最後の一杯
———明け方。
ガチャという音が聞こえ、私は玄関に向かった。
———防衛局の人かな?
監禁しておいてのうのうと入ってくるのは感心しないな。
二週間前、私の義兄が危篤であり放置するのも危険な状態だと言われ、訳の分からないまま、この家に監禁されることとなった。
でも、監禁とは名ばかりで食材を買いに行くことはもちろん、迫り来ていた防衛局勤めの試験も受けさせてもらうことができた。
そして、今日その結果が、帰ってきた。
結果は、合格。
とても嬉しかった。
あの義兄に追い付けた気がして、これからも目指すべき尊敬できる人の妹として。
だから、危篤と聞いても全然実感がわかなかった。
だって、あの最強の義兄が倒れるわけがないじゃない。
病気だろうと、寿命だろうと。
あの人は最強なのだし。
そう思いながら、玄関に行くと見知った顔がそこにいた。
「あ、お兄ちゃん。おかえり。」
ほら、やっぱり。
心配なんていらなかった。
どんな時でも帰ってくる。
それが、この義兄なのだ。
でも、四乃宮家にお義兄ちゃんが取られるって知ったときには泣いたな。
確かに、お金は切迫していた。お義兄ちゃんが防衛局でそれなりの資金を稼いでも、二人分の食材費と貯金を貯めるのが精いっぱい。それに、じいちゃんが亡くなったときの貯金も私の学費で消えてしまった。
だから、四乃宮家の提案にのるしかなかった。
でも、一番悔しかったのはその相手が絶世の美女だったことだ。なにより、お義兄ちゃんを好きになったから、そんな条件まで付けて縁談したのだ。まるで蛇のように狡猾な女だったが、なぜか嫌いになれなかった。それどころか、お義兄ちゃんが幸せそうにしているのを見てうれしく思えた。
だから、何も言わなかった。
幸せでいてくれれば———。
「そんなところにいないで入ってよ。今日も冷えるからコーヒー出すね。居間のコタツで待っててよ。」
それにこうして無事に帰ってきてくれた。
みんな心配し過ぎだって。
最近あっていなかったけど、お義兄ちゃんは変わっていない。
昔、私とお姉ちゃんが旅をしているときに縁があって一緒になったけれど、どんな時もお義兄ちゃんは私達を助けてくれた。
お姉ちゃんが亡くなってからは、代わりに私を育ててくれた。
砂漠地帯を抜けて、このコロニー3までたどり着いて、私達が甲斐田家に引き取られるまでお義兄ちゃんは必至だった。引き取られた後も、家の手伝いや防衛局絡みの仕事で家を空ける時間が多かった。今にして思えば、引き取られてからも、辛い思いをしていたんだと思う。この世界で生きるということは、何かを犠牲にしなければならないのだから。
コーヒーの粉体を、マグカップに入れる。
お湯を沸かしてマグカップに入れる。
自分の分は、沸騰させたミルクを氷の入ったマグカップに入れる。
私は、コーヒーが苦手なのだ。
どうにも砂糖やミルクを入れても、あの独特な苦みや酸味が好きになれない。
だから、私はちょいホットミルクが好きだ。
こうして、お義兄ちゃんが帰ってくるときはいつもそうだ。
三年前、帰ってきたときに、新しい養子を迎え入れるといった時には驚いた。
まさか、【ホワイトカラー】の人間型を引き取るとは思ってもみなかった。
しかも、お義兄ちゃんにベタベタに甘えていてイラっとした。
しかも彼女は年々急成長をして、ついこの間あったときには私よりも大きくなっていた。
ムカつくことに、私が目指していた防衛局の【特務隊 零】の中で実力ナンバー2と来たものだ。
それ以外にも、お義兄ちゃんに常にベタベタ甘えて羨ましくて、しかもお義兄ちゃんの事情を考えずに自分のわがままを貫いていたから、この前はついうっかり殴り合いになってしまった。魔法を使わない殴り合いなら勝算があると思っていたけど甘かった。
お互い気絶してしまい、ドローになってしまった。
侮れない相手だ。
今度は、圧倒して見せる。
そう胸に刻んだ。
次は、顎だけじゃなく頬が腫れるまで叩きまくってやる。
それはおいておくとしよう。
コタツの上に2つマグカップを置く。
「ねえ、聞いてよ。」
一つをお義兄ちゃんに。
一つは私に。
「私、防衛局に合格したよ! やっと自分でお金を稼げるようになったんだ。これでお義兄ちゃんにかけていた負担をなくせるよ。あ、最初に貰う給料で何かおいしいところ食べに行こうよ! 私調べておくね! やっぱり私の合格祝いと一緒に盛大にやりたいから、神薙ショッピング付近に新しくできた焼肉店にしよ! あ、でもやっぱりスイーツグルメも捨てがたいから————。」
私が語っている間も、お義兄ちゃんはずっと微笑んでいてくれた。
自分のことのように喜んでくれていることが、何よりも私にとってうれしかった。
「私、防衛局でもやっぱりお義兄ちゃんと同じ【特務隊 零】を目指したいな。昔は漠然とすごいことしかわからなかったけど、学校に入ってからすごさが分かったよ。だって、人類の防波堤、守護神と呼ばれた特別な組織なんでしょ? だから、やっぱりお義兄ちゃんみたいに私も頑張りたいんだ!」
少し笑いながら、お義兄ちゃんは困った顔をしていた。
「誰かのために頑張れるなんて美徳じゃない! こんな世界にも救いがあるんだなって思えるし、何よりも自分のことを好きになれる! こんな自分でも世界の役に立っているんだ、って。」
お義兄ちゃんは、少し照れくさそうにそれでいて照れているのを隠すようにコーヒーを飲んでいた。
ああ、こんな時間がもっと続いてくれればいいのに。
どうせ、次はあのムカつく養子も一緒にいるのだろう。
図体ばかり大きくなって、心の成長が追い付いていないあの甘えん坊に私は大人の対応が取れるだろうか。まあ、そこは大丈夫だろう。私に体術や剣術を教えてくれた月下さんに倣って、一撃で気絶させてしばらく再起不能にすればおとなしくできるし。
「ああ、本当に夢がかなってきたよ。そんな私にエールを送ってよ、お義兄ちゃん!」
知っている。
これは甘えだ。
でも、いいじゃない。
今年で私は18になった。
大人の始まりだ。
でも、それを区切るために私は最後に甘えておきたいのだ。
本当に———。
大切な———。
家族に———。
「………。」
「? お義兄ちゃん?」
いつもなら即答してくれるお義兄ちゃんが今日は少しだけ鈍い気がした。
コーヒーを啜りながら、優しい瞳でこっちを見た。
「お前のコーヒーは、何度味わってもまずいな。」
何を言うかと思えば。
「もう。当たり前でしょ。私はコーヒー苦手なんだから。」
本当にどうしようもないことを。
でも、くすぐられているようなこそばゆい感覚に笑ってしまった。
ピキッ。
その音と共に、お義兄ちゃんのマグカップが割れてしまった。
「あ! 割れちゃった。もう古いからかな。今、布巾を持ってくるから待ってて。」
そういって、台所に戻る。
「あれ、布巾どこだっけ?」
戸棚を探していると————。
チャイムを何度も鳴らす音が聞こえた。
「ええ、こんな朝方にお客さん? なんだろ?」
玄関に向かい、靴を履いて錠を外して出るとそこには、今日、監視役の二人がいた。
「? どうされましたか?」
二人とも暗い表情で口が重そうに見えた。
「大丈夫ですか? やっぱり今日は冷えるから上がって———。」
そう言いかけたところで、一人が口を開いた。
「先ほど、連絡が入りました。………甲斐田悠一さんが………死去されました。」
「ご冥福をお祈りします。」
………。
何を言っているのだろうか。
お義兄ちゃんならさっきまでここに———。
———そうだ、マグカップ壊れたんだ。
そう思い、居間に戻ると———。
———誰もいなかった。
ただ割れたマグカップから、こぼれたコーヒーの湯気が消えていくのが見えた。
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