第26話 人間国宝、見抜かれる。
「初めまして。エクレール・タンヴァリンよ。みんなからはリンリン、或いはタンタンと呼ばれているわ」
「イカルガだ」
見合いの席ってのはどうにも苦手だ。背が低く、筋肉質で、髭面の儂は昔っから女ウケする男前じゃねえし、だからこそ『御家のために』『本当は嫌だけど我慢して』『渋々』見合いに来た女の態度や表情に敏感になっちまった。
それが悪いとは言わん。儂だって50も年上の骸骨みてえな婆さんと結婚しろと言われたら嫌だろう。だが、それにしたってせめて表情ぐらい取り繕える程度の女を連れてきやがれ! と思ってしまうのは傲慢だろうか。
仲介人が退室し、警備の兵士が4人、部屋の隅に立っている中で、儂は用意された茶にも茶菓子にも手を付けずにソファから立ち上がる。
「あんたには悪いがこの見合いは端から不成立だ。無駄な手間かけさせちまって悪かったな」
「理由をお伺いしても?」
「あんたにはなんの落ち度もねえよ。ただ、バカにされながら種馬にされるのは嫌だってだけの儂のワガママだ」
「そうとも限りませんわよ? わたくしたちは初対面ですけれど、一緒に暮らしているうちに心惹かれ合っていく可能性だってゼロではないでしょう?」
「ありえん」
「わたくしのことをあなたはまだ何も知らないというのに、何故そう言いきれるのです?」
「儂は儂のことをよおっく知っとるからな」
彼女は随分な別嬪さんだった。娼館で出会っていたら、躊躇いなく一夜を共にしただろう。だが、ここは見合いの席だ。おまけに相手は王家の遠縁の親戚。厄介事の塊でしかない。
今まで儂にあてがわれてきたのは、皆10代の小娘ばかりだった。実際、世間一般のスケベジジイであったなら、喜んで飛びついただろう。
だが、今回あてがわれた彼女はどう見ても20代後半。いや、30代の風格さえ漂わせている。行き遅れなのか行かず後家なのか。確かに儂はこいつのことを、顔と名前と王家の関係者であること以外、何も知らなかった。
「随分と傲慢な方なのね。そういう男は嫌いじゃないわ」
「随分と知った風な口を利くじゃねえか」
「誰しも自分自身のことを100%客観視することはできなくってよ。あなたも、わたくしもね」
「半分もできてりゃいい方だと儂は思うがね」
「では、あなたの本心はどこ?」
「ここにねえことだけは確かだが」
「今ここにないとしたら、考えられるのは義理の娘さんのところかしら?」
嘲るような笑い方に、一瞬で空気が凍り付く。緊張感が張り詰め、ビリビリと痺れるような緊迫感が肌を焼いた。
「あらあら、まあまあ、恐い怖い」
「調べやがったのか」
「旦那になるかもしれない男の身辺調査をするのは当然でしょう? まさか連れ子がいるだなんて思いもしなかったけれど」
「子供じゃねえ」
「じゃあ、何?」
「それは……」
ふう、とエクレールはため息を吐いた。心底バカにするようなため息を。
「好きなのね。彼女のことが」
「バカも休み休み……いや、そうだな。好きだぞ。家族としてな」
「嘘。それぐらいあなたの顔を見れば分かるわ。あなた今凄い顔してるわよ。わたくしの鏡を貸して差し上げましょうか?」
「結構だ」
「人の親切は素直に受け取っておいた方がよろしくってよ。ひねくれ者の頑固職人さん?」
「それが親切心だけならな」
「あら、意外とロマンチストなのね。親切心だけで物を言う人間が、この世にどれだけいるのかしら」
「儂はあんたと言葉遊びをしに来たわけじゃねえんだ。義理は果たした。すまんが帰らせてもらうぜ」
「帰ってどうするつもり? 親子ごっこを続けるの?」
「それこそ、あんたには関係ねえだろ?」
「ないわ。ただ、その子が憐れだと思って」
「……あんだと?」
安い挑発だ。乗る必要はない。儂は額に青筋を浮かべながら、そいつに背を向ける。
「男って本当に勝手よね。結婚はしたくない。育児もしたくない。だって面倒だから。それなのに可愛い子供は欲しい。ワガママを言わず、聞き分けのいい、従順で素直な、無責任に愛でることだけを楽しめる、都合のいい子供が」
「儂があいつを利用してるって言いてえのか?」
「違うの? 孤児に大金をちらつかせて懐柔したんでしょう? お父さんごっこは楽しかったかしら。いいお父さんごっこに飽きたら、次は己に懐かせた娘に手を出す。合意の上だからとかなんとか言い訳しながら、今度は女として利用する。よくある手よね」
「違う! 儂は!」
帰るわ、とエクレールは興ざめしたように立ち上がった。儂より背の高い美女が、煙草に火をつける。儂の顔に煙を吹きかけ、それからテーブルの上の灰皿に煙草を乱暴に押し付けて揉み消した。
「世界最高峰の楽器職人だというからどんな男かと期待して来てみれば、ただの独居老人。期待して損したわ。あなたなんてこちらから願い下げよ」
「てめえ!」
4人の騎士に守られながら、儂の方を一瞥もせずに去っていく見合い相手。独り取り残された儂は、歯噛みしながら拳を握り締める。
「儂らのことをなんにも知らねえくせして、知った風な口利いてんじゃねえぞ!」
「じゃあ、あなたはその子がどんな気持ちであなたに向き合っているのか、ちゃんと考えたことある?」
女心を軽んじていると、そのうち足元を掬われるわよ、と言い残して。バタン、とドアが閉じられた。相手側から袖にされたのは初めてだった。これまではずっと、儂の方から断りを入れていたからだ。
「正論だけで恋ができるかってんだ! バカヤロー!」
そんなことは、お前に言われるまでもなくよく知ってるのだ。ヌエが実は儂に惚れてるんじゃないかって思うことも、儂がヌエに惚れちまってるんじゃねえかってことも。
その上で、お互いあと一歩が踏み出せずにいるのをいいことに、今の関係性が壊れるのが怖くて、現状維持に甘んじてることだって、全部、全部。
儂は見合いの席を飛び出した。ガキみてえに大声で叫びたい気分だった。儂の心みてえに暗雲たち込める真っ黒な曇り空から、ゴロゴロと音が鳴って、大粒の雨が降り始める。
「ジジイの分際で、あいつのことが好きで悪いか! バカヤローッ!」
土砂降りの雷雨に打たれながら、儂は大声で叫んだ。
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