第2話

 僕が家族を連れて来なかったことを詫びると、惣吉郎そうきちろうさんは

「やめてくれよ。そんなのはわかってて誘ったんだから」

と目を細めて笑った。

 それで「二人の男が、一人ずつ寂しい正月を送っているよりいいだろう?」と言われたらどうしようと思ったのだが、話はぜんぜん別のほうに行った。

 「それに、こっちだって、実葉みはちゃんがせっかく賞を取ったのに、ろくにお祝いもできなかった」

 「あ、いえ」

 猪口を口に持って行こうとしていた僕は、体をかがめたまま上目づかいで惣吉郎さんを見た。

 上の娘の実葉は、去年、つまり今日になって「去年」になった年にウィーンから帰って来て、いきなり「クリプトメリア音楽祭」というコンクールにエントリーした。そして、まだ二十五歳の若輩者なのに、年配の奏者たちを抑えて大賞を取ってしまった。しかも審査員全員一致だったという。

 その時期が、惣吉郎さんの妻、つまりその実葉にとってのおばあちゃんが亡くなった少し後に当たっていた。実葉が帰国したときには葬儀などはもう終わっていたが、惣吉郎さんにとってはこれからの生活をどうしていくかでたいへんな時期だったから、実葉には「金一封」を贈ってくれただけだった。

 「一封」で十万円入っていて、実葉は文字どおりおどりして喜んでいたけれど。

 クリプトメリアの賞金でその数倍はもらっているはずなので、それほど喜ぶことか、とは思ったけれど。

 惣吉郎さんが言う。

 「これで実葉ちゃんは欧米日と三大陸を制覇したことになる。たいしたもんだ」

 そのうち「日」は大陸じゃないんじゃないかと思ったけど、いいことにする。

 「いやあ」

 僕が照れる義理ではないけど、やはり照れる。

 照れ笑いに、多少の自慢が入っていたと思う。もちろん僕が自慢できる義理もないのだが。

 「制覇と言ったって、ドイツとイタリアと、アメリカ合衆国とアルゼンチンと日本でそれぞれ何かしらの賞を取った、というだけですよ」

 ……やっぱり凄いか。

 しかも弱冠二十五で。

 少なくとも僕にできることではない。

 それに、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸を別々に数えれば、たしかに三大陸で賞を取っている。

 「日本を出て行ったときには、ただの、暗い、高校生活不適応児だったんですけどね」

と言って、僕は酒をあおった。

 「学校ではいじめられたりケンカしたりで、家のなかでも妹ともしょっちゅうケンカするし、あのかおるが、青筋を立てて落ち込んで」

 「青筋を立てて落ち込む」というのもへんな表現だと思うが、そうとしか言いようのない落ち込みかただった。

 「青筋を立てて怒りたい」のだけど、その怒りを爆発させるだけのエネルギーがなくて、内に抱えてしまっているという様子で、そういうときにはほんとうに顔色も青くなっていた。

 ふだんの馨は「るん♪ るん♪」とか「ふん♪ ふん♪」とかいつでも鼻歌を口ずさんでいるようなごきげん女なのに。

 いや。鼻歌は「口ずさむ」ことはないか。

 「馨が言ってたことがあるよ」

 惣吉郎さんは、自分の猪口ちょこを口に持って行く手前で止めて、縁側えんがわの向こうの海へと目をやった。

 「実葉を見ると政子まさこを思い出してしまう。だから、どうしても、すなおに接することができないんだ、って」

 その話は初耳だ。馨は、僕にはその話をしたことがない。

 政子さんというのは、その去年亡くなった惣吉郎さんの妻、つまり馨のお母さんのことだが。

 「あれと馨は、もう決定的に合わなかったからな」

 「あれ」というのは、その政子さんのことだろう。

 「そうでしたね」

 僕は穏やかに笑っておく。それがいちばん無難だろうと思ったから。

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