第4話 下の名前で呼ぶんだ…
それから数日後のある日。
蓮は、いつもは行かない時間に店を訪ねた。
出勤まえに店の客と会う約束があったので、その日は午後二時頃にセレスタイトに立ち寄ってみたのだが――
入口の扉のガラス越しに、カウンターで泉水が誰かと談笑しているのが見えた。
「今度、スウェーデンに出張に行くんだけど、何かお土産を買ってくるよ。リクエストはあるかい?」
「いえそんな、お土産なんて気を遣わずに」
「いつもお世話になってるから、気にしなくていいよ。チョコは好きだったよね」
「あ、はい……でも、本当にいいですから!荷物を増やすのは申し訳ないし」
「どうせ助手のみんなにもあれこれ頼まれるんだから、ひとつ増えても変わらないよ」
「ああ、彼女達は先生と仲が良いし……お土産のリクエストも遠慮が無さそうですね?」
「そういうこと。中間管理職としては、部下に気持ちよく働いてもらいたいからね。だから泉水くんも気にしないで」
そんな会話が漏れ聞こえてきた。
『泉水くん』という親し気な呼び方に引っかかりを覚える。
そっと扉を開けると、見るからにハイクラスなオーラを漂わせる男がそこにいた。
その身体を包むのは高級そうなオーダースーツ。柔らかそうな生地の光沢に、イタリアブランドらしさが滲む。
手元を飾る時計はパテック・フィリップ。これもまた、この男が裕福で身なりに気を遣うタイプだということを物語っていた。
そしてそれらを身にまとう中身の方も、文句なしのいい男だった。
年齢は30代。上背も肩幅もあって、スポーツをやっていそうな体格。筋肉の厚みがあるから、悔しいくらいスーツがよく似合っている。
少し長めの前髪をワックスで軽く流していて、高級感と共に大人の余裕も感じさせる雰囲気があった。
何というか、韓国ドラマの俳優みたいな正統派の2枚目。
オレとは正反対のタイプだな――と、判定するまでの所要時間、約30秒。
真剣過ぎる目つきで相手を眺めていたら、泉水の方から蓮に声をかけてきた。
「蓮くん、いらっしゃい。今日は珍しい時間だね?」
「あ、うん。お話し中にごめん」
好奇心満々の表情を一瞬で消し去って、にっこりと微笑みかける。
「いや、大丈夫。右京さん、ありがとうございました。出張、お気を付けて。またお待ちしています」
「いやこちらこそ、長話しをしてしまったな。また来るよ」
男が泉水から離れて、蓮の方を見る。
視線が上から下まで移動するのが分かった。
(うわ、めちゃくちゃ値踏み返してくるじゃん)
今日の蓮の服装は出勤バージョンの仕事モード。
グレーのスーツを基調にしたモノトーンコーデで、シャツは黒。ネクタイはシルバー風の光沢のあるシルクサテン。胸をはだけず、きちっと締めるのが蓮のスタイルだ。
左耳の小さなクロスのピアスと、プラチナのブレスレットをアクセントに着けている。
男のビジネス的な装いとは対極で、向こうからすれば一体何者かと思っただろう。
お互いを意識せずにはいられない邂逅だった。
居心地の悪い見詰め合いの後。
笑顔を貼り付けたままその横を通り過ぎようとしたら、
「…失礼」と声をかけられたので、
「いいえー」と軽く返す。
向こうもこちらを気にしているらしい。
身長は相手の方が少しばかり高かった。推定185㎝。
そして残り香はディオールの『ソヴァージュ』、というオマケもついた。
(……くっそ、隙が無いねぇ。完璧かよ)
色んなことがオレの勘に触るヤツだなと、つい笑ってしまう。
「この時間に蓮くん見るのは新鮮だなぁ」
蓮の物思いなど全く知らない泉水は、レジ前でのんびりと微笑む。
「ん。ちょっとヤボ用があってさ、今から仕事なんだ」
「ふうん。そうか……そういう格好してると、何だか」
「何?カッコいい?見惚れちゃう?」
期待を込めて、勢いよくカウンターに身を乗り出す。
「初めて会った時の事、思い出す」
「ゔっ…それマジで早く忘れて欲しい黒歴史なんだけど」
ヘコむ蓮の姿を面白がって、これはずっと使えるネタだな、と揶揄ってくる。
ごほんごほんと咳払いして、話題を変えた。
「さっきの人、医者か何か?」
「ああ、歯医者さんだって言ってた。近くに職場がある常連さんでね。……でもさすが鋭い。格好だけで分かった?」
「相手の懐具合を見抜くのが、ホストやってるうちに特技になっちゃってさ。まあ、助手だなんだって話してるのが聞こえたし。あんな高そうなスーツ着てる人、一般人にはそうそういないよね」
はは、と笑って軽く受け流す。
(つい真剣に観察したのは、泉水さんに興味があるのが見え見えだったから。明らかに好意を見せてたけど、泉水さんはあっちをどう思ってんだろ?)
「あの人よく来るの?」
当たり障りのない所から、探りを入れてみた。
「そうだね、週に2,3回くらいかな」
まあまま通ってるな、と思う。
「――仲良いんだ?」
「うーん?常連さんだからよく話すけど…普通かな」
「お土産買ってくるとか言ってたよね」
「ああ、右京さんて、人にあれこれプレゼントするのが趣味なんだって」
……いやいやいや、そんなワケ無いと思うぞー?と心の中で突っ込んでしまった。
これは完璧にロックオンされてるな。間違いなく。
泉水さん……少しは危機感持って欲しい。
「近くなら行ってみようかな。今、ちょうど歯医者を探してたんだよね。どこにあるか聞いてもいい?」
「そうなんだ?患者さんが増えるなら喜んでくれると思う。ウィンドタワーの中の『藤田歯科』だって聞いてる。歯科助手の人もたまに来てくれるし、前に宣伝して欲しいって名刺をもらったから、ちょっと待って……あ、これこれ」
泉水がカウンターの引き出しから名刺を取り出した。
審美歯科・インプラントがメインの『藤田歯科』の歯科医師 藤田右京とある。
今のところは院長ではないらしい。歯科医院の二代目か。
………ふーん、『右京』って下の名前で呼んでるんだ。
蓮が気になったのはそこだった。地味にヘコむ。
それはオレだけにしておいて欲しかった、なんて、勝手な思いが湧き上がって、自分でもちょっと驚いた。
そんな会話で相手の情報を引き出し、蓮は店を後にした。
* * *
………道を歩きながらあれこれ考えていた。
色々な感情が渦を巻いている。
もっと警戒して欲しいとか、一体何様なんだか。
オレが言えた義理じゃない。
ただの常連客の一人に過ぎないって言うのに。
恋じゃないって?
この独占欲の一体どこが?
あーもう、ダメだなこれは、と頭を掻く。
このぬるま湯を楽しんでいたいとか言ってたオレはどこ行った。
泉水さんがもし他の男と付き合うとしたら、って――その可能性を突き付けられただけで、平常心を失ってるんだから重症だ。
改めて、自分の恋心を自覚する。
こうなってしまってはもう、止められなくなる――……
「よう、そこの色男」
「!?」
いきなり後ろから声を掛けられて蓮は飛び上がった。
振り向いたそこに立っていたのは、無精ひげを生やした50代くらいの男。
長袖のインナーの上にヴィンテージっぽいアロハ。ボトムスは迷彩柄のカーゴパンツ。秋だというのに足元はサンダルだ。長めの髪を後ろでひとつに束ねて、手にはノートPCを抱えていた。
一言で表すなら「怪しい」といった風体。
「蓮、だっけ?ちょっと話がしたいんだけど時間あるか?」
「えっ、あんた誰……って、あ!どっかで見たと思ったら、セレスタイトの『地縛霊』じゃないですか」
「地縛霊!?俺のことそんな風に言ってんのか、あいつ。せめて座敷童くらい言ってくれよ」
「いや、子供じゃないし、幸運も運んでくれなさそうだし」
思わず突っ込んでしまったが――泉水いわく、この男は店長の幼馴染で、セレスタイトに半分居ついている親戚のオジサンみたいなものだ、と聞いている。
蓮が通う朝の時間でも、すでにカウンターに陣取っている姿をたまに見かける。ただ泉水が全くといっていいほど気にかけていないので、最初は自分にしか見えていない人……本物の幽霊なのかと疑ったほどだ。
ふらりと現れ、ふらりと消える……あの店で唯一、ツケで飲食をしている人間。
それを自分の父親が許しているのが苦々しいらしく、泉水が彼を『地縛霊』と呼んで冷遇しているのを知っている。
そんな相手が自分を呼び止める理由とは?
「泉水のことで、ちょっとな」
「……!」
そう言われては付いていくしかない。
一も二もなく、蓮は頷いていた。
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