第10話 小さな変化とマリーゴールド
「説明札の書き換え?」
「はい」
「やりたいの?」
「はい」
すみれは今、勇気を振り絞って塩崎店長に一つの提案をしていた。
すみれが塩崎生花店で働き始めて二週間。その間に、わかったことがある。
塩崎店長はあまり仕事を教えてくれないということだ。
もちろん基本的なことは教えてくれるのだが、この二週間大学講義以外の空いた時間全てをバイトに費やした結果、一通りの仕事を教わり、その後、塩崎は言った。
「適当に働いて」と。
丁寧にやることをいちいち指示してくれるわけではない。もちろん客が来れば接客やレジなどの対応をするのだが、母の日のようにひっきりなしに客が訪れるわけではなく、暇な時間は割と暇だった。
バイト代をもらっている以上、ぼうっと立っているだけというのは申し訳ない。塩崎はいつでも忙しそうにしており、枯れた花びらを取り除いたり葉の状態を確認したりしていたが、すみれはうかつに花には触れなかった。軽い気持ちでフラワーキーパーを開けて中を覗いたら、「外気温が入って花がダメになるからやめろ」と言われてしまったのだ。
なのですみれは、花の苗に付属している説明書きを店頭客用に綺麗に書き直そうと思い至った。書いていればすみれも覚えるし、一石二鳥だ。本で知識を得た今、実物を見ればもっと深く花について知ることができるだろう。
そう思ったすみれは、まずは可愛いプラカードのようなものがあるかなと、塩崎に相談をした次第だった。
そして先のやりとりに至る。
塩崎はあまり表情がかわらずぶっきらぼうなので、何を聞いても「怒らせてしまったのだろうか」と萎縮してしまう。
しかしこれが塩崎の素の表情なのだと二週間という短い時間ながらも気づくことができたので、すみれはちょっとどきどきする気持ちを抑えつつ返事を待った。
塩崎は顎に手を当ててしばらく考え込んだ後、バックヤードに引っ込んで、それから大量の黒いプラカードのようなものを抱えて戻ってきた。
「これ使って。ペンはこれ。しばらく使ってないからインクが出るかどうかわかんないけど」
言葉少なに伝えながら、どさどさとレジ横のわずかなスペースにプラカードを積み上げる塩崎。見ればそれは、煙突のついた家のような形をしており、なかなかお洒落だった。
「わっ、可愛いですね」
「昔親父が大量に発注してたの思い出した。まだ残ってて良かったよ」
すみれはペンのキャップを取り、カードの端にチョンと試し書きをしてみた。白いインクはしっかりと出る。指で擦れば簡単に落ちた。
「使えそうです」
「そう。じゃ、よろしく」
「はい!」
自分のアイデアが採用されたことが嬉しく、すみれがいつもより元気よくそう返事をすれば、塩崎は若干面食らったような顔をする。
「そんな大きい声出せるんだ」
「あっ、うるさくてごめんなさい」
「いや? それくらいの方がいいんじゃない」
そう言ってくるりと背を向けてしまったけれど、すみれはドキドキする胸を撫で下ろし、店頭にある花を早速取りに行った。
何の花からやろうか。
店頭に並ぶ色とりどりの花を眺めながらすみれは考え、ふと目についたのはマリーゴールドだった。色鮮やかなオレンジ色の花を次々に咲かせるマリーゴールドは、昨日行った古川書店の店長橙さんを思い起こさせる。
橙さんはやっぱり、橙色の花が好きなのかな、などと考えながら苗を一つ手に取った。
マリーゴールドはかなりポピュラーな花で、いろいろなところで見かける。切花にすることはあまりないだろうが、代わりに駅のロータリーや道の脇の花壇などによく植えられている。それは一見するとありふれた光景すぎて通り過ぎてしまうのだが、よくよく気をつけて見てみると確かにいろいろな場所に存在し、健気にも花を咲かせているのだ。
ビタミンカラーのその花は、確かに見る者を元気付ける力を持っている。塩崎生花店で売られているのはまだまだ満開には程遠い、蕾の状態のものばかりだが、きっと買った人が花壇に植え、一週間もすれば花を咲かせるだろう。
すみれは苗に差さっている説明札を抜き取り、裏返して説明を読んだ。
『マリーゴールドは日当たりと水はけの良い場所で育てる。暑さに強く初心者でも育てやすい。独特の香りがある草花で、害虫よけにもなるので野菜畑に植えるのも良い。花がらをこまめに摘み、七月に切り戻すと秋に再び花を咲かせる』
説明全てを丸写しできればいいのだが、残念ながらプラカードの大きさ的にそれは不可能だ。内容を吟味しなければならない。
すみれは少し考えて、黒いプラカードにこう書いた。
『初心者にも育てやすい! 暑さに強く開花時期も長い。香りは虫除けにも!』
我ながらなかなかいいんじゃないかと思い、ちょうど手が空いていそうな塩崎の元へとカードを持って行った。
「塩崎店長、マリーゴールドの説明、こんな感じでどうでしょうか」
だが塩崎は、すみれの書いた説明を一瞥し、抑揚のない声を出した。
「マリーゴールドは確かにその独特な香りでアブラムシやコナジラミなどの害虫避けに効果があるが、それだけじゃない。根から『α-タチニエール』という成分を分泌してセンチュウ対策に効果がある。害虫よけに関して書くならそこまで書くべきじゃないか」
「あ……でも、スペースがなくってですね」
「これだと誤解を招く気がする」
花に対して真面目な塩崎は極めて真剣な表情で訴えてくる。
「とりあえず興味を持ってもらうのが目的なので、香りが虫除けになるのは嘘じゃないですし、いいんじゃないかなと思うんですが……」
だんだん声が小さくなって尻すぼみに終わってしまった。上目遣いに窺い見れば、塩崎はしばらく考えてから頷いた。
「確かに、客の目を惹くのは重要なことだ。織本さんの案でいこう」
「あ、ありがとうございますっ」
却下されなかったことに安堵を覚え、すみれはさっそくプラカードをマリーゴールドの苗のそばにテープで貼って固定した。
「やあ、こんにちは」
振り向けばそこには、昨日会ったばかりの古川書店の店主がいた。今日も目が覚めるようなオレンジ色のフレームの眼鏡とネッカチーフが印象的だった。古川書店の店主こと橙さんは、マリーゴールドに目を向ける。
「マリーゴールドか」
「はい」
「マリーゴールドは、いいよね。ほれぼれするようなオレンジ色の花を咲かせる。育てやすい。おまけに、虫よけにもなるときた。買わないわけにはいかないな。二つ貰えるかい」
「はい、かしこまりました」
すみれは橙さんの要望に応え、マリーゴールド二つを手に取った。できるだけ蕾が多く、花をたくさん咲かせそうなものを選んだ。それをビニール袋に慎重に詰めていく。
「どうぞ」
「どうも、ありがとう」
橙さんは代金と引き換えにマリーゴールドの入った袋を提げ、ニコニコしながら店を出る。
すみれはその後も、接客をしたり空いた時間にプラカードを書いたりして過ごした。閉店後、店頭の花の苗を店の中にしまい、掃き掃除をすればすみれの仕事は終わりだ。
「お疲れ様でした」
「ああ」
塩崎は相変わらず、店から帰る気配がない。そそくさと帰ろうとしたすみれに、塩崎が声を掛ける。
「プラカード、ありがとう」
その声色はいつもと同じく、特に感情がこもったものではなかったけれども。いつもはパソコンの画面から目を離さないで「お疲れ様」と言うだけの塩崎が、わざわざ椅子を回転させてすみれに向き合い、礼を告げたということが、すみれにとってはたまらなく嬉しかった。
「……はいっ」
「お疲れ様」
くるっと椅子を回転させて塩崎はもうパソコンに向かってしまった。それでもすみれは嬉しくて、「お疲れ様でした」ともう一度言うと、弾む足取りで店を出る。
すみれはただのアルバイトで、花に関する知識なんて何一つないけれど。それでも、こういうちょっとした部分を褒めてもらえると嬉しい。
(こういうのを、やりがいっていうのかなぁ)
未だ大学生活に馴染めないすみれにとって、塩崎生花店で働くひとときは楽しいものだった。お世辞にも愛想がいいとは言えない塩崎だったが、それでもうどんを奢ってくれたり、本を貸そうかと言ってくれたり、買ったら本代は請求してくれと言ったり、親切な部分もある。それに、商店街の人たち皆が塩崎をフォローするので、悪い人じゃないんだなということが伝わってくる。本当にダメダメな人だったら、あんなにかばうような真似はしないだろう。
(それから、花をとっても大切に扱うし)
慈しむような手つきで花の手入れをする塩崎の横顔は、思わず見惚れてしまうほど優しい顔をしているのだ。きっと本人は気がついていないだろうけど。
通りすがり、ちらりと古川書店を見てみると、店の軒先に植えたばかりのマリーゴールドが二株、煉瓦色のプランターの中で夜風に揺れていた。
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