7. 二度目のはじまり、レティシアの回帰
息苦しさも、痛みも、熱さも、いつの間にか無くなって、気付けば真っ暗な空間に投げ出されていた。
レティシアは意識的に瞼を動かし、何度も開けては閉じを繰り返す。どうやら確かに目は開けているのに、深い闇の空間では視覚から捉えられる情報は何も無かった。
身体は重く鉛のようで、板に張り付けられたように動かす事は出来ない。
光も音もない空間にただ存在するだけというのは、心細いと同時に混乱を来たす。
先程からどうにか声を出そうと努力してみているが、掠れた声さえ発する事が出来ないでいた。
やがて随分遠くに白く小さな点が一つ見える事に気付く。徐々に大きくなっていくその点は、まるでレティシアに近付いてきているようであった。
そのうち視界いっぱいに広がった白いモノの正体が、七色の光が渦巻く別空間であるのだと分かる。
相変わらず身体は動かせず、抗うことは出来ない。
あまりの眩しさにフッと目を閉じたレティシアは、優しく包み込まれるようにしてその中へと吸い込まれていった。
「――! ……ティー! ……目を開けて! レティー!」
やがてぼんやりとした意識が浮上してくるのと同時に、何度もレティシアの名を呼ぶ悲痛な叫び声が耳に飛び込んでくる。
聞き覚えのある声は、幼い頃のリュシアンのもので、レティシアは楽しかったあの頃の夢でも見ているのかと考えた。
「るしあん……さま……」
耳に届いたのは舌足らずな自分の声。驚いたレティシアの瞼がパチパチと震える。白い瞼の隙間からうっすらと覗く紫色の煌めきが、徐々に生気を帯びてきた。
「レティー! 大丈夫か⁉︎」
ぼやけた視界が澄んでくると、ひどく心配そうに顔を近付けるリュシアンの顔があった。
「え……」
不安げに眉を寄せるその顔は、まだ頬に子どもらしい丸みを帯びており、幼いレティシアと一緒になって走り回って遊んでいた頃のリュシアンそのものであった。
「リュシ……アン……さま?」
今度こそ噛まずに呼べたその名前は、聞き慣れた自分の声では無く、少し幼く、そして鼻にかかったような声で発せられた。
「レティー! あぁ、レティー! 良かった! どこか痛むか? 気分は?」
澄み切った青空を背景に、子どものリュシアンが今にも泣き出しそうな顔でレティシアを見つめていた。
段々と意識が鮮明になってくると、後頭部に鈍い痛みを感じた。遅れてジンジンと頭皮が痛んできたのを、仰向けに横たわったまま顔を顰めて堪える。
ここがどこで、一体自分がどうなっているのか分からない事が不安になってきたレティシアは、ともかく身体を起こそうとした。
しかしどこかいつもと違う感覚に、もう一度眉間に皺を寄せる。
「私……一体……」
「待て! まだ無理に起き上がるな! レティーは突然倒れて、頭を打ったんだ。今薬師を呼んでいるから……」
真剣な口調で心配そうに自分を制するリュシアンが、とても懐かしくて嬉しくて。もう何年もそんなリュシアンを見ていなかったレティシアからすれば、やはり夢でも見ているかのように不思議な光景だった。
ふと、レティシアはそろそろと自分の右手を顔の前に持って来る。
小さくてふっくらとした幼な子の手がそこには確かにあった。
「まさか……そんな」
いつからか婚約者であるリュシアンから冷たく突き放されるようになり、最後には目の前で殺されてしまった愚かな自分。
もしかするとそんな出来事は実際に起きておらず、幼い子どもである自分が想像で作り上げた長い夢でも見ていたのだろうかと、レティシアは都合良く考えてみた。
けれどそんな事はあり得ないのだと、幼な子にしては成熟した思考力が強く否定する。
何故かは分からない。どんな巡り合わせでそうなったのかも知らない。
しかし現にレティシアは今、まだリュシアンと仲が良かった幼き頃へと回帰したのである。
「う……うぅ、リュシアン様……、う……っ、ううっ」
「え……? レティー? どうした? やはりどこか痛むのか?」
「今の……貴方は、愚かな……私の、事を……そんなに、心配、して、くださるの、ですね……」
嗚咽混じりで口にした言葉は、レティシアの子どもらしい声には似合わない。それにはリュシアンも、怪訝そうな顔で首を傾げた。
「レティー、本当にどうしたんだ? 急に大人みたいな口の聞き方をして……」
「ごめん……なさい」
そのうち宮殿勤めの騎士が数名バタバタと走って来ると、レティシアはそのうちの一人に抱き抱えられ、慌てて医務室へと運ばれて行った。
暫くは不安げに立ち尽くしたリュシアンだったが、流石は優秀な皇太子というべきか、すぐにベリル侯爵家へと使いを出すように侍従へ言い付ける。
そうして自らもレティシアが運ばれていった医務室へと急いだのだった。
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