第9話 不思議なお店とミッチャン②

「ごめんください」

「はい、いらっしゃいませ。あぁ、山本さん」

 塩崎はすばやく客のところへ行く。

「この間はどうもねぇ。主人のくれたミッチャンがとても綺麗で。それでね、枯れちゃったからまた買いに来たんだけれど」

「花束にしますか?」

「今日はミッチャンだけ、二本くださる?」

 伝票を書き終えたすみれはミッチャンという言葉に反応した。

 ミッチャン、どんな花なのだろうか。ちらりと視線を上げれば、「お待ちください」と言った塩崎がフラワーキーパーを開けて花を取り出した。すみれの視界に濃いピンク色のボールみたいな形の花が映った。あれがミッチャンなのだろうか。

「おまたせしました、ミッチャンです」

「ありがとう」

 レジに移動した塩崎が現金の受け渡しを終えると、山本時計店の奥さんは至極大事そうにミッチャンを抱えて去って行った。

「ミッチャンって、あの花の名前なんですか?」

「そう。より正確に言えば、ダリアの一種」

 ダリアなら知っている。有名な花のひとつだ。花びらが幾重にも重なったおおぶりの豪華な花で、一本でも存在感がある主役級の花。

 塩崎はフラワーキーパーから先ほど山本時計店の奥さんに渡した花を取り出した。

「これがミッチャン。ダリアの中でも人気がある品種で、水下がりしやすいから葉は取り除いて、湯揚げや深水でしっかり水揚げする必要がある。ちなみに名前の由来は、農協の人の名前からつけたらしい」

「えっ、本当ですか?」

「面白いだろ。他にもレイコチャン、愛ちゃんなんて名前のダリアもある」

「へえ」

 すみれは感心した。ダリアといえばなんとなく高貴な感じの花だったが、そう聞くと一気に親近感が湧く。

「同じ花でもいろんな種類があるんですね」

「そう。特に人気の高いバラは三万とも十万品種とも言われているし、年々新しい品種が生み出されている。ダリアもいろんな種類があるし、奥が深い」

「確かに」

 すみれは今まで花に大して興味がなかったので、種類に関してなどよく知らなかった。バラにはいろんな種類があるというのはなんとなく知っていたが、それだけだ。

「私も花についてもっと勉強しようと思います」

「良かったら本貸そうか」

「いいんですか?」

「むしろ覚えてくれるなら助かる。バックヤードに何冊かあるから、気になるやつ適当に持って行っていいよ」

「ありがとうございます」

 とは言ったものの、いざ閉店後のバイト終わりにバックヤードにある本を眺めてみたら、専門的な分厚い本ばかりでとてもではないが初心者のすみれに読めるような代物ではなかった。

「どう? なんか気になる本あった?」

 塩崎はそう言いながらもすみれに背を向けて一心不乱にパソコンに向かって本日の売上金額を入力しており、こちらを見る気配はない。手元の伝票とパソコンの画面とを忙しなく見つめている。

「えっと、私にはレベルが高そうです」

「そう?」

「これから本屋さん行ってみます」

「じゃあ、買ったら金請求して。経費で落とすから」

「いいんですか?」

「あ? むしろ当然だ」

 相変わらずこちらを振り返らないが、ぶっきらぼうながらも優しさがありがたい。貧乏大学生にとって本代はけっこう馬鹿にならない。

「花の本なら、古川書店で扱ってるから行くといい」

「はい。お先に失礼します」

「おう、お疲れ様」

 塩崎を残し、すみれは店を出た。

 すみれの住む街は、駅を挟んで反対側に大型のスーパーが建っている。商店街に売っていないものはそのスーパーで買うことになるのだが、テナントで三階に大きめの本屋も入っているのですみれはよく利用していた。

 しかし今日は、商店街にある古川書店に行く。こちらは塩崎生花店の二軒隣にある本屋で、街の小さな店といったところだ。いつもスーパーの中にある本屋に行ってしまうので、実はすみれは入ったことがない。

 店に入ると、まずかび臭さが鼻を突く。すみれ以外に客がいない古びた店内には整然と本棚が並んでいるが、品揃えとしてはかなりまばらだった。

「いらっしゃい」

 レジのあるカウンターから声がかけられそちらを向くと、昼間に山本時計店で会ったオレンジ色の眼鏡とネッカチーフを身につけた老人だった。本屋の店長だったのか。

「おや、さっき山本さんの店で会った。何かお探しかい?」

「花の本を……」

「なら、右奥の本棚にあるよ」 

 会釈をしてからそそくさと園芸に関する本を扱っている一角に行ったすみれは、どんな本にしようかと迷う。初めて知ったが、一口に園芸本といっても様々だ。

 多肉植物を扱った本、寄せ植えの本、ハーブの本、香料用の植物の本、薬になる植物の本など。

 すみれは何冊か花に関する本を抜き出し、めくってみて、「花屋さんが解説する花の本」というタイトルの本に決めた。花の種類が多く写真もたくさん載っていて、花の特徴だけでなく水揚げ方法や出回り時期、花言葉まで掲載されている。しかも季節ごとにカテゴリー分けされているのでわかりやすい。

 値段も二千円と、高すぎず安すぎずちょうどいい。

 それにしても、全体的に本棚がスカスカにもかかわらず、なぜか植物に関する本はたくさん並んでいる。不思議に思いながらレジに行くと、オレンジ色の老人が会計をしてくれた。

「竜胆君がちっちゃい頃から植物の本をたくさん注文してくれるからねぇ、うちは植物に関する本をたくさん置いてるんだよ」

「あぁ、そういう理由で……」

「あとは山本さんや安村さんに頼まれて、コーヒーやお菓子作りに関する本を置いているし、岡田さんに言われて着付けの本なんかも置いてある」

 随分と商店街の人たちの意見を取り入れている店なのだな、と思った。

 レジの横にはオレンジ色のコイントレーと、オレンジ色の陶器でできたかえると、オレンジ色の夕焼けが映った写真の入った写真立てと、みかんの置物が置かれている。おそらくこのみかんは、正月の鏡餅の上に乗っているやつだろう。プラスチック製のみかんが七個も並んでいて、レジ横で存在感を醸し出していた。それらをじっと見ていると、本を手渡しながら言葉が加えられる。

「僕は橙色が好きで、ついつい橙色のものばかり買ってしまうんだ。ほら、明るい色合いだから気分があがるだろう? それでついたあだ名が橙さんだ。はい、これ、商品」

「ありがとうございます」

「またのお越しをお待ちしています」

 だいぶ嗜好が偏った本屋だった。それに、レジ横の置物の統一性のなさがすごい。いや、全部オレンジ色だったからその点は統一がされていたけれども。

 自宅に帰ったすみれは、早速買ったばかりの花の本を眺めた。今は春なので、春の花について調べる。塩崎生花店で扱っている花に関しても詳しく書いてあった。

 たとえば、マーガレット。

 マーガレットはキク科の植物で、暖地では花壇に、寒地では鉢植えにする。切花の場合は湯揚げで水揚げをする。寒風に当たるとしおれてしまう。モクシュンギク属、原産地はカナリア諸島。花言葉は心に秘めた愛、恋占い。和名は木春菊。

 身近で目にするマーガレットに関してだけでもこんなに色々なことが書いてある。

 苗のポットに差し込まれている札にも簡単な説明は書いてあるが、ここまで詳細には書かれていない。

 楽しくなったすみれは、どんどんいろんな花の説明を読んでいく。

 ふと思い立ったすみれは、塩崎の名前である竜胆について調べてみた。

 リンドウはリンドウ科の植物で、秋に咲く。国内の野山に自生し、「枕草子」や「源氏物語」にも登場する代表的な和花の一つ。根は生薬の原料にもなる。庭植えは西日の当たらないところに植え、鉢花は日当たりと風通しの良い戸外に置く。水揚げは切るのではなく折る。属性はリンドウ属、原産地は日本。花言葉は勝利、正義感、誠実。

 リンドウの花はスミレと同じ紫色だったが、スミレよりも大ぶりな花が一本の茎から縦に等間隔に何輪も咲いている。華やかだが落ち着きのある花で、花言葉も相まって高貴な感じに見えた。

「確かに塩崎店長にちょっと似ているかも」

 写真のリンドウを見て、すみれはそう独りごちた。

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