第3話 川嶋蓮という客
初対面の、オレの第一印象はサイアクだったと思う。
見るからに夜の商売って感じの見た目。
ケンカでもしたのかと思える顔のアザ。
服も髪も乱れてたし、酒臭かったし、多分汚れてもいただろう。
おまけに「つい今しがた人を殺してきましたけど、何か?」っていうくらい酷い顔をしてた自信がある。
でも泉水さんは朝イチに現れた最低な客に、至って普通だった。
「いらっしゃいませ」って。
普通に笑って、テラス席に案内された。
仕事で先輩ホストと揉めて喧嘩になり、最低な気分だったオレは、むしゃくしゃして煙草をめちゃくちゃ吸って、そこら中に不機嫌オーラを撒き散らした。
誰も近付くなって雰囲気をバリバリに出しまくってたのに、あの人は平気な顔で俺の傍に立って、話しかけてきた。
「新作のレモンケーキなんですけど、良かったら試食していただけませんか?」
何の屈託もなくそう言ったのだ。
「………はあ?」
こんな状態のオレに、今それ頼むか??
空気読めや、ボケぇ。
――と。
正直、ホント、本当にごめんなさいって謝りたいんだけど、あの時の荒みまくった俺はそう思った。
アイシングのかかったレモンのパウンドケーキ。
おまけにラテアートを施したカフェラテまで一緒に持って来た。
「……オレ、アイスコーヒー飲んでるけど」
「こちらもセットで味見していただきたいんです。残して構いませんので、良かったらどうぞ」
「………」
涼しい表情を全く崩さず、さらっと言いたいことだけ言って立ち去った。
何なんだ、あの店員。
ド天然か?
こっちの都合は無視かよ。
と。心の中で悪態を吐きまくり、呆れてその背中を見送った。
ふざけんなと思いつつ――実は甘いモノは嫌いじゃない。だから仕方なく食べてやるよと、少し乱暴にフォークをケーキに突き立てた。
――美味かった。
生地は軽すぎず重すぎず、しっとりとしていて口当たりが良い。
レモンの酸味とアイシングの砂糖が口の中で溶け合って、ちょうどいい。レモンピールが生地の中に混ざっていて、時々アクセントを効かせてくる。
プラス、生地はほんのりコーヒーの味がした。少しの苦味とコク。
それに誘われるように、カフェラテにも手を出してみる。
ブラウンの綺麗なリーフ模様が、ふわふわのミルクの泡に浮かんでいた。
崩すのがもったいないくらい。
こういう技って、そう簡単には出来ないもんだよなとぼんやり思いながら、口を付けた。
熱すぎない温度で、飲みやすい。
少し甘かった。
苦味もちゃんとあって、それでいてミルクのまろやかさが優しくて。
甘い匂いに、ささくれた気持ちが癒されていく気がした。
『珈琲と檸檬』……ね。
コーヒーの重さを、レモンが和らげてスッキリする。
正直、レモンには紅茶だと思ってた。
意外な組み合わせだと思ったけど、悪くない、と余韻を噛み締めてみる。
ふうん。案外、好きかも……。
「お味はどうですか?」
「わっ」
気が付けば、隣に泉水さんが立っていた。
「あー……まあ、……案外、美味いよ」
何となくバツが悪くて、あらぬ方向を見ながら、そんな感想しか言えなかった。
「ありがとうございます。美味しいと思ってもらえたなら、良かった」
泉水さんは俺の態度に気分を害する素振りもなく、ぱあっと、輝くような笑顔を見せた。もうそれが、あの時のオレには眩しくて、眩しくて。
その光で、こっちの負のオーラが半減するくらいの威力があった。
「バターを使ったお菓子だと温かい飲み物の方が、風味が広がって美味しいかなと……カフェラテまで押し付けてすみません。甘いものって、気分転換に良いですよね」
嬉しそうに話すその姿に、オレは急にいたたまれない気持ちになった。
あんな態度を取っていれば当然こっちの気分もお見通しだっただろうに、それを承知で労ってくれたのだ。
……人間の器の大きさの違い。そんなものを感じて、恥ずかしさと情けなさが込み上げてくる。
「えっと、その……これ、本当にタダでいいの?」
泉水さんの思惑通りというか何というか、ケーキとカフェラテの味に気持ちを持っていかれたオレは、まるで憑き物が落ちたように怒りの感情が消えていた。
「ええ、もちろん。こちらが食べてくださいとお願いしたんですから。……ゆっくりして行ってくださいね」
そう言って、もう一度自分に向けられた笑顔に――
オレは稲妻に打たれたような、気がした。
例えるなら。
百年の眠りから目覚めた荊姫。
いや、死の眠りから甦った白雪姫か。
まあとにかく、急に視界がクリアになって、世界が輝いたような。
(アレっ、この人めちゃくちゃ綺麗じゃねぇ……?)
店に入った時にどうして気付かなかったんだろう?と思うくらい。
自然な形にセットされた柔らかいくせっ毛が、優しい面立ちを際立たせている。
長い睫と人を真っすぐに見る大きな瞳が印象的で、少年のような透明感があった。
すらりとした立ち姿が綺麗で、それだけで何となく人を惹きつける『佇まいの美しさ』のようなものを持っていた。
突然、後光が射して見えた。
何だ、コレは。
急に心臓がうるさくなる。
あの日、自分でもよく分からない鐘の音がオレの頭の中に響き渡った――…
* * *
――それ以来、泉水さんファンを自認して店に通い続けてる、というワケで。
ただ俺の気持ちはとっくにファンを通り越して、もっとお近づきになりたいと思っている。それなのに、当人にそれが伝わっている気配がまるでないのが悲しい。
今のところ『年下の常連客』という当たり障りのない立場に甘んじている身だ。
それにしてもこんなにマメに通ってるんだから、少しは理由を疑って欲しいんだけどな。
散歩って言い訳を信じ切ってるところが、あの人らしいと言えばあの人らしい。
……まあ、そういうところも可愛い。
泉水さんが何をしてもそう思えるくらいに、オレの理性は正常に働かなくなってきている。
ヤバいとは思う。
オレは男も女も両方恋愛対象になる人間だ。
でもこれが本気の恋かといえば――今はまだ、よく分からない。
店では女の子相手に余裕のオレも、あの人の前ではただ大人しく、適切な距離をとり、踏み込まず、付かず離れず。良い子にしているしかない。
飼いならされたオオカミみたいな気分だ。
もどかしい想いに、ついついあらぬ妄想を繰り広げてしまうこともある。
でもそれすらも、案外心地いいと思っていたりする。
初恋みたいなじれったさを、もう少し楽しんでいたくて。
手が届きそうで届かない、憧れの人のままでいて欲しいのかもしれない。
もし本気になってしまえば、そういうのが全部吹っ飛ぶのは分かってるから……。
――しばらくは、このぬるま湯を楽しんでいたい気分かも、なんて思ってた。
そんな暢気な願望が砕け散るのは、ほんのすぐ先の未来で。
目が覚めるのは一瞬のこと、だったんだけど。
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