第2話 きみとの出会いとカーネーション②

 初めて入った生花店の中はひんやりとしていた。

 間口が狭くて縦に長い生花店の左手には花を保存している透明な冷蔵庫のようなもの、奥にはテーブルがあり、先ほどまで青年が作業していた場所だ。青年は店のもっと奥まで行くと、リボンやら筒状に巻かれたフィルムやらを手に戻ってくる。


「こっちの奥で、このラッピングに使う資材をひたすら同じ長さに切り揃えて。見本はこれ」

「はい」


 青年が手早く指示を出す。一度やると言ってしまったし、「やっぱり朝ごはん食べてから……」などと言い出せる雰囲気ではない。一分一秒が惜しいのか、青年はさっさと自分の作業に取り掛かり、ものすごい速度で花を扱い出した。

 すみれはとりあえずたまたま腕に通してあったヘアゴムで髪を結ぶと、青年に手渡されたハサミを持って、リボンを切っていった。ちらりと見ると、青年は大量のカーネーションをパチパチと同じ長さに切り揃えている。花を丁寧に手に取ると、余分な葉を落とし、茎を切る。単純な作業だが青年は決しておろそかにせず、まるで繊細なガラス細工を扱っているかのように花を大切に扱い、一本一本の状態を見極めているようだった。青年の目は花に注がれており、目つきは真剣だが花に対する慈しみのようなものも感じる。

 無駄のない手捌きと、優しい視線。そして柔らかな顔立ちが花ととてもマッチしていて思わずすみれは見惚れてしまった。


「手、動かして欲しいんだけど」

「あっ、はい」


 鋭い声に我に返ったすみれは、慌てて手渡された包装資材を切り揃える仕事に取り掛かった。

 透明なフィルムと不織布、そしてリボンをただひたすら切っていく。すみれと青年の間に会話はない。音楽すらないので、無音の時間が続いた。それを気まずいと若干感じたが、気軽に話しかけられる雰囲気ではなかった。青年からは「何がなんでも開店時間までにこの大量の花々を売り物にする」という希薄のようなものが感じられる。

 やがて青年がカーネーションの手入れが終わったようで、すみれが切った包装資材を手に、綺麗にラッピングを開始した。

 青年の手には澱みがない。花が傷つかないよう細心の注意を払いつつも素早くラッピングをしていく。

 すみれには気になることがいくつもあった。まず、青年の名前はなんなのだろう。「塩崎生花店」で働いているから、塩崎さんなのかな。それともバイト? 見た感じ若そうなので、バイトかもしれない。あの目の下のクマは、一体どうしたんだろうか。いつから休んでいないのだろう。

 すみれはそのどれもを口にしようとして、結局出せず、手元の資材を切る作業に没頭した。


「ねえ、リボン結べる?」

「はい」

「じゃあ、よろしく。花びらには絶対触らないように。それから、強く上から押し潰さないように。そうっと、でもリボンが取れないように結んで」

「はい」


 言われるがまま青年が築き上げた花束の一つを手に取ると、おっかなびっくりリボンを結んでいく。

 一輪のカーネーションが、青年の手により綺麗に整えられ、包装され、そして最後の仕上げにすみれがリボンをかけていく。なんだかとても重大な仕事を任されているようで、すみれはリボンが曲がらないように細心の注意を払いつつ丁寧に結んでいった。

 青年はリボンかけをすみれに任せると、自身はもう少し大きめの花束を作り出す。壁に貼られているメモを見ながら、「加藤さん用はーっと」などと言いながら冷蔵ケースの前まで二歩で移動し、扉を開けて花を素早く見繕い、花を組み合わせはじめた。

 それが終わると今度は小ぶりの茶色いバスケットを取り出し、そこに何やら水に浸した緑色のスポンジのようなものを設置すると、花をぶすぶすと差し始めた。メインにカーネーションを使いつつ、違う花も使っている。ぐるぐるとバスケットを回しつつ、素早くアレンジメントを作り上げている。

 すみれがカーネーション一輪の花束全てにリボンをかけ終えるのと、青年が他の花束やアレンジメントを作り上げたのはほとんど同時刻だった。


「どう、終わった?」

「はい」

「どれどれ。随分綺麗に結べてるね。左右で長さが揃ってるし、輪の形も綺麗。曲がってもいないし、完璧」


 すみれの仕事ぶりを褒めた青年はそのまま視線を店の上の方にかかっている時計に滑らせ、安堵の息をついた。


「よっし、なんとか開店に間に合った」

 それから青年は、すみれをじっと見てから口を開く。

「助かった。ありがとう。えーっと……」

織本おりもとすみれです」

「そう、織本さんね。俺はこの生花店の店長の、塩崎竜胆しおざきりんどう。実はバイトが急にやめちゃって困ってたんだ。できればこの後も店を手伝ってもらえると助かるんだけど」


 頬を掻く塩崎は、相変わらず表情筋があまり動いておらず、抑揚の乏しい声音からは本当に困っているのか判断がつかない。しかし目の下のクマが人手不足で働きすぎたのが原因であることは明確だ。


「今日は母の日で、めっちゃ忙しいから一人じゃ回しきれなくて。もちろんバイト代は払う」


 早口の塩崎は愛想がないし、やや強引だし、できれば積極的に関わりたい人種ではない。

 しかし。

 すみれはちらりと、つい今しがた作ったばかりのアレンジメントの数々を見た。

 上を向いて咲く花々は瑞々しく、生き生きとしている。塩崎のぶっきらぼうな態度とは裏腹の、花を慈しむような繊細な手つきが生み出したものたちだ。

 母の日用に作り上げられたこれらを売る手伝いを、今日一日だけするというのならば。


「……そういうことなら、わかりました」


 すみれは頷いた。どうせ日曜日でやることもなかったのだし、困っている人の手伝いをしてお金までもらえるというのなら、その方がいいだろう。


「ほんと? 助かる」


 すみれの返事を聞いた塩崎はやっぱり愛想なく、しかし安堵したように胸を撫で下ろした。


「じゃあ、掃き掃除をお願い」


 すみれは手渡されたほうきとちりとりで店の中や前を掃除した。その間に塩崎は、先ほど作り上げたカーネーションの花束を大きな銀色のバケツにどんどん差しこみ、それを店頭に並べていた。花の苗なども並べているが、ほとんどがカーネーションの束でいっぱいになっている。真っ赤な花びら、薄いピンクの花びら。どれもがリボンをかけられて、手に取られるのを待っているかのようだ。

 あっという間に店の前が華やかになった午前九時。

 商店街の他の店も、ぼちぼち開店準備をしている。


「織本さん、バイトしたことある?」

「高校生の時に少し。ファーストフードのチェーン店で」

「じゃあレジできるね。使い方教えるから」


 塩崎生花店が使っているレジスターはかなり簡単な作りだった。数字を押して「小計」キーを押せば引き出しが開く。


「今日はほとんどが母の日用のカーネーションを買いに来るお客さんだと思うから、その人たちの対応をして欲しい。一輪の花束は税込みで二百十円。こっちの小ぶりの花束は千五十円で、大きいのは三千百五十円」


 塩崎は早口で説明をしていくのですみれは慌てた。ポケットを探ったが、ペンもなければメモ帳もない。仕方がないので塩崎に思い切って尋ねる。


「あの、できればメモを取りたいんですけど」

「あぁ」


 塩崎はすみれに筆記用具を渡さず、その辺に置いてあった裏紙を切ってメモ用紙にしている紙をつかむと、エプロンに差してあったボールペンを抜き取ってさらさらと文字を書いた。


「ここに貼っておくから」


 テープでレジに貼られた裏紙には、簡単に先ほど塩崎が言っていた花の値段が書かれていた。


「他の商品が出たら、俺が対応するから呼んで」

「はい」

「そのほか困ったことがあっても、絶対に呼んで。お客様を待たせないように」

「わかりました」


 


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