第8話 不思議なお店とミッチャン①
山本時計店は商店街で三十年、時計店を営む老舗だ。
しかし今時、時計店が儲かるのかと聞かれたら、答えは「儲からないんだなぁこれが」という一言に尽きる。
たまに電池の取り替えや修理で訪れる客もいるのだが、ほとんど客足は絶えている。新しい時計が売れることなんぞまず滅多にない。
そこで店主の
そうして戻って来た山本は、時計店の規模を縮小してコーヒーを出す店にしようと思い立った。
しかし商店街の店というのは基本的に間口が狭く奥に細長い、狭小店舗である。ここでコーヒーを出すのは大変だなぁと思った山本は、隣のカメラのヤスムラの店主
安村権太は商店街で三十年、カメラ店を営む老舗だ。
しかし今時、カメラ店が儲かるのかと聞かれたら、答えは「儲からないんだなぁこれが」という一言に尽きる。
そこで安村権太は、ちょうど山本が「しばらく店を休みにして趣味のコーヒーについて勉強してくる」という言葉を聞いた時、思った。「俺も趣味だったケーキ作りについて本格的に学ぼう」と。
安村は店を閉め、ケーキ工房で働いてパティシエとしての研鑽を積んだ。齢五十歳を超えての大冒険だった。そうして安村がケーキ作りの腕をめきめきとあげたところ、隣の山本時計店の店主の山本聡が帰って来て、言ったのだ。
「一緒に店をやらないか」と。
二つ返事で話に乗っかった安村。
店を隔てる壁を壊し、机と椅子を設置した。二店舗合わせても狭いので、長机に向かい合わせで座るスタイルだ。カウンター席も少しだがある。安村が毎日二階の居住スペースでケーキを焼き、山本が挽きたてのコーヒーを淹れる店は地域住民、主に高齢者の間で人気となり、日々客が訪れている。
ついでに時計の電池交換や修理をしたり、最近ちょっとだけ需要が復活した使い捨てカメラのフィルム現像をしたりもしている。
ちなみに店の名前はないので、「山本さんとこのコーヒー飲みに行こうか」「いいねえ、安村さんのケーキも食べたい」などと言った会話が地域住民の間では交わされていたりする。
「というわけで、山本時計店とカメラのヤスムラが合体して喫茶店をやっている理由だ」
「へえ」
すみれはバイトの休憩時間に思い切って入った山本時計店で、店主の山本聡からそんな話を聞いた。
店主の山本はすみれが一度会ったことのある人物だった。
塩崎生花店で最初に働いた日に来ていた人物だ。山本はあの日と同じベレー帽とグレーのチェックのセーターという出立ちで店で働いており、その特徴的な服装からすぐに同一人物だと思い出すことができた。
「最近ではコーヒーとケーキだけじゃなく、こうして軽食なんかも出している」
すみれが注文したのは、ドリップコーヒーとクロックムッシュ。山本が淹れたコーヒーは苦すぎず酸っぱすぎず飲みやすく、クロックムッシュは中に挟まれたハムとチーズ、そして食パンの上にかけられたホワイトソースがフライパンで焼かれてこんがり香ばしく、クリーミーで美味しい。とても本業が時計屋とカメラ屋であるとは思えない。
山本の説明通り、昼下がりの店内には高齢者や近所の奥さんが集まっていて会話に花を咲かせている。
「壁にかかっている時計はウチの創業当時からあるもので、写真は安村さんが自分で撮ったもの」
元々別の店を無理やり一つにしたせいか、山本時計店のほうはシックな濃茶の壁に時計がたくさん掛けられており、床も同じく濃茶色。時計は今時珍しいアンティークな振り子時計で、長針が十二を指すたびに「ボーンボーン」と音が鳴る。その他にも学校に置いてありそうな丸い時計や、ちょっと変わった仕掛け時計と色々な時計が飾ってあった。
対してカメラのヤスムラの方は明るい白い壁と床で、写真はヨーロッパやアジアの建物を写したものから山や森林、植物、人物までさまざまなものがおさめられていた。
中心で二分されている店はどちらかの嗜好に合わせようという気が全くなく、店主たちの趣味が完全に反映されている。いっそのことすがすがしい。
店の最奥にカウンターがあり、山本がそこでコーヒーを淹れている。隅のショーケースには安村が焼いたケーキが陳列されている。チーズケーキやシフォンケーキ、チョコレートケーキが陳列されていた。
クロックムッシュを食べたすみれの前に、小さな皿が置かれた。見ると、丸眼鏡をかけた白髪の老人、安村がにこりと笑っている。
「どうぞ。サービスです」
「ありがとうございます」
サービスされた一切れの小ぶりなチーズケーキにありがたくフォークを刺す。しっかりしたチーズの味に混じって、レモンピールが入っていた。柑橘の爽やかな香りが抜ける。丁寧に作られているケーキだった。
「竜胆くんのお店はどうだい?」
不意に尋ねてきたのは山本だ。
「楽しいです」
「そうか。そういう人は珍しいから、良かった」
山本は丁寧にコーヒーをドリップさせながら言葉を続ける。
「竜胆くんはいい子なんだけど、ぶっきらぼうだから人に誤解されやすくてねぇ。特に忙しかったりすると、喋らなくなるだろう。向かいの店だからよく見えるんだが、しょっちゅうアルバイトが入れ替わっていて大変そうだったから。特に今は、お母さんが入院中だろう? 一人でなんとかしようと気を張ってるのがわかるから、尚更だねぇ」
「みなさん、塩崎さんを気にされているんですね」
「竜胆くんは商店街で育った子だからね」
山本は丁寧に丁寧に淹れたコーヒーを写真がプリントされた大きめのマグカップに移し、自分で飲み始めた。
「今日も自分で淹れたコーヒーが美味い」
なんというか、幸せな商店街だなと思った。営業時間中にコーヒーを堪能しはじめた山本は、再びすみれに話しかける。
「ちょっと気難しい部分もあるだろうけど、支えてやってくれよ」
塩崎は二十五歳にして立派に店を切り盛りしている社会人で、すみれは今月十九歳になるばかりのひよっこ大学生だ。
なのに商店街の人々に「竜胆くんをよろしく頼む」と言われるのがおかしくて、すみれは思わず笑いながら「はい」と答えていた。
「こんちは、山本さん」
「おぉ、橙さん。こんにちは」
山本時計店の扉が開き、来客を告げた。なんとなく背後を振り返ったすみれはぎょっとした。
入ってきたのは六十代ほどの男性だ。穏やかな笑みを浮かべた小柄な老人なのだが、かけている眼鏡フレームと首元を飾るネッカチーフが鮮やかなオレンジ色で、思わず二度見してしまう。おもわず凝視するすみれにちょっと笑いかけてくれた老人は、まっすぐテーブル席に腰掛けた。山本も安村も注文など何も聞かずに準備を始めている。やがて用意ができたドリップコーヒーとクロックムッシュを載せたトレーを持って、山本が老人の元へと行く。
「店はどうだい」
「あまり。この店みたく、何か考えないとダメかもなぁ」
「頑張ってくれよ、橙さん」
「ああ、まあ、ぼちぼち」
苦笑する老人はコーヒーカップを持ち上げた。すみれは休憩時間が終わるので、「ご馳走様でした」と言って代金を支払って店を出た。
「休憩ありがとうございます、戻りました」
「おう」
午後二時を回ったこの時間帯、客足は途切れて人はあまり来ない。塩崎は店の前のカウンターで、配送用の花のアレンジメントを作っている最中だった。
塩崎は昼の休憩を取らない。
きっと、まだすみれを一人で店に立たせておくのが不安なのだろう。朝早くから市場に行き、ずっと店につめていて、閉店後も事務作業をしている塩崎はどう考えても業務過多なのだが、黙々と仕事をこなしている。
すみれは思い切って提案した。
「あの、塩崎さんもお昼食べたらどうですか?」
「いらん」
バッサリと切って捨てられた。
「……そうですか、すみません」
心が折れたすみれは、もう余計なことは言わないで仕事に専念しようと心に誓う。そんなすみれの落ち込み具合に気がついたのか、顔をちょっと上げた塩崎が言葉を付け加える。
「食べると眠くなるから昼はいつも食ってないんだ。代わりに朝と夜にガッツリ食べてる」
「そうなんですか」
「今日は朝からカツカレー」
「そうだったんですか……!」
「市場行く日は特に、体力使うからすげえ食ってる」
アレンジメントの出来具合を全方位から確認していた塩崎は、満足したのか「よし」と言ってから配送用伝票をすみれに手渡して来た。
「これ、書いといてもらえる? 住所ここに載ってるから」
「はい、わかりました」
信用されてないわけではなく塩崎の生活スタイル的に昼食を取らないだけなのだと知ったすみれは、安心して伝票を受け取りそこに住所と名前を記載した。
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