃない。お前たちもいい見本になるように、言動や行動には気をつけろよ」
「責任が重過ぎだ」同僚は困ったな、と首を振った。
「責任感のない大人よりマシだろ。それに子供の「やらせて」は「あなたのしていることがとても格好よく見えた」というメッセージだ。あの子がメカニックになる日も近いな」
「そりゃ自分に都合よく考えすぎだろ。今におじいちゃんのパンツと一緒に洗濯したくないって目を吊り上げるようになるからな」
「あの子に限ってそれは無い。将来、コロニー初の女工場長になるかもしれんぞ」
「結局どうすんだよ。ほっといたら間違いなく怪我人が出るぞ」
「たしかに、ココロが怪我をするのはまずいな」マリオは白い顎鬚を撫でた。
「あの子じゃなくて俺達だって」
同僚の訂正を求める声は届かなかったが、マリオは真剣に考えた。
ココロの申し出は素直に嬉しかったが、三歳の子供に手伝えることは皆無で、何より危険だ。
「もうちょっと大きくなったらな」
そう
その辺に置いてあった工具を手にして、整備中の車両の下へ潜り込み、下敷きになりかけたのも一度や二度ではない。周りの大人達はその都度心臓が止まりそうになったが、ココロは何かに守られているのではないかと思えるほど見事に、神がかり的なタイミングで様々な危機を回避した。
やがてココロは工場のアイドルから、「あの子が歩けば大人が転ぶ」と恐れられるほど、隠れたトラブルメーカーとなっていた。
「おとなっておちつきがないね。ね、アリソン」
ココロのこのコメントには、周りの大人達も参った。
実際、ココロが好奇心に任せて向った場所や触れた物はたいてい危険で、そんなココロを救う為に奮闘する大人たちが怪我をし、痣を作った。ココロはいつでも無傷でケロッとしていたが、まだ守られている自覚が薄かった。そのうち、周りの方が音を上げた。
「あの子はともかく、俺達の命がいくつあっても足りない。工場長はご存知かどうか知りませんがね、今月入って怪我人が十三人、その内、仕事に支障が出る怪我をしたのは七人。工具、ボルトやナットの細かい部品の紛失、破損、引渡し日の延期三件、挙げればキリがない」
そう言った同僚は体中に立派な傷を作り、絆創膏や包帯、湿布だらけになっていた。
「……戦場帰りか?」そう言ったマリオも傷だらけだ。
「あの子が来て二週間、ここは別の意味で戦場になった」
マリオは悩ましく唸り、「よし」と名案を思いついて手を打った。
ココロの監視を『工場の裏ボス』である事務のおばさん、グレイスに任せようと提案した。
「なにが「よし」だよ。面倒事をあたしに押し付けんなクソジジイ」
工場の屈強な男達を一喝で従える恰幅のいいグレイスは、眉間に深い皺を作り、事務のカウンターで開いていた本を閉じた。そんなグレイスに睨まれると、さすがのマリオも首を縮めた。
「そう言うなよ。五人のやんちゃな坊主を育てた猛者だろ。誰よりも頼りになるし、このままじゃ仕事がままならんしよ」
グレイスは呆れ、閉じた本の背でマリオの頭をゴスッと殴った。
「いてえじゃないか、おい」
「いてえじゃないよ。そもそもね、あんな小さい子をこんな場所に連れてくるのが間違いなんだ。あたし最初に反対したろ?」
「あんな小さい子を家で一人ぼっちにさせる方が間違ってるって、わしは最初に言ったぞ」
「あんたね」
「なんだよ」
「いい、あんたと話してると疲れる」
グレイスはそう言って、渋々だが引き受けた。
マリオは自分の意向が通って満足だった。
お陰で、ひとまずの解決をみた。
しかしすぐにココロはグレイスをも出し抜き、外へ出るようになった。
大人の目が届かない場所はそれはそれで危険なのだが、幾度目かの脱走に気づいた時には既に遅く、ココロは外で出会った近所のガキ大将を泣かせていた。
その日マリオは、グレイスと二人で泣かした男の子の親のところへ頭を下げに行った。
幸い、その親は我が子のやんちゃぶりに手を焼いていたらしく、いい薬になったと笑ってくれた。
「っは、うちのココロに真っ当な道を教えてもらったわけだな!」
勝ち誇ったマリオの右頬を、グレイスは容赦なく引っぱたいた。
スパン、と気持ちのいい音が工場に響き渡り、整備士達の手が止まった。
「いったー」マリオは頬を擦った。
「暢気なこと言ってんじゃないよ。今回はともかく、これがきっかけであの子が仕返しされるとも限らないんだ。子供の世界だってね、あたらしら大人と同じか、下手するとそれ以上に残酷なんだ。目を離している間にひどい目に遭うなんてこともある。そうなって大怪我でもしてみなよ、あんた責任とれんのかい?」
「責任ってそんな、子供の喧嘩で大げさだろう」
グレイスはもう一度、今度は左の頬を手の甲で叩いた。
「痛ったー」マリオは頬を擦った。
「バカたれ。やったやられたの話に、大人が後から介入するのは、あんたが思ってる以上に難しいんだ。そうなってからじゃ遅いんだよ。あんた大事な孫娘、預かってんだろ? ステラとバカ息子が帰って来た時、合わせる顔なくなってもいいのかい? あんただいたい昔からそうだよ、似たようなことで何回奥さん泣かせてきたよ。もう忘れたのかい? それとももうボケたのかい? あんたの問題解決能力なんてのはね、機械相手じゃなけりゃゼロだよゼロ」
「……すみません」
「ともかく、あの子はあたしの手にも余る。大人しく家で留守番させな」
ココロの前で猛烈に説教され、こっぴどく叱られた子供のように意気消沈したマリオは、渋々ココロを仕事場に連れて行くことを断念し、留守番させることを余儀なくされた。
「さすが裏のボス、工場長がガキ扱いだ」
「孫娘には見せたくないダッサイ姿だわな」
仲間達の声に、両頬を腫らしたマリオはうるさい、と子供のように喚いた。
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