第7話 広がる世界と小さなスミレ③

 花屋には色々な人が花を求めてやってくるが、大体がプレゼントだ。

 誕生日に、記念日に、ちょっとしたお祝いに花を買いに来る人が多い。店頭に並んでいる既成のブーケを買っていく人もいれば、金額を指定してオーダーメイドする人もいる。塩崎はそうした人の話を丁寧に聞いていた。

 本日やって来た客は五十代ほどの女性客で、都内で買い物をしてきたのだろう、手にどっさりと有名菓子店や本屋の紙袋を提げていた。


「三千円くらいの花束を作ってもらえる?」

「贈り物ですか?」

「そうなの、娘の誕生日祝いにね」

「色味や、花の好みはありますか」

「ピンク色が好きねえ。あとは、バラが好きだったかしら」


 塩崎は女性客の話を聞き、花を保存しているフラワーキーパーを開けると、花束を作り上げていく。


「バラばかりを使うと単価が上がってボリュームに乏しく寂しい花束になってしまうので、ピンク色のバラを中心にガーベラやかすみ草を混ぜて作りました」

「あら、かわいい」


 女性客が言うように、その花束は可愛らしい色合いのものである。まるで春の野に咲く花を思い切り摘み取り、形にしたかのようだ。ピンク色の花束は華やかで見ているだけで気分が上がる。最後に綺麗に包めば完成だ。


「これなら娘も喜ぶわ。実は夏には結婚して北海道に引っ越してしまうから、誕生日を祝うのもきっとこれが最後なの」


 女性客はすでに大荷物を抱えていたが、花束をそっと受け取ると、潰さないように気をつけて抱えながら去って行った。

 すみれはその時、店の前で花の苗を見ている客がいることに気がついた。

 札をじーっとみつめて、苗をじろじろと見つめていた。すみれと同じくその客に気がついた塩崎がさっと店頭に向かうと、客に話しかけた。


「何かお探しですか?」

「あ……いえ、ちょっと」


 しかし塩崎に話しかけられた客は、気まずそうに曖昧な返事をするとそそくさと去って行ってしまった。塩崎が息を吐く。


「まただ、俺が話しかけるとああして逃げていく客が多いんだよな。顔が怖いのだろうか。俺、愛想ないから」


 塩崎は自分の頬をムニムニと揉みしだいてから、口角をニッと持ち上げた。


「俺の接客スマイル、どう?」

「えーっと、目が笑ってないです」

「…………」


 すみれの返事に塩崎は憮然とした表情になった。


「し、塩崎さんの表情はともかく、話しかけられるのが苦手ってお客様もいると思いますよ。私も人と会話するのがそんなに得意ではないので……」

「そう? でも何を買おうか迷ってんなら、店員に聞いたほうが早くない? 別に押し売りする気はないし、少なからず話を聞けば参考になるだろうからさぁ」

「それでも話したらなんか買わなくちゃいけない気持ちになったりするので……」


 すみれの話を聞いた塩崎が腕を組んでうーんと唸る。すみれは閃いた。


「そうだ、値札の部分に簡単な花の紹介を書いたらどうですか? ううん、書かなくても、ポットに差し込まれてる説明文を貼り付けておくだけでもいいかもしれません」

「あれを?」

「はい。あれには花の簡単な紹介や育成方法が書いてあるので、どんな花を買えばいいか迷っている人の手助けになると思います」


 花の苗には必ず、その花の名前と育成方法、開花時期などが書かれているプラスチック製の札がついている。大体が花の邪魔にならないよう裏に差し込まれているので、まだ買う前の段階ではその説明文をじっくり読むのも難しいだろう。

 だから、わかりやすいところに貼っておけばいい。見栄えはイマイチかもしれないが、お客様にとってはありがたいだろう。

 塩崎は顎に手を当ててしばらく考えていたが、やがてゆっくりと頷いた。


「うん、いいかもしんないね。じゃあさっそく、作業してもらえる? いっこずつ苗のところから札を抜き出していいから」

「はい!」


 自分の意見が聞き入れられたことが嬉しく、すみれはいそいそと作業を開始した。すみれがしゃがみこんでせっせと札を抜き出し、わかりやすい場所に貼るという作業をしていると、頭上から朗らかな声が降ってきた。


「やあ、織本さーん」

「こんにちは、蓮村さん。いらっしゃいませ」


 先日塩崎に連れられて行ったうどん屋、いろり庵の店長蓮村だ。四十代半ばほどの蓮村は、うどん屋のロゴが入ったデニム生地のエプロンをつけたまま、右手に惣菜屋あさひの茶色い袋を持っている。すみれは立ち上がった。


「休憩中ですか?」 

「そう。織本さんもちゃんと休憩取ってる? 竜胆くんにまた忘れられてない?」

「大丈夫です、さっきもらいました」

「ならいいんだけど。今日は店に飾る花を買いに来たんだ」

「奥に塩崎さんがいます」

「おーい、竜胆くーん、来たよー」

「ガーベラ枯らしたの?」

「うん、ぐったりしちゃって茎から変な汁が出て花瓶の水が濁ってた。今度は違う花がいいんだけど」


 塩崎は蓮村と親しそうにしゃべり、やがて蓮村が店の奥から花を持って出てくる。普通、自宅用の花を購入する客には白い紙で包んで花を渡すのだが、蓮村は茎を輪ゴムで束ねただけの花を持って店を後にした。


「すぐに生けるから包装はいらないんだとよ」

「商店街の人、蓮村さん以外にも来るんですか」

「来る。たとえば向かいの、山本時計店の山本さんとか」


 塩崎はそう言って向かいに佇む店を指差した。

 塩崎生花店で働き出してから気がついたのだが、山本時計店はちょっと変わっている。

 頻繁に人が出入りしているのだが、山本時計店に入って行った人が隣のカメラのヤスムラから出て来たりするのだ。店の前には看板が出ており、そこには「本日のコーヒー(ホット・アイス)三百円」とか「カフェラテ三百五十円」とか書かれている。


「あのお店、時計店なんですよね?」

「まあ、そうだな。気になるなら今度入ってみたら?」

「時計店って用もないのに入る場所じゃなくないですか?」

「山本さんの店は気軽に入れる」


 そこに客がやってきたので、会話は途切れたが、客は見知った人物だった。すみれのアパートの大家の奥さんだ。


「あら、すみれちゃん。あなた塩崎生花店でアルバイト始めたのね」

「はい、なりゆきで」

「私もよく利用するんだけれど、塩崎さんのところのお花はものがいいからとってもよく花をつけるのよ」

「そういえばお庭にいろんな花が植えてありましたね」

「そう。うまく育たないと竜胆くんに相談したりしてね。竜胆くんは小さい頃から花が好きで熱心に教えてくれるから、助かっているの」

「今日はどうしたんですか?」

「ちょうど肥料が切れてしまったから買いにきたのよ」


 塩崎生花店には肥料や活力剤の類も置いてある。大型ホームセンターには遠く及ばないが、それでも店頭で扱う花と一緒についで買いする人などもいるため、あれば便利だ。


「じゃあ、すみれちゃん、アルバイトがんばってね」


 それからこっそりとすみれにだけ聞こえる声で耳打ちする。


「竜胆くんはあまり愛想ないと思うけど、いい子だからめげないでね」


 大家の奥さんはいくつかの肥料と活力剤を買って、店を後にした。


「今、なんて言われたの?」

「いえ、特に」

「ふうん……どーせ俺の愛想がないとかそういう話だろうけど」


 若干不貞腐れたように言う塩崎に、すみれは慌てて言葉を重ねた。


「愛想がないけど、いい子だからめげないでねって言ってました」

「なんだそれ。俺、子供かよ」


 憮然と言う塩崎は、なんだか大人の男の人というよりは本当に子供っぽく、すみれは思わず笑ってしまった。


「塩崎さんって知り合いが多いですよね」

「まあ、ずっとこの街に住んでっから。ガキの頃から店の手伝いしてたから、顔は覚えられてるんだろうな」

「愛されていますよね」

「は? ただ子供扱いされてるだけじゃん」

「でも、そうやって色んな人に心配してもらえるのって、愛されてる証拠じゃないですか」

「やめろ。仕事に戻るぞ」


 塩崎は心底嫌そうに顔を顰める。でも若干照れ隠しのようなものが見えたのは、すみれの気のせいではないだろう。

 その日の夜、帰ってからすみれはベランダに出しているスミレの様子を見た。

 塩崎に教わった通りに表土が乾いたら水をやり、日当たりのいい場所に置いていたら、どんどん蕾が膨らんで次々に花を咲かせている。確かに植物初心者にも育てやすい花だった。

 まだこの花が「好き」と言えるレベルには達していないけれど、それでも前よりは愛着が持てるようになったのは確かだった。

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