第25話 おじさんの娘、懺悔する。
「私、あなたのこと嫌いだわ」
「お前のような女に好かれたくもないね」
どうやらわたくしが席を外している間に、アルトとクレレは随分と仲よくなったらしい。もうそろそろ学生寮の門限の時刻だから、とお開きになった私たちは、王家の馬車で学院に戻った。
ちなみに私が乗ってきた公爵家の馬車は、クレレを学院で降ろしたあとアルトがお屋敷まで乗って帰ることになっている。つまり、あのふたりは今同じ馬車に揺られているということだ。
なお、ヌエ様は徒歩で帰るからと足早に立ち去ってしまった。無理もあるまい。また今度、手土産でも持ってお詫びに行かねば。
「すまなかったね、リンリン」
「それは何に対する謝罪ですの?」
「楽しい女子会に男子が同席してしまったことへのお詫び、かな?」
「別に、構いませんわ。ヌエ様もクレレ様もわたくしの大切なお友達ですもの。殿下がよくしてくださるのであれば、むしろ嬉しく思います」
「そうだね。あのふたりとは今後とも仲よくしたいと思ったよ。……そんな意外そうな顔をされるとは思わなかったな」
「わたくし、そのような顔をしておりますか?」
「君はいつだって、自分がどんな顔をしているのか知らずにいたね。そんな君の顔を見る周囲の人間が、どんな気持ちになるかも」
フォルテ様は微笑みながら、私の頬に口付けた。彼はよく私の手の甲や頬にキスをするけれど、唇にキスをしたことはまだ一度もない。
「それは、ええ。本当に申し訳ございませんでした」
「責めているわけじゃないさ。君だけが悪かったわけじゃない」
「いいえ、わたくしだけが悪かったのです。皆様にはなんの落ち度もございません」
「彼女には感謝している。彼女がいなければ、君は今もあのままだったかもしれないと思うと、殊更にね」
不思議な子だ、とフォルテ王子はヌエ様に想いを馳せているようだった。実際、ここ最近の話題の中心には常に彼女がいる。
あの人間国宝であるイカルガ親方の心を掴み、彼の工房に入り込んだだけには飽き足らず、公爵令嬢である私の人生観をがらっと変え、平民でありながらマンダリンお嬢様のお友達に選ばれた。
常人であればそれだけで十分満足だろうに、今度はあろうことかハルモニア国立音楽学院で起きた無関係な事件に首を突っ込み、平民いじめを暴いてクレレを救った。
あれは一体何者なのだ、と興味をそそられ、調べたくなるのも無理はあるまい。その上で、フォルテ様は直々に彼女の人柄を見極めにきた。そして、ヌエ様はフォルテ様のお眼鏡にかなったわけだ。
原作からドロップアウトしたのにこれなのだから、さすがは乙女ゲームの主人公、とそのフラグ構築力の高さに感心してしまう。世界が彼女のことを放っておかないのではないか、と心配になってしまう程に。
「その割には、随分といじめていたようですが。わたくし、何度トイレのドアを蹴破りそうになったか分かりませんわ」
「僕も、君にますます嫌われるんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたよ」
そんなこと、と否定しようとして、私は口を噤んだ。そういえば、と幼い頃のことを思い出す。この世界に転生したばかりの頃。私は悪役令嬢である我が身を呪って随分と周囲に当たり散らしたものだ。
『嫌よ! イヤイヤ! 絶対に嫌! 王子様と結婚なんかしたくない! 婚約者になんか絶対なりたくないわ! 私はずっとこの家にいるう!』
ガン! とデスメタルバンドがエレキギターを叩き壊すかのごとき衝撃で頭を殴られたような衝撃を味わうのは、これで二度目だった。
ああ、そうか。フォルテ様が今日、何をしに来たのかはすぐに分かった。だけど、何故来たのかまでは、真の意味で分かってなどいなかったのだ。私って、本当に、救いようのない大馬鹿者だ。
「フォルテ様」
「なんだい?」
「わたくしが、ヌエ様の言葉に耳を傾けることができたのはきっと、それがお叱りの言葉だったからだと思うのです」
「うん」
「皆様はわたくしを心配し、励ましたり、喜ばせようとしたり、勇気付けたり、元気付けたりしようとしてくださいましたけれど、誰ひとりとして、いい加減にしろ! と私を怒鳴り付けることは致しませんでした」
「そうだね」
「ですので、皆様にはなんの落ち度もございませんわ。むしろ、皆様のご厚意に甘え、自己憐憫に陶酔して、ご迷惑をおかけし続けしてしまったわたくしの方こそ、謝らなければなりません」
「リンリン、それは、しょうがないことだったと思うよ」
「いえ、いいえ。全てはわたくしの責任なのです。本当に、申し訳ありませんでした」
私は深々と頭を下げる。
「決して皆様やお父様のお気持ちをを、蔑ろにしたわけではないのです。その上、初めてできた平民の、気兼ねなくお付き合いできる同年代の女友達を相手に浮かれてしまって、皆様への謝罪と感謝を怠ってしまった」
『君はいつだって、自分がどんな顔をしているのか知らずにいたね。そんな君の顔を見る周囲の人間が、どんな気持ちになるかも』
ああ、なんで私ってこうなんだろう。反省したつもりでも、ちっとも分かっていなかった。いつだって自分のことばっかりで。自己嫌悪で死にたくなる。でも今は、我が身のことより目の前の相手のことだ。
「ありがとうございます。こんな愚かなわたくしを見捨てずにいてくださって。こんなわたくしを、まだ愛してくださって」
「……僕の方こそ、ごめん。なんだかリンリンを取られたような気がして。同年代の女の子を相手に、幼稚な嫉妬心であることを自覚してはいるのだけれど、それでも僕は、それぐらい、君のことが好きなんだ」
言葉よりも、行動で。私は生まれて初めて、いや、生まれ変わって初めて、自分からフォルテ様に抱き着いた。それから、キスをした。口と口で。唇を重ね合わせて、前世・現世合わせての、ファーストキスを。
「……リンリン」
「正直に申し上げますと、わたくしは、まだ分かりません。フォルテ様のことは、当然結婚すべきお相手と考えておりましたので。そこに好き嫌いが介在する余地は、ないと思っていたのです」
「それは、傷付くな」
「はい。酷い女です。でも今日、今、初めてあなた様のことを、その、異性として意識してしまいました。それで、たぶんなのですが、わたくし」
あなた様のことが、ちょっとだけ、好きかもしれない、と。頬が赤くなるのを感じる。いや、間違いなく真っ赤になっているだろう。やばい。恥ずかしい。誰かに本気で愛の告白したことなんて、なかったよ私は!
乙女ゲームのマウスでポチポチ告白とは全然違う。自分の言葉で、自分の態度で。相手に好きだって言うのがこんなにも大変だったなんて。
今までリア充爆発しろなんて気軽に言ってたけど、リア充ってのはこんな気持ちを乗り越えて、恐怖を勇気で乗り越えて告白してなるものなのだとしたら。爆発すべきは無知無恥な私たちの方だったよ! ごめんリア充!
「君はずるいな」
「ずるい、ですか?」
「うん。そんな顔をされてしまったら……そんな可愛らしいことを言われてしまったら……全てを赦すしか、ないじゃないか」
フォルテ様が、私を抱き締め、それから今度は、彼の方からキスしてきた。私の顔は、今頃トマトみたいに真っ赤だろう。
「愛してる」
「……う!」
「君が好きだ。昔からずっと」
「ちょ! ちょっと勘弁してくださいませんこと!?」
「だめ。何年も聞き入れてもらえなかった分、これからたっぷりと君に好きって伝える。明日も、明後日も、毎日君に好きって言うよ」
「伝わりました! もう十分伝わりましたからあ!」
ああ、これが私に与えられた罰なのだろうか。もしそうであるならば、罪状が多すぎる私は甘んじてその裁きを受け入れるしかない。
「愛してるよ、僕のマンダリン」
ごめんやっぱ無理! お願い誰か助けて! ヌエ様! お父様! この際クレレでも構わないから! お父さんお母さん! こういう時、どうやってこの修羅場を切り抜ければいいんですか!? ねえ、ねえ! ねえってばあ!
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