復讐・後編

 数日後、イヴァーノはトゥルシ城へ赴いた。

(セラフィーナ……)

 イヴァーノの頭の中にはセラフィーナのことしかなかった。


 トゥルシ城へ着いたイヴァーノは真っ直ぐ古びた離れの小さな屋敷へと向かう。

 すると中から二つの怒鳴り声が聞こえてきた。

「何であんたがのうのうと生きているのよ!? フルヴィアじゃなくてあんたが死ねば良かったのに!」

「ボーナの言う通りだ! どうして神は俺達からフルヴィアを奪い、何の取り柄もないお前を残したのか全く理解出来ない!」

 この怒鳴り声はセラフィーナの義母ははボーナと実の父アブラーモのものであった。

 二人は目を吊り上げてセラフィーナに怒鳴るだけでなく暴力まで振るっていた。

「申し訳ございません……」

 床に倒れたセラフィーナは謝ることしか出来ない。

(あいつら……! 害獣の分際で……!?)

 窓から見えた様子を見たイヴァーノは、アブラーモとボーナに殺意が湧く。すぐに二人を殺そうかと思ったが、自分が今この場で殺人犯になったらセラフィーナが悲しむのでこの衝動を抑えることが出来た。


 イヴァーノは心を落ち着けて離れの屋敷の入り口をノックする。

「イヴァーノくん……!?」

 イヴァーノの姿を見るなり、アブラーモは目を大きく見開いた。

「えっと、久しぶりだね……。どうしてここに?」

 戸惑ってたるアブラーモ。

「突然申し訳ございません。お互い身内を亡くした身ですから、何か協力出来ることはないかと思い、思わず駆け付けてしまいまして」

 イヴァーノは紳士的な笑みを浮かべる。

「セラフィーナだって、大切な義妹いもうとを亡くしてしまいましたし、僕だって……兄を……」

 イヴァーノは俯き、顔を片手で覆い肩を震わせる。

「イヴァーノくん……。そうだな。俺達は互いに大切な存在を亡くした身だな」

 アブラーモはイヴァーノの姿に同情的になった。

「お互い助け合いましょう」

 ボーナも悲しげに目を細めた。

(馬鹿はチョロいな……)

 イヴァーノは俯きいたままほくそ笑んだ。ヴァスコの死を悲しんでいるわけではなかったのだ。相手から同情を誘う演技など、彼にとっては造作もない。

「イヴァーノくん、ゆっくり応接室で話そうではないか。今準備をさせるから」

「ええ、ありがとうございます」

 イヴァーノは俯きながらお礼を言った。

 アブラーモとボーナは準備の為、離れの屋敷を後にする。

 ようやくセラフィーナと二人きりになれたイヴァーノ。

「イヴァーノ……」

「セラフィーナ、大丈夫?」

 心配そうにセラフィーナを気遣うイヴァーノ。真剣な表情である。イヴァーノはセラフィーナのことだけは大切に思っていた。

「ありがとう、イヴァーノ。……来てくれて安心したわ」

 柔らかく微笑むセラフィーナ。やつれていても、やはり女神のようであった。

 イヴァーノはその笑みに心が満たされる。

「そっか。セラフィーナがそう言ってくれて嬉しいな」

 イヴァーノはペリドットの目を優しく細めて微笑んだ。それは演技ではなく心からの笑みである。

「ところで、レアンドロ殿はどうしているの? 彼こそこの状態を黙ってはいないだろうに」

 イヴァーノはトゥルシ侯爵家で起こったことに対して全く何もしないレアンドロに疑問を感じていた。

「お兄様は、ナルフェック王国のラ・レーヌ学園で忙しくしているそうなの。恐らく手紙を書く暇もないのかもしれないわ。わたくしは何度かお兄様に手紙を出してみたけれど、返事はなかったの」

 セラフィーナは困ったように力なく笑う。

「そうか……」

 イヴァーノは少し考え込む。

(レアンドロ殿の性格からして恐らくセラフィーナのことを心配しているはずだ。セラフィーナに手紙をよこさないなんてことはないはずだが……もしかして……)

 イヴァーノはアブラーモとボーナが向かったトゥルシ城に目を向けた。

「とにかくセラフィーナ、今は誰もが混乱していて大変かもしれない。何かあったら僕を頼って欲しい」

 イヴァーノは真っ直ぐセラフィーナを見つめている。

「ありがとう、イヴァーノ。イヴァーノもヴァスコ様を亡くして大変だろうから、無理はしないでね」

 ホッとしたような表情になるセラフィーナ。

「ああ、分かってるよ。心配してくれてありがとう、セラフィーナ」

 イヴァーノは優しい笑みを浮かべた。


 そして離れの屋敷を出た後、再びトゥルシ侯爵城に目を向ける。

(さあ、開始だ)

 イヴァーノはフッと口角を吊り上げる。ペリドットの目は絶対零度よりも冷たくなっていた。


 蜘蛛の巣には二匹の蛾の残骸が残っている。そしてその周りを醜い蛾が二匹飛んでいた。






−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






 イヴァーノはトゥルシ城の応接室でアブラーモとボーナの二人と軽く話をした。

 互いに傷を舐め合うような感じであった。

 そして帰り際にイヴァーノはボーナを呼び止める。

「イヴァーノ様、一体何かしら?」

「はい、トゥルシ侯爵夫人にこれを」

 イヴァーノは持って来た紙袋を渡した。

「海を挟んだ南部の国で採れる、グレープフルーツというものです。今はトゥルシ侯爵閣下も気落ちしているでしょう。グレープフルーツにはストレスから体を守る効果もあります。食後のデザートとして食べるなりジュースにするなりして元気を出してもらえたらと思いまして。夫人から渡された方が、閣下もお喜びになると思いますよ」

 人の良い紳士的な笑みのイヴァーノ。

「まあ、イヴァーノ様、お気遣いありがとう」

 ボーナはやつれていながらも嬉しそうに微笑んだ。やつれているのは実の娘フルヴィアを亡くした影響である。

「では僕はこれで」

 イヴァーノはトゥルシ城を後にした。






−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






 その後、トゥルシ侯爵家で大変なことが起きた。

 当主てあるアブラーモが急死したのだ。そしてボーナにアブラーモ殺害容疑がかけられて逮捕・投獄された。

 ボーナがいくら容疑を否定しても、困窮した子爵家の者が傾いているとはいえ財産目当てで侯爵家当主を殺したと決めつけられ、ついに死刑を言い渡されるのであった。

 そしてボーナもあっけなく死んだ。


 それを聞いたイヴァーノはほくそ笑む。

(計画通りだ)

 実はアブラーモの死とボーナの死もイヴァーノが仕組んだことである。


 心臓の薬や血圧を下げる薬を食後に飲んでいたアブラーモ。そこへボーナがイヴァーノから貰ったグレープフルーツをジュースにして持って来たそうだ。そしてそれを飲んだアブラーモは急に意識を失いそのまま帰らぬ人となったようだ。


(心臓や血圧を下げる薬を飲んでいる人がグレープフルーツを食べたらそうなるさ。グレープフルーツのフラノクマリンという成分によって薬を分解する酵素の働きが阻害される。それによって薬の吸収量が増えて効き過ぎてしまったんだ。血圧が下がり過ぎて害獣アブラーモは呆気なく死んだ)

 イヴァーノは満足そうに口角を吊り上げた。

(グレープフルーツと薬の飲み合わせはアリティー王国ではあまり知られていない。だから毒殺を疑われる。警察に手を回してもう一匹の害獣ボーナを毒殺犯に仕立て上げて排除することは簡単だった。警察や裁判官を金で買収しておいたしね)

 イヴァーノはククッと笑う。

(全てはセラフィーナの為。彼女を害する奴らは死んで当然だ)

 イヴァーノにとって世界の中心はセラフィーナなのである。


 蜘蛛の巣の周りを飛んでいた二匹の醜い蛾は、ついに巣にかかり無惨な姿になっていた。

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