第11話 祖父と孫と祝いのグロリオサ①
朝七時。一限がある日は朝が早い。と言っても普段はこんなに早い時間には出ない。一限は九時からだし、すみれの家から大学までは三十分もあれば余裕で着く。一限で提出するレポートをうっかりやり忘れていて、急ぎ仕上げるために早めに大学の図書館に行く必要が出てきてしまったのだ。
あくびを噛み殺しながら未だ慣れない大学へ向かうべく最寄り駅まで歩いていると、すみれの横を制服を着た中学生らしき人物が通り過ぎていく。遅刻しそうなのだろうか、走っている後ろ姿は軽快だ。しかしすみれはその中学生のリュックから、アクリルキーホルダーが外れて転がり落ちたのを見た。
拾い上げたキーホルダーは、赤い炎が燃え上がっているかのような頭をした二等身のキャラクター、最近流行りのフレムちゃんというキャラがプリントされている。フレムちゃんは炎の化身で、いつも前向きな言葉で激励を送ってくれるのだ。キーホルダーには吹き出しがついていて、「絶対負けんなよ!」と書いてあった。実にフレムちゃんらしい。ちなみに他には、いつも優しく励ましてくれるアクアちゃん、楽しい気持ちにしてくれるウェンディちゃん、和やかな雰囲気のアースちゃんなどのキャラもいる。
「あのー、キーホルダー落としましたよ」
すみれは中学生を追いかけながらキーホルダーを手にかかげて振った。しかし中学生はよほど急いでいるのか、気がつかない。
「あのっ、フレムちゃんのキーホルダー!」
すみれは思い切ってもう少し大きな声を出す。走って追いかけてはいるのだが、その中学生は足が速いのですみれとの距離は開くばかりだった。周囲の人目を若干引いてしまったが、とにかく中学生は足を止めて振り返ってくれた。
短い黒髪がよく似合う、つり目の女の子だった。
すみれはどうにか女の子に追いつくと、息も絶え絶えにキーホルダーを手渡した。
「はい……これ、どうぞ」
「ありがとうございます」
女の子はキーホルダーを握りしめ、お辞儀をする。そこに、二人の女子中学生が出現した。
「ヤスムラーっ、おはよ!」
「ヒナミ、今日も早いね」
「ヨシムラ、カナ。おはよ」
フレムちゃんのキーホルダーを握った女の子は二人に挨拶をすると、すみれに背を向けそのまま駅の階段を上っていく。三人とも活発そうで、学生リュックには野球の球のキーホルダーがお揃いでついていた。野球部なのだろうか。
すみれは三人が階段を上っていく様子を、羨ましく思いながら見つめた。
(いいなぁ、友達……)
未だ大学で友達ゼロのすみれからすると、仲良さそうに登校する三人の姿は非常に眩しく映る。
ため息を一つ吐き、すみれも階段をのろのろと上り始めた。
カメラのヤスムラの店長こと安村権太には最近悩みがある。すみれは塩崎生花店での昼休憩中、カメラ店なんだか時計店なんだか喫茶店なんだかよくわからない店内で昼食のクロックムッシュを食べながら、安村の悩みを聞いていた。
安村は丸い黒縁眼鏡をかけた、五十代の男性だ。山本同様温厚そうな顔をしており、山本より少し丸い。「ケーキの試作品を食べすぎて太った」と言っていた。
「孫が俺に懐いてくれないんだよ」
「お孫さんですか。おいくつなんですか?」
「十三歳の女の子」
「結構大きいんですね」
「中学一年生だ。野球部に入ったらしい」
「スポーツ系ですか、羨ましい。私は全然運動ができないから」
すみれの運動神経はからきしだ。ボールを投げれば相手に届かずボテボテと地を這うし、マラソンをすれば全校生徒中ぶっちぎりのビリだし、反復横跳びをすれば足がもつれて転んでしまう。筋金入りの鈍臭さだった。
安村はたぷつく顎の肉を震わせながらため息を吐き出した。
「昔は店にも遊びに来てくれたし、『じぃじ〜』って言って懐いてたんだけどなぁ。思春期に入ってからは、どうにも距離を置かれてしまった。寂しい限りだよ」
「年頃の女の子が来るには、敷居の高い店ですよね」
「そうかね? 織本さんは来てくれるじゃない」
「私はこっちに友達もいないし、休憩時間に寄るのにちょうどいいので……でもずっと育った場所で、知り合いも多いなら、やっぱりちょっと恥ずかしいと思いますよ」
「そんなもんかね?」
安村が店内を見回すので、すみれもつられて視線を送る。
山本時計店とカメラのヤスムラを合体させて出来上がった店内は、一言で言えばカオスだ。壁には時計と写真が飾られ、一時間おきに振り子時計が時を告げる。店内に備えられたテーブルには、主にご近所に住むお年寄りが集って他愛もない話をしていた。
中学一年生の女の子が積極的に立ち寄りたい場所ではないだろう。同級生に見られたらと思うと恥ずかしい。行くならばチェーンのファーストフード店か小洒落たカフェの方がいい。駅反対側の大型スーパーの中にはそうした店もテナントとして入っているから、若者が集うならば断然そちらだ。
「孫が好きなケーキも作ってるんだがねぇ。ほら、ティラミスだよ。山本さんのコーヒー豆を使って作った。織本さんにも一切れあげよう、サービスだ」
「いつもサービスしてもらっちゃって、ごめんなさい」
「いいんだよ。若い子の感覚を知りたいだけなんだから。それにこういう時は『ありがとう』と言うべきだ」
安村は眼鏡の奥のつぶらな瞳をギュッと瞑った。おそらく、ウインクだ。すみれは
「ありがとうございます」と言い直してからティラミスを頬張る。
スポンジに染み込んだコーヒーの味わいがほろ苦い。マスカルポーネクリームの濃厚な味わいが癖になる。
「どうだい?」
「美味しいです」
「それは良かった。まだ孫に入学祝いすら渡せていないんだ。学校生活と部活が忙しいらしくて会えないんだ。近くに住んでいるのに、もどかしいものだよ」
「何をプレゼントするつもりなんですか?」
「ティラミスをだねぇ。あとは本当は花でも送りたいんだが、孫は花に興味がないらしくて」
「ふぅん……」
「お祝いと言ったら花だと思ってしまうんだが、考えが年寄りで古臭いかな。可愛いものは好きではないと言われているし。何をあげれば良いやら。現金が一番喜ばれるのはわかっているんだが……」
安村は寂しそうに笑った。すみれにも思い当たる節がある。小学生の時は毎年親に連れられて祖父母の家に行ったものだけれど、中学生になる頃にはあまり乗り気でなく、高校生になってからは行かなくなった。すみれの祖父母も会いに来てくれなくなってしまった孫を思い出し、こうして寂しさを募らせていたのだろうか。
「お孫さんはティラミスが好きなんですか?」
「ああ。最近はちょっとビターなお菓子を好むと息子から聞いていてねぇ。だからこうして作ってみたわけだ」
「じゃあ、ティラミスとお花を渡したらいいんじゃないですか。花をもらって嫌な気持ちになる人ってあんまりいないと思いますし」
「だがねえ。さっきも言ったのだが、可愛いものは好きじゃないと言うんだ。春の花といえば、チューリップやスイートピー、バラなんかだろう? 可愛い花だらけじゃないか」
「花で選ぶとそうなりますね。じゃあ、たとえば……花言葉で選んでみるとかどうですか?」
「花言葉で、か」
安村は太り肉な顎に手をやり少し考えたあと、ゆっくり頷いた。
「それは確かにいいかもしれない。うん。孫は野球部だから、何か勝利や成功を連想させる花なら喜ぶかも」
「塩崎さんに相談してみます」
「頼むよ」
昼の休憩を終えて塩崎生花店に戻ったすみれは、客がいない時を見計らって塩崎に相談をする。
「そんなわけで、勝利や成功といった花言葉の花ってないでしょうか」
「ある」
塩崎は短く答える。
「でも、今は店に置いてない。安村さんにいつ必要になるか聞かないと。あと、色とかの好みも。暇な時店に来るよう伝えてもらえるか」
「あ、はい、わかりました」
すみれは塩崎生花店を飛び出し、再びカメラのヤスムラの中へと入った。
「おや、織本さん、どうしたんだい」
「それが、塩崎店長が、花を仕入れるので花がいつ必要になるのかとか、色の好みとかを聞きたいので店に来て欲しいって」
「そうか、じゃあ行くよ。わざわざ呼びに来てもらってありがとう。山本さん、悪いがちょっと抜けるよ」
「あいよ。注文が入ったら、ケーキを出していいかい?」
「もちろん。よろしく」
安村は店の営業中にも関わらず、迷いなくカメラのヤスムラを出た。
「やあ、竜胆くん。早速来たよ」
「いつも思うんですけど、営業中なのに自由ですよね」
「まあまあ、ケーキは注文が入れば山本さんが出してくれるから」
昼すら食べずに店に居続ける塩崎としては安村の自由な行動が理解できないらしく、首を傾げながらも「まあ、いいや」と呟いていた。
「花が欲しいと聞いたんですけど」
「そうそう。孫娘のためにね」
「今年中学に入ったんでしたっけ」
「そうそう」
「どんな色がいいですか? 予算は? いつ要ります?」
「んー、そうだなぁ」
矢継ぎ早な塩崎の質問に安村は腕を組んで考え出した。
「色……は、何色が好きなんだろうなぁ。小さい頃はピンクとか紫だったけど。値段は四千円くらいで。渡すのは、いつにしようかなぁ」
「情報なさすぎですね。せめて色とテイストと渡す日にちははっきりしておきませんと」
「そうだなぁ」
塩崎の苦言に安村はのんびりと返事をする。
「家近いんだから、聞きにいけばいいじゃないですか。本人に秘密にしておきたいなら、息子さんから好みを聞き出すとか」
「そうだなぁ。本人は中学女子野球部の部活動で忙しそうだから、息子に聞くか……」
ふとすみれは、中学生、女の子、野球部というワードから今朝出会った女の子のことを思い出した。
「もしかして安村さんのお孫さんって、安村ヒナミって名前ですか? 黒髪ショートカットの」
「そうそう。お日様の日に南でヒナミ。よく知ってるね」
「今朝、落とし物を拾って。フレムちゃんのキーホルダー」
「フレムちゃん? 何だいそれは」
「最近流行りのマスコットです。火水風土の四種類のキャラがいるんですけど、フレムちゃんは力強い言葉で励ましてくれるタイプのキャラなんです」
「知らないなぁ。若い子の間ではそんなキャラが流行っているのか。竜胆くんは知っているかい」
「はい。何がいいんだろうと思いながら見ていました。まあ、でも、あのキャラが好きというなら……」
塩崎は顎に手を当てて少し思案した後、店の奥へと引っ込んでからスマホを手に戻ってくる。
「この花はどうですか。グロリオサという花で、『勝利』『勇敢』という花言葉があります。フレムちゃんの頭の形にも似ているし、お孫さんも気に入るんじゃないかと」
「へえ、珍しい形の花だね」
すみれもスマホを覗き込んでみた。
燃え上がる炎がそのまま切り取られたかのような、とても不思議な形の花だった。真っ赤な花びらは縁と中心部分が黄色で、それがまた揺らめく炎のような色合いに見える。花びらは細長く、波打つように反り返っている。力強さを感じる花だった。すみれは頷いた。
「たしかにフレムちゃんに似ていますね」
「『栄華』という花言葉を持つ赤いダリアと合わせると、お孫さんへの贈り物にいいんじゃないですか」
「確かに、竜胆くんの言う通りだ。次の土曜日に持って行ってもいいか、息子に聞いてみよう。また連絡があったら、お店に寄るよ」
「お待ちしてます」
ニコニコする安村はそのまま右手を上げると「じゃあ」と言って向かいのカメラのヤスムラへと戻って行った。
すみれは塩崎をちらりと見る。
「塩崎店長って、何か好きなものとかあるんですか?」
「花」
「花以外では?」
すみれの疑問にピタリと手を止めた塩崎は、苦悶に満ちた表情を浮かべた。うっかり嫌いな食べ物を食べてしまった人の顔に見える。が、別に質問に機嫌を悪くしたわけではないということを、すみれは知っていた。これは塩崎が悩んでいる時の顔なのだ。美形が台無しの顔つきについつい惜しいな、残念だなと思ってしまう。
「……花以外だと、いろり庵のうどんかな」
「確かにうどん、おいしかったです」
「それ以外はないかもしれない。物心ついた頃から花のこと以外考えたことなかったし」
「…………」
おそらく塩崎は、花を愛し、花に全身全霊を注いで生きてきたので、他の趣味とか好きなこととかを考えている暇がなかったのだ。
そこまで打ち込めるものがあるのに羨ましいなと思いつつ、未だ苦悶の表情を浮かべる塩崎に「変なこと聞いてすみません」と謝罪をした。
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