第20話 無愛想な店長とヒマワリの苗②
織本がヒマワリの苗と書き終えた黒板とを持って店頭に出てきた。丁寧にヒマワリの花束を買った客に笑顔でお辞儀をし、「またお越しください」と言っている。その笑みはごく自然で、到底竜胆には真似できないような表情だ。それでもどうにか再現できないだろうかと竜胆が織本の顔を凝視していると、目が合った途端に不安そうな顔つきになってしまった。
「あ……すみません」
「何で謝る」
「店長に見られていたので、つい」
見ているだけで人に謝罪させたくなるような顔をしていたのだろうか、俺は。
竜胆は「笑顔の研究のために見ていた」と言おうとし、口をつぐんでふいと背を向けて織本から距離を取った。
昨今、迂闊な発言をすればたちまちのうちにセクハラだのパワハラだの言われることを知っている。そうしたこともあって、竜胆は織本とまともにコミュニケーションを取れないでいた。これがたとえば、蓮村だったらまた違うだろう。
正直、スミレの花をあげたのも、「お節介すぎるか」と後悔したのだ。花は手入れが必要なので、一人暮らしの大学生の負担になる。おまけにバイト先の店長から花を渡されれば、「枯らす訳にはいかない」とプレッシャーも感じる。せめて切花にすればよかった。
しかし「スミレの花、どうなった?」などと聞くのも憚られる。たとえ枯れてしまっていても「いい感じです」くらいしか言えないだろう。悶々とする。
ぎこちない空気のままに時間が流れ、閉店時刻となる。
閉店後のレジ締めを最近、織本に任せるようになっていた。おかげさまでその間に竜胆は発注作業などをこなすことができる。
織本は覚えが良く、何でもやってくれるので助かっている。
正直、今思い返せばあのバイトへの誘い方は無いだろうと自分でも思っていた。バイトに逃げられた竜胆は母の日の一週間前からほぼ寝ておらず、あの日は徹夜三日目で頭が完全にどうかしていた。ただ道から店の中を眺めていただけの織本に強制的にバイトさせるなど、訴えられてもおかしくない。
それでもあの日あの時織本がコンビニに行こうとしていて、たまたま塩崎生花店に目を向けていて良かったと感謝していた。
街の花屋にとって、母の日というのは一年で最も繁盛する日だ。到底一人で回し切れるものではない。
竜胆が岡田着付け教室に織本を行かせたのは、ちょっとした恩返しのようなものだった。
織本が大学生活にうまく馴染めていないことなど、目に見えていた。
普通の大学生はこんなにバイトに明け暮れない。いや、そういう大学生がいることも知っていたが、織本はそんなに金を稼ぎたいタイプには見えないし、どう考えても上京したはいいけど大学に友達がいないので時間と暇を持て余しているだけだろう。
岡田着付け教室の岡田一家は竜胆にとっても馴染みがあり、昔からの塩崎生花店の上客だ。一階がインドカレー屋兼駄菓子屋になる前からあの場所に着付け教室を構えていて、いつでも一定の生徒を抱えている。父は和食料理店の板前、母が着付け教室の講師、そして一人娘はこの商店街から二駅先にある大学の英文科に通っている。両親共に気立てが良く、塩崎生花店に花を受け取りに来る娘も良い子に見えた。だからあえて織本に配達を頼み、話すきっかけにでもなればいいと思った。
おかげで目論見は功を奏したらしく、織本が岡田家の娘と一緒にこの商店街を歩くのを見かけたり、若干バイトに入る日数が減ったりしている。
バイトの時間が減ってしまうのは店側としては困りごとなのだが、大学生なのだから大学生活を謳歌するべきである。
閉店後の静かな時間を過ごしていると、織本が声をかけて来た。
「そういえば、もうすぐ暑くなるじゃないですか。前にもらったスミレ、ベランダに置いておくと暑さでダメになっちゃいそうですし、かといって棚を買う余裕もないので、部屋に引っ込めようと思うんですけど、大丈夫ですか?」
枯してなかったのか。ちゃんと育てていたのか。そんな風に思ったが、そう聞くのも失礼な気がしたので別の言葉を吐き出す。
「最近は夏場の室内も蒸し風呂みたいに暑いから、それよりはベランダの日陰になる場所においた方がいい。棚を買えないなら、店で余ってるスタンドを一つ貸すからそれ使って」
「え、でも……」
織本のためらいがちな声に構わず、腰を上げた塩崎はバックヤードに積まれている園芸用品の中からスタンドを一つつかんで出す。スチール製のフラワースタンドは鉢を一つ据えられるシンプルなタイプで、高さを出したい時に役に立つ。
「はい、どうぞ」
「あ……ありがとうございます。秋になったらお返しします」
律儀にそう言う織本は、口元に少し笑みを浮かべた。
「塩崎店長、サービスいいですよね」
「は?」
「だって、最初にスミレの花を下さいましたし、今もこうしてフラワースタンド貸してくれましたし」
塩崎は思わず天を仰いだ。商店街の連中を「採算度外視のサービス精神旺盛なお人好しな人々」と思っていたが、もしかしたら自分もその一員だったのか。無自覚とは恐ろしい。
「なんてこった……」
「どうしたんですか?」
「なんでもない。こっちの話。夏を越したら秋にはまた花を咲かせるから頑張って」
「はい」
織本は嬉しそうに頷く。確かにスミレの花によく似ている。主張しすぎないところとか、和やかなところとか。
そろそろ閉店作業も終わり織本が帰ろうかという時間になって、店の扉が叩かれた。コンコンと忙しなくガラス戸が断続的に叩かれる。二人で出入り口を見つめ、竜胆は織本をその場に残して店頭に向かった。
ひと組の男女が立っていた。二十代後半から三十代前半に見える男女のうち、男の方がしきりにガラス戸を叩き続けている。どうしても今日、花が欲しいのだろうか。不思議に思いながら戸を開ける。
「あっ、塩崎竜胆さん、ですよね。閉店後にすみません。どうしてもお願いしたいことがありまして」
そういう男は、まるで野に咲くスズランのような容貌をしていた。別に小柄なわけではない。ただ目鼻立ちが素朴で、特に目が小さい割にキラキラしているのでそういう印象を与えただけだった。
そして竜胆は、このスズランのような顔立ちの男にかつて会ったことがある。
この塩崎生花店で、客として。
「お客さん、以前にもお越しくださいましたよね」
「はい! 覚えていただいてましたか。でしたら、話は早いです」
男はホッとした顔をした。
既視感のある表情に、竜胆の記憶は高校三年生の時まで遡っていた。
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