第19話 無愛想な店長とヒマワリの苗①
「おや、もうヒマワリの季節か」
「山本さん、いらっしゃいませ」
竜胆が店に立っていると、向かいの山本時計店の店長、山本聡がニコニコしながら店内に入ってきた。今日もトレードマークのベレー帽を被っている。最近暑くなったのでさすがにセーターは着ていないが、代わりにグレーのチェック柄の半袖シャツを着ているので夏でも冬でもあまり見かけが変わらない。
「はい、アイスコーヒーどうぞ」
「どうも」
「うん」
竜胆は昼食を取らない。朝早く起きてガッツリと朝食を取り、そこからずっと日が暮れるまで働き、夜になってようやく二回目の食事を取る。帰国してからずっとそんな感じの生活をしているので、昼に何か食べたいという気持ちがなくなっていた。ただ、コーヒーは好きなので、こうして山本時計店で昼食代わりにコーヒーを頼んでいる。最初は竜胆が普通に取りに行ってたのだが、いつの間にか山本が配達してくれるようになっていた。
「あとこれ、安村さんが作った新作のレモンクッキーも」
「これもサービスですか」
「そう。織本さんの分もあるから、渡しておいてね。先日の花束のお礼だって。お孫さんが喜んでくれたらしいよ」
「代金頂いてるから、そんなサービスしなくてもいいんですけど」
「いいんだよ、こういうのは気持ちなんだから」
「はぁ」
サービス精神旺盛な商店街の人々は、今日も今日とてこうして注文外の品をつけてくれる。竜胆は誰かに何かをサービスしたことがない。たまには何かした方がいいのかと思わないでもなかったが、別に義務じゃないんだからいいだろうと結論づけている。
店の奥にアイスコーヒーのグラスとレモンクッキーの入った袋を置く。戻ると山本は、店頭の花を興味深そうに眺めていた。
「苗に説明書きをつけるようになったんだね」
「織本さんの発案で」
「わかりやすくていいじゃない」
確かにわかりやすいようで、説明書きをつける前より花の苗の売り上げが上がっていた。
はじめは苗に付属する説明書きをただただ目立つ場所に貼っていただけだったのだが、織本は百円ショップで自ら買ってきた小さな黒板のようなものに、懸命に説明を書き写していた。なんでそんなことしてんのか謎だったが、「せっかく花屋さんなので、可愛く見栄え良くしたいです」とのことだった。黒板は経費で落とすことにし、レシートを取り上げた。
「いいアルバイトさんが見つかってよかったね」
山本は、春のひだまりのようにのどかな笑みを浮かべてそう言った。
「はい」
「じゃ、またあとでグラスの回収に来るから」
「どうも」
山本が去っていく。午前十一時、山本時計店はこれから忙しくなる時間だ。果たしてあの店は時計店が本業なのか、それとも喫茶店が本業なのかもはやわからない状態となっている。まあ、山本の淹れるコーヒーと安村の作る軽食とケーキが美味いので、誰も気にしていないのだが。
本日、織本は十五時からバイトに来る予定なので、それまでは一人だ。
山本の言うように、数日前から花材が夏のものに入れ替わっている。
夏の花の代名詞とも言えるヒマワリ、鮮やかな赤色が目を引くアンスリウム、華やかなピンク色で、トロピカルジュースの上に飾られているのもよく見るデンファレ、南国の代名詞ハイビスカス、オレンジ色の花が特徴的なマリーゴールド、釣鐘型の花を咲かせるカンパニュラ、それにーー青い花の代名詞、花嫁が身につけると幸せになれるというサムシングブルーによく使われるデルフィニウム。
まだまだ入れ替えたばかりなので、説明書はこれから作るもので説明がないものが多い。
それでも夏の花が珍しいせいか、店頭では苗を見ている客の姿がちらほらある。
竜胆は自分にできる限りの愛想の良い笑みを浮かべ、声のトーンを若干高くして話しかける。
「いらっしゃいませ。花をお探しですか」
「あっ、いえ。何でもないです」
だが、竜胆に話しかけられた客は、蜘蛛の子を散らすようにそそくさと逃げてしまった。
自分はそんなに威圧するような顔をしているのだろうか。むっつり黙り込んでその場に佇んでいると、うどん屋いろり庵の店主蓮村が山本時計店の前から偶然にもその様子を目撃していたようで、自分の口の端に指を当ててニーッと笑みを送ってきた。
「竜胆くーん、笑顔だよ、笑顔」
学生時代、目があった人間をボコボコにすることから「鬼の蓮村」と呼ばれていた蓮村は、叩きのめす相手を人間から小麦粉に変えたらしく、昔からは信じられないほど愛想の良い人物に変貌していた。人間を殴ることで鍛え上げられた拳が作り出すうどんは非常にコシがあると評判だ。
「うっせ」
「大体、そんなに愛想なくって、前の仕事の時はどうしてたの?」
「前ん時はそんなに愛想なんて必要なかったんだよ」
「ブスッとしてたら新郎新婦に悪印象じゃない?」
「必要事項さえ聞き出せたら良いから、不要な愛想笑いはむしろ邪魔だった」
大体、式場に来る人というのは皆が皆幸せ絶頂だ。多少愛想などなくとも気にしないし、無駄話を一切せずどんな装花が好みなのかを聞き、キビキビと仕事をする竜胆の姿はむしろ評判が良かった。
「街の花屋には笑顔が必要だよ、竜胆くーん」
そう言って、学生時代散々悪さをしては親に締め出しを食らっていた蓮村は、引き伸ばしたかのような笑みをその顔に貼り付けた。
「織本さんは今日は来ないの?」
「十五時から来る」
「それまでお客を逃さないようにがんばるんだよー」
相変わらず保護者気取りな蓮村は、ひらひらと手を振ってから山本時計店の中へと入っていく。
織本はいつの間にかこの商店街で認知される存在となっていた。彼女自身が目立つのではなく、塩崎生花店にバイトが定着しそうだということで注目されているのだろう。
確かに、父と母が働いていた時ならばいざ知らず、竜胆が店長になってからというものバイトの入れ替わりが激しい。
そもそも花屋というのは辞める人が多い職業だ。
見た目の華やかさと何となく楽しそうだから、という理由で人気自体は高いのだが、いざ働いてみると水仕事と重労働の連続だ。夏はともかく冬は花がダメになるから暖房のない職場でひたすら真水に手を浸しアカギレになるのも日常茶飯事、花の棘で手が傷ついたり、虫がついていたりするのだって当たり前、そうした理想と現実とのギャップにやられて辞める人間が後を絶たない。
竜胆としては、できれば力仕事を任せられる男に働いて欲しいのだが、花屋というのは得てして華奢でほわほわした女子に人気の高い職種なので、バイト希望もそうした人種ばかりが集っていた。
それでも竜胆の父母は人がいいので、その人の良さでバイトが居着いていたが、竜胆一人になってからは笑えるくらいにバイトに逃げられる。
たとえばアルバイト志望でやって来た女の子に、竜胆は店先で開口一番にこう言った。
「その爪のゴテゴテしたの、全部落としてから出直してきて」
その子の爪は鬼もかくやというほどに伸ばされ、そこにマニキュアが塗られ、その上にラメやらシールやらラインストーンやらがこれでもかと盛られていた。こんな爪で大切な花に触られたくはない。衛生的によろしくないし、花にも茎にも葉にも傷がついてしまうではないか。その子は憮然とした顔で竜胆に背を向け去っていき、そしてもう二度と店に来ることはなかった。
またある時には、踵がやたら高い靴とミニスカートを履いた女の子が来たので、「花屋の仕事は基本、スニーカーにジーンズ」と言ったらこれもまた来なくなった。
その後も「その邪魔そうな髪をバイトの時に必ず結ぶならいい」「花が大好きで花に囲まれているのが幸せだから? なら、客として花を買えばいいんじゃない。花屋の仕事は九割が力仕事だ」などと言っては面接前からバイトに逃げられた。
言い方が悪い、態度が悪い、と散々周囲の人に言われるのだが、竜胆としては事実を述べているだけなので他にどうすればいいというのだろう。
竜胆とて己の愛想のなさを自覚しているのだが、こればかりは持って生まれた正確なので仕方がない。竜胆は人と接するより花と向き合っている方が好きだった。会話は必要最低限でいいと思っているし、意味もなく笑顔を浮かべるのも得意ではない。
だから商店街の人々が無意味に浮かべる笑みが理解できない。
何で彼らは笑うのだろう。竜胆が心から笑うのは、花が綺麗に生けられた時くらいだ。
「お疲れ様です、塩崎店長」
「あぁ、お疲れ様、織本さん」
そんな風に考え事をしながら仕事をしていたら、織本すみれが現れた。
彼女はなかなか骨のある人物だった。見た目も悪くない。
無駄に爪に装飾を施したりせずいつでも綺麗に適切な長さに切り揃えられているし、服装も大体がジーンズと無地のシャツでシンプルで花屋向きだ。染めていない黒髪は肩よりやや長いのだが、何も言わなくてもいつもきちんと高い位置で結んでくれている。華美ではなく嫌味にならない化粧をし、体つきは細めだが意外に力があるので力仕事も任せられる。そして何より、どんなに地味な仕事を頼んでも嫌がらない。
店を横切り奥に行くと、バックヤードに荷物を置いた彼女がエプロンを締めて戻ってくる。
織本はいつも、竜胆の様子を伺うようにこちらを見つめてくる。口数は多くない。
「今日はアレンジメントの予約もないから、適当に仕事して」
「はい。じゃあ……まだ花の苗の説明を書き終えてないので、続きをしていてもいいですか?」
「ああ」
この物言いがよくないのだと蓮村なんかにはため息をつかれたことがあったが、他にどう言えというのだろう。いちいちバイトの仕事を見つけるというのは面倒だ。仕事は自分で見つけて欲しい。しかしこれがどうにも要求の高いことらしかった。
ただ、織本はバイトを始めて一ヶ月の間に竜胆の適当な指示に慣れたらしく、本当に自分で仕事を見つけて適当に働き出す。
織本は店頭に立って、花の苗を一つ持ってレジ横の空いているスペースで、黒板の内容を書き直しはじめた。
竜胆が苗として仕入れているのはミニヒマワリという品種で、プランターやコンテナで育つ、高さが一メートルもない小ぶりのヒマワリだった。一輪咲きではなく一本の茎からいくつもの花を咲かせるので長く楽しめる。家庭栽培に人気の品種だった。今はまだどれも花を咲かせておらず、せいぜいが蕾の状態だ。
織本はその説明札をポットの中から抜き取って、内容を書き写し始めた。
花の苗の札に書いてある説明というのは情報が凝縮されている。わかりやすいのだが面白みというのはあまりなく、簡素である。織本が書き写すと、それがなぜだかあたたかみを帯び、そして道ゆく人が足を止めてその札を読むということを竜胆は知っていた。
文字が丸みを帯びていて若干可愛いせいかもしれないし、一体何を書くべきなのか真剣に吟味して慎重に言葉を選んで書いているせいかもしれない。
「すみません、この花束が欲しいんですけど」
「はい、いらっしゃいませ」
竜胆は店頭で声をかけられたので、対応した。
女性客が手に持っているのは、あらかじめ塩崎が作っておいた花束だ。
塩崎生花店ではこうした既成の花束がよく売れる。いちいち店員に話しかけて作ってもらうより、手頃な値段の花束を買って帰る方が早いし気楽だからだということを、幼少期よりこの店の手伝いをしている竜胆は知っていた。
青い不織布と透明なフィルムでラッピングされた真っ黄色なヒマワリとグリーンのアイビーは、この時期に人気の組み合わせである。梅雨時期特有の連日降る雨のせいで鬱屈とした気持ちを、一足早い夏の到来といった感じに明るくさせてくれる。
女性客は会計の傍らで竜胆へと話しかけてくる。
「塩崎さんのお花、日持ちがいいから助かっているの。この間、都心の花屋で花を買ったんだけれど、高い値段を払った割にあっという間に枯れてしまったのよ」
「既成の花束でも鮮度がいい花を使うようにしているので。ただそろそろ暑いですし、切り花がダメになりやすいので、なるべく涼しいところに置いてください。エアコンの風が直接当たる場所も避けていただけると」
「そうするわ」
「ありがとうございました」
竜胆は代金を受け取り客に頭を下げる。
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